学生に贈る社会人100人の言葉 NO.23
大学のときから今の私がどうつながってきたのかを書きました。私の顔も声も知らないのに、読んでくれる方、どうもありがとう。
わたしは、今28歳で、京都に住んでいます。
わたしは企業に新卒で就職するという道を選ばず、ひょっこり京都に引っ越してきました。東京で大学を卒業後、「いままで23年間東日本で生きてきたんだから、一度西日本でも生活してみよう。」という、シンプルな動機でした。京都はいろいろなサブカルチャーが繁栄している、元気で愉快で住みやすい、すばらしい街です。
生活のためのお金は、週4日ほど、2児の母であり英会話教室経営者であり画家であり障がい者でありアメリカ人であり・・・という多忙で魅力的な方のお手伝いをして、得ています。また家で、夫と英会話を教えることもあります。
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わたしがゆずれない思想の一つは、
「ひとりひとりが、ありのままで、受け入れられ尊重されるべきだということ。」だと思います。
今世界中のほとんどの企業は、中世の封建制度と同じような、階級社会にそっくりです。
王様(社長)がいて、その人がいちばんお金もち。その下に、貴族や騎士(部長とか課長とか)などがいて、その下に平民(平社員)、そして奴隷(派遣、パートアルバイト)、といった形です。奴隷は使い捨てで、ひとりの創造性を持った人間として扱われることもありません。
国の政治は、いちおう民主主義ということになってはいるけれど、会社の中は明らかに、民主主義じゃありません。体系としてはまるで中世のままなのだと思います。わたしは、ほかのどのシステムと比べても、民主主義がいちばん正しいと思います。奴隷はもちろん、ほかの人の労働でいちばんいい生活をする王様にだって、なりたくない。
民主主義的な企業――会社は一人ひとりのもので、みな平等の地位で、自分の意見が当たり前に聞き届けられ話し合われるような会社――でしたら、わたしは喜んで就職を希望したでしょう。なにせ人一倍、ほかの人たちと働くのは大好きな性分なので。
でもそのような会社は見つけれらなかったし、そんなことが可能だとは、当時は考えもつきませんでした。なので、現在のような生活形態に、いまのところなっています。
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大学では、社会学に出会い、おおげさでなく人生が変わりました。子供のころから勉強嫌いだったわたしに、知る喜びをよみがえらせてくれました。
社会学を学べば学ぶほど、今までどうしていいかわからなかったこと、どう考えてどう選び取っていけばいいのかわからなかったものが、自分で考えられるようになってゆきました。
外から「これを受け取れ」といわれても、「わたしはほしくないから、いらないです」と言っていいのだと、わかったのです。それまでの私は、そんなふうに選択できることさえ、ちゃんとにはわかっていませんでした。無防備に受けとっては、ひどく傷ついて、自分という存在を肯定的に考えることがとてもむずかしかった。
自分のものの考え方や、価値観というのが、今までどれほど大きな力によって意図的にコントロールされてきたことが、よくわかりました。そして、それから自由になっていいということも、同じ分、わかってゆきました。
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まわりで就職という言葉が毎日聞こえる時期がきましたが、就職活動、そして就職は、どうしてもしたくありませんでした。今思い返すと、毛嫌いしすぎたなという気もするほどです。
私の行っていた大学では、卒業後の進路は99パーセント、就職か、大学院進学か、司法試験か、というところでした。なので、その大学においては、わたしはめずらしいケースだっただろうと思います。(でも京都に来てみたら、わたしみたいな人はたくさんいました。)
スーツや制服を着るのはもともと好きなほうではなかったし、就職すると、髪色や髪型や雰囲気、態度、能力、望ましい性格など、そういうさまざまなすべてが規定されています。それは、わたしにとっては、そんなことも自分で選ばせてもらえない、まるで奴隷にでもなるような気がして、しょうがありませんでした。
それに、大学3年生のときから、学業そっちのけで就職活動をしなければいけないこと、また新卒というベルトコンベアー的仕組みについては、本当に理不尽だと、怒りを感じました。
