3月、折り返したねー。

1月から、早かったなぁ。
順風満帆というより、
漫然と時が流れた感じ。

もったいないのかな・・。

10代の若いキラキラしてた時に
もっとオシャレしたり、
楽しんだりできたら良かったのに、と
思うことも、ある。
(後悔はないけど、あの頃は
若さの素晴らしさ、
今しかない弾力やみずみずしさなんて
言葉で聞いていても実感として解ってなかった。

ここ何ヵ月かもまったりテイタラクに
過ごしているけど、
十年以上経ったら、
あの時もう少し生産的に活動していれば
何か変わっていたのかな、と、
考えてしまったりするのだろうか。

なら、も一つ何か計画したりしようか。

自分に残る異常性を、
人に告白しないまでも、
機会があれば会話に挙げてもいい、
という感覚になった様に(実際、話せた)。

とりあえずは環境は早く変えてみたいので
引越しを計画したい。
今の時点では、賃貸物件検索のみの
行動だったので、本格的に。
4月には、金銭的な余裕も出てくるので、
具体的に考えよう。
転居は数回しているので、
こういう時の行動は早い。
というか、思い立ったら極端に活動的に
なってしまうのも、
自分に課題を背負わせ負荷をかける、
制約脳の影響かと言えばそうかもしれない。

とにかく、また一人になってみたい。
それは母と離れること。
でも、それは捨てるのではなく、捨てられるのでもない。

離れて、心の余裕を持ちたいのだ。
そして、優しく 





なんだか、
先々月、ひっさびさに独白したけど、
昨年同様、理屈っぽくて長ったらしくて
自分で疲れちゃった。

自分の独白なんて
その時の自分の思考展開を
そのまま打ち込んでるから、
ツッコミどころ満載だろーし、
添削するのもめんどい。
何より我ながら長ったらしくて
見返す気になれない(´▽`)。

母との関係の更なる悪化停滞。
母の人間性、それを受け流せない自分。
食べれてはいるけど、
必要カロリーは満たしているけど、
内容・量ともに私の中では独自の制約がかかっている事。

私の中にくすぶるよどみ、
これまでどおり抱えて生きて行けなくもないけれど
やっぱり改善(解放)したい。

でも、一人で考え浄化していくには限界があるとようやく理解できた。
それによって、停滞する結果に至った事に
もう焦燥感や挫折感も持ちたくない。

話せる人に、話す機会があったら、話していく事にした。
専門職でもいい。
いつも黙って(話せなかったのだろう)見ていた父でもいい。
真剣にその人達に何かを求めたりするでもなく、
自分の気持ちの整理や再認識のために。
そうすれば失望することもない。
相手の言葉や助言が、思いがけず何かのきっかけに
なってくれる事もあるかもしれない。

そんなふうに考え出した前回までの独白でした。

この独白を再開しだした頃から
ツイッター始めてみた。

自分がつぶやくというより、
面白そうな方(政治構想やオタク、下ネタ中心、癒やし系、など様々)
をフォローし、色んな状況・思考を楽しむ感じで。

そのうち、返信し合う楽しみもでてきた(主にY談関連(//・_・//))。
ツイッターべったりのSNS中毒には
なりたくないので、ほどほどにしているけど。
そのうち、どうせならここのアメなうでも
拒食症はびこりの自分として
つぶやきたいなぁと思った。

で、アメなうでもオススメのブロガーさんをフォロー
してみた。
皆さん、あんまり「なう」しないみたいだけど(ブログ中心なんだね)


どこかのどなたかも、「なう」で語りかけて下さい。




 真の拒食症からの回復、
(真の自身復活?再生?)

それには他者の、自分と関わり深い人達の
理解と受容と支援が必要不可欠。

緊急時には医療処置、
生命が保持出来ている段階なら
専門職や周囲の適正な交流支援による
生活改善、思考修正、
そして自己覚醒・解放・・・など。

でも、何よりも大切なのは
自身が、治したい、戻りたい、と
強く思うこと・・・。
自らが回復を願い
本当に望むべき自分や生活を目指さなければ、
表面的な治療など真の回復にはならない。

体重や検査値、食事量などの数値だけに、
成果目標を置いた治療では、
心の奥底で絡み合った問題まで
解き解くことはできないから。

そして、私は去年より、
自らが回復を願うようになった。
最近では、他者(専門職や周囲)に
話してもいいと思っている。

社会人として支障なく生活してきた、と
思い込んでいた自分が、
いかに他者とは異質で、
周囲に気を遣わせ、
自身も絶えず乾いていた事に
気づいた。

最近、少し知人や父などに、
自分がまだ、スッキリ食べきれていない事を
会話のおりに打ち明けたりした。

でも、日々の食生活が少しでも
改善されているわけではない。

去年同様、炭水化物中心(玄米、フランスパン)に
緑黄色野菜や豆腐、ヨーグルト、ゼリーなど。

カロリーは2000近くだが、上記以外のモノは
摂取していない。
(特に砂糖、油脂が添加されているモノは不可。)
必須栄養素はサプリカバー。

漫然とした生活、
かなり自由のきく仕事時間に食生活、
慣れきった、生きるのに支障のない現状。

今がラク過ぎて、
又、体重数値増加や
慣れ親しんだこの骨ばった外観が
変貌していく葛藤に、
飛び込む気力が
無くて流れてきている。

去年、変革のきっかけがあったのに、
覚悟も決意もいくつかの気付きもあったのに、
回復の兆しのみで
回復の段階をアップしていくことはできず、
休止してしまった(後退は・・・していないよネ)。

