随分ご無沙汰しちゃってます。

今年は桜の開花も早く、もう葉桜ですね。





その後の経過ですが、今年の2月に凍結胚をHR補充周期で移植し、無事にKLCを卒業することが出来ました。

今週で、妊娠4ヶ月になります。




不育症との平行の治療なので、新横浜の杉WC5日おきの新宿のKLCへの通院は、フルで働いている私にとって、悪阻も多少関係しているせいか本当に大変でした。

今後も杉先生のところへは通院予定なので、産院と併せるとず~~~っと2カ所通いです。



今回細かいホルモン値等は、もうこちらへは記録はしませんが

(余力があったら記載しようと思います)
5日毎の通院、8時間毎の投薬、12回のヘパリンの自己注射は楽ではありませんでした。

注射は出産ギリギリまで打つので、今も常に持ち歩いて、12時間毎に会社と自宅でお腹や腰に打つといった次第です。

当初、自分でお腹に注射を打つなんて、とんでもない!と思っていましたが看護士さんから「赤ちゃんのためだから」と言われると強くなれるものですね。

それでも注射の時間になると、やっぱり憂鬱ですけど。。。






3度の流産を経験していると、今回もまた?と常につねに不安でした。

杉先生のお陰ですが、アスピリンとヘパリン注射の併用でなんとか妊娠が継続しています。

自分が妊娠するなんて想像出来ずにいたので、今の状態はまだ信じられないくらいですが、白くピコピコと動いている心拍が確認出来たときは、言葉に表せない程の感謝の気持ちでいっぱいでした。

それから「こっちが頭でこっちがお尻ね」と渡されたエコー写真を不思議な気持ちでず~っと眺めていました。

この時期、診察に行くたびに、もの凄いスピードで細胞の分裂が進んでいるのですね。






不妊治療の最後の砦と言われるKLCでは365日お休みは無く、毎日約600人程の女性が

通院しています。

同じ気持ちで一緒に頑張ってる人が、こんなにもいるんだと思うと、とても心強かったし私一人じゃないんだと人数分の勇気をもらった気がします。

深刻そうな表情で話しをしているご夫婦や、奥様の肩をポンポンと撫でているご主人、笑顔で話をしているご夫婦。

600組分の物語と事情があります。

ネットでは、愛想が無いとか機械的など書かれたりしますが、先生や培養士の方々もとても優秀な方ばかりでした。

義理人情で慰められるより、愛想無くても事務的でも結果を出してくれる方が、高いお金を出している分、理にかなっていると思います。


大好きなK先生には、流産の時も不育症の検査の時も親身になって相談にのってもらいました。

私の事を覚えているのか分かりませんが「よかったね」と。

最後の病院の日はわがままを言って、K先生とお話をしたいと申し出たら快く承諾して頂けました。

そして、K先生に「ほんと良かったね、おめでとう」と笑顔で言われた時には、今までの辛かった出来事が報われたような気がしたのです。

泣きそうになった私を「今日はお目出度い日なんだから、泣かないで」て。。。。

嗚呼、私の人生、本当にこの先生に出会えて感謝しています。

お世話になりましたと心からお礼を伝えて、診察室を出ました。







このブログは不妊治療の記録として始めたので、これで終わりにしょうと思います。

私が色々みなさんのブログで調べたり、参考にしたように、どなかたのお役にたてれば嬉しいのでこのまま残しておきます。

現在の体調は、ムカムカしたり、においに敏感になったりと悪阻は多少あるものの、会社に行っている時は気が紛れて、楽な気がします。

ただ、食べ悪阻なのでしょうね。。。

お腹が空くと気持ち悪くなるので、常に食べてる気がします。

体重が大変なことになってます(汗)