そのようなことはまったく気にならない人もいるでしょうし、また多くの人はいやだけど仕方ないから、と受け入れて、就職をするのだと思います。私たちはみな、ほかの人たちと複雑に無数につながりあって生きていますから、もちろん毎日さまざまな妥協もしなければいけないことは、たくさんあります。
なので、卒業後の進路を決める上で、わたしもただそういった概念だけで決めたわけではありません。いろいろ試してみました。
たとえば、「大学院とはどういうところなのだろう」と知りたくて、ゼミナールの先生にお願いをして、大学院のゼミにわたしもしばらく参加させてもらっていました。そうして、わたしは大学院には行かなくていいや、と判断しました。
また、ちょうど授業に講師としてきてくださっていた、ある会社の社長をしている方と、またそのお友達の方々とも、ランチをする機会がありました。みなさんいわゆる超エリートで、お金持ちで、また社会的名誉も十分ある方々でした。でも、一緒に時間を過ごしてお話させてもらって、その方たちをうらやましいとはまったく思えませんでした。魅力的な人たちとも思えなかったし、魅力的な人生とは思えなかったのです。はい、ビンボウ決定です。
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そんなわたしが、いまこれから就職活動だなあ、いやだなあ、と思っている人に言いたいのは、まだ自分の興味や能力ややりたいことなどがよくわからないなら、就職しておいたほうがいいと思うよ。ということです。
それに、「やりたいこと」なんていうのも、見つかった!と思って喜んだのもつかの間、すぐにやりたくなくなることもしょっしゅうです。やりたいことなんて、毎日、変わります。いうほどあてになりません。
今のわたしたちの社会では、生計を立てるには、正社員としてフルタイムで働くか、パートアルバイトとして働くか、自営業かという大体3択です。
今のパートアルバイトの状況は、最悪です。低賃金で、福祉も整っておらず、子供を育てることができません。
自営業も、年金も少ないし、稼げないし出てゆくばかりで、国はぜんぜん守ってくれません。
正社員は、大変だろうけど、それでもいちばん国に守られて、企業に守られています。新卒で就職して、その会社がいやになったり、新しく行きたい会社が見つかったら、再就職できます。新卒の機会を逃してしまえば、もう同じようなチャンスは二度と与えられません。アルバイトを最初に選んでしまうと、中途採用で選べる職種は本当に限られているし、階級も低いです。
だから、新卒で就職できるなら、いやでもしておいたほうが、圧倒的にのちのちの幅を狭めずにすみます。どうやっても妥協しなければいけないので、どこで妥協できるかです。
それでも、どうしても就職したくない人は、自分で道をつくりながら、歩いていくのでしょう。
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悲観的に聞こえる言葉をつらねてしまったかもしれませんが、実際まいにちの私の生活はとてもよいものです。いろいろ実験を繰り返した結果、わたしは週4日ほど、一日5,6時間ほど、からだを存分にうごかして働くのがいちばんちょうどいいとわかりました。貯金はほかの人より幾分少ないかもしれないのは、よくありません。それは課題で、工夫しながら方法を見つけていきたいです。
わたしは、ほんとうのことにしか興味はありません。
お調子者みたいに、ころころ正しいことが変わるようなことには、興味がないです。今の世界中を覆う経済みたいに、ほかの人を踏み台にして自分だけ美味しいものを食べるような、捻じ曲がったことは可能な限りしたくない。
にんげんには、創造力、クリエイティビティーがあります。それこそにんげんのかっこよさであるのに、なぜかそれを見つけ守り育てることには重きが置かれていません。だから、自分で自分の創造力を、育てていくことが、欠かせないのです。
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本当にたいせつなものを見つけて、集めて、それに囲まれて、生きていきたいです。
わたしは自分の作ったものには、どんなに下手なものでも、愛着を感じます。だから、生活のいろいろなものを、昔のお百姓さんみたいに、自分の手や足をつかってモノを作って、生きていけたら、そこはわたしのエネルギーの生まれる基地になると思います。
そういうふうにして、できるだけ調和をもって、ほんとうの時間を、すごしていきたいです。