ちゃんと、このままではいけない、とは
思っている。
・・・だけではなく、
ダラダラと先送りせず、
死ぬまでに、本当に望む、
自分の姿、自分の生活(人との関わり合い含む)に
近づく行動をおこしていきたい。

それで、他者の介入や受容の他に、
環境を変える、ということも
真剣に考えたのだ。

もう母とはすぐに理解し合えるとは
思わない。(母には一生解らないという
思いもあるが、親子だから、
老いていく間に何が変わっていくかは
わからないので遮断はしない。)

でも私にとって、
ことある度におこる母への絶望は
私の心に巣食う呪縛を
増殖させる。

だから母といい関係を保つための
離別も、環境変化の一つ。

又、昔、現実逃避として思いめぐらした
別天地への移住ではなくて、
積極的に生きていくための転居もその一つ。

現状の中で踏ん張って生きなければ
ならない状況もあるだろう。
それを乗り越えての成長、とか、ね。

分かってる、・・つもり、・・だと思う。

あくまで私なりにだが、
幼少の頃から、心身共々、
暴力や(生き死にまではいかないが)、
イジメを受けても、
家から、学校から、日々逃げずに
生きてきた。

私なりに大変だった事は、踏ん張ることで
過去のものとなっていった。

でも、拒食症は違った。

いつまで経っても過去のモノにならない。

どころか、乗り越えたはずの過去のモノが
噴出さえして、とりとめがなくなる。

拒食症の土台を作った環境(人的、風土的・・・)に
馴染んでつかっていては、いつまでたっても
きっかけがつかみきれない。

弟の拒食症入院のときがそうだったが、
最初は私達家族さえも(家族だからか)面会謝絶となった。
一旦、自分が固執してるもの、
不穏なりとも安穏とした人間関係や環境から
離れることも必要だったからだ。

その後の段階として、
周囲(家族など)との話し合いや相互理解など、
支援の中での自己復帰が必要となってくるのだろう。

今までは、現状から逃げるのは違うのでは、とか
相互理解をあきらめて断絶するのは
解決とは違うのでは、とか思って
今いる環境で自分を少しづつ変えていく
思考浄化を繰り返していたけど、
土台、拒食症になってしまうような私だ、継続困難なことだった。
でも、無理なくやっていこう、そして
色々気づけた自分ならやっていけるだろう、とも思っていた。

だから、まだ、気づき足りなかったんだ。

自分一人じゃ、浄化しきれないんだよ、
ちゃんと考えて納得して自分や他者を認めたつもりでも
また奥底に膿(うみ)を少しづつ
溜め込んでいるだけかもしれない。
だから、充実していかないから、
自分の執着(食事、体重、他者との関係性)も
進展がなくなってしまう。

また自分が気づいてないふりをしていた
自分の弱さを確認させられた時、
私は、真剣に他国とまではいかないが
他地方への転居を考えたのだ。

幸い、医療職などのおかげで
どこへ行っても食いっぱぐれはない。
普通に働いているので、
体力的にはごまかしがまだ効くと思うが、
激務となったり、
環境替えで心機一転できれば、
食事も次第にこだわらずに済み、
体力も増強していくかもしれない。

逆に、人間関係の辛辣さに相対して
また打ちのめされるかもしれない。

それもありだろう。

でも、今のしがらみの多い土地での
逃げ場の多い環境での生活よりは
覚悟が持てる。

今は私要(かなめ)の仕事があるので
母と別居するほうが先だけど、
計画的に仕事を他者に譲渡し、迷惑かけずに
自由になりたい。

できるなら病院や施設や医療従事者が不足
している土地に行きたい。
それが被災地でもお願いしたい。

きっかけにしたいとは行ったものの、
そんな土地に医療従事者として
入らせてもらうなら、
やはり、少しは心身戻しておかないといけないな・・・。

あ、ほら、やっぱり、そう考えるだけでも、
準備とか心構えとか、前進するきっかけになってる。

よどんだ生活から一つ行動を起こすきっかけに。

こんな人間でも戦力として必要だと
思ってもらえるように、
また考え直していこう・・・かな。

あーやっとキリがいいとこに着いた・・・。