まだまだ私もいつ何が起こっても不思議ではない状態ですが、この子の生命力を信じて、一緒に頑張っていこうと思います。

更新が無い限り、妊娠が継続していると思って下さい。





赤ちゃんを待っている女性の全てに、少しでも早く春が来ますように。








最後に。

天国にいるお婆ちゃん、マコちゃん、

そして、いつも傍で支えてくれる主人に感謝します。




20134月 春






































長文になります。

この度、このブログを暫くお休みすることにしました。
















理由としては、まだ妊娠の反応も出ていますし、

次の治療に入るまでにも数ヶ月の時間が掛かる事。

それと、この辺りでブログも一つ区切りをつけたいと思ったからです。

妊娠を諦めた訳でもなく、前向きなお休みをしたいと考えています。












近況ですが、その後、数値が中途半端に延びる状態が続きました。




「このまま胎嚢が出来てくると、手術が必要になる」




と言われ、覚悟はしていましたが、数日後に重い生理(正確には流産の状態)が来て、現在も極僅かですが出血しています。





2周期ぐらいはあけた方がいいとの事で、その間に不育症の検査等をしようと思っていたのですが、今回の流産は不育症からでは無いと思うとKLCで言われました。

前回の妊娠時(胎嚢~心拍)は、不育症の疑いはあるが、今回はそこまで行ってないのであくまでも卵の質という事になると。



確かにと思いました。








それと、不育症という概念はKLCではないようです。。。






3度も流産を繰り返すのだから、てっきり自分は「不育症」なのだと、勝手に決めつけていました。

なので、治療をすれば次こそ妊娠の継続が出来るんだと「勝手に」思い込んでいたのです。

それが支えで、治療にも前向きになれていたので、不育症の問題は無いと思うと言われた時、もう目の前が真っ暗になりました。






移植してもまた流産してしまうかもしれない。

移植しても陰性かも知れない。

凍結卵が複数あってもキリがない。





支えにしていた想いが無くなったその時、もう絶望的だと思いました。

拭いても拭いても涙が止まらず、先生も困ってしまったようでした。

目を真っ赤にして診察室を出るところを、大勢の人に見られている気がしてとても恥ずかしかったです。




そして、昨日も病院の日でした。

この日は大好きなK先生。

陽性の判定をしてくれた先生です。

その後の経過でも何度か診てくれていたので、不育症の事もお話していました。






「ボクは検査してみても意味あると思うよ」

「だって、3回流産してたら、次に移植するの怖いでしょ?」

「移植をしなければ、妊娠もしないからね」


ニコニコしながら気さくに応えてくれるので、不安に思っていることをどんどん聞いてしまい、20分ぐらいK先生を占領してしまったと思います。。。。

先生、面倒な患者でスミマセン


「治療の再開は経過が良ければ10月頃には生理が来るだろうから、その次の生理が来たら3日目だね」


お陰様で診察室を出る時は、晴れ晴れとした気持ちになれました。

今は妊娠反応がまだ出ているので、暫くはこの数値の経過を見ていくことになりました。

お休み中、不育症の検査もまずは受けてみようと思います。






そして今回、治療を続ける中で改めて感じた事があります。

それは、仕事をしいて良かったという事。

実家は商売をしていたせいもあって、両親は働きながら私と妹を育ててくれました。

自然と私も子供が産まれても社会とは接していたいと、ずっと考えていました。

確かに働きながらの通院は大変ですが、その分、本当に救われました。

いい環境、いい人達にも恵まれました。

3年前の最初の妊娠の時も、急遽1ヶ月近く会社を休んだにも係わらず、沢山の方に助けられました。

上司(年齢は私の1つ上:汗)には治療の事も伝えてあり、今回の妊娠の報告も早い事は解っていましたが、お酒の場を断る為に陽性判定をもらった事を伝えると、とても喜んでくれました。

その後、ダメになった事を報告したのですが、退社間際にボソっと



「マカが良いらしいから、飲めよ!  マ・カ!」




と言われ、今更マカ?!

ビックリしたと同時に、解らないなりに調べてくれたのかと思うと、感謝の気持ちで胸が熱くなりました。



言い方に語弊がありますが、仕事をしていると気が紛れ、病院で悲しい事を言われても、みんなと話しをしているとマイナスな事も薄れていきます。

家庭以外にも自分の世界が持て、社会の中で居場所があると思えるだけで自然と心も安定していました。

しかし、仕事がストレスになる方もいますし、こういう事はケースバイケースですが、私はこのスタイルが性に合っているようです。




そしてそして、そんな私の全てを傍で見ていてくれる主人がいます。

KLCに通っていたお友達全員が陽性判定をもらい、卒業していく背中を見ていて

「何で私だけダメなんだろう」って主人の前で大泣きしました。

すると


「私だけなんかじゃないよ、オレだって一緒だし、一人にはさせないから」


と涙を拭いてくれました。

5つ年下で、私より身長も少し小さいですが、デカいだけの私なんかより、人間的にず~っと大きく頼りになります(笑)

もっと若い奥さんをもらってたら、彼もこんなに苦労はしなかったろうと思うと申し訳ない思いでいっぱいです。

それでも、大丈夫だからと受け入れてくれました。

「一人じゃない」

今、私にとってお守りのような言葉です。






そして、ブログを通じてブロ友さんにはいつも励まして頂き、
本当に感謝しております。

そのお陰で何度も大きな壁を乗り越える事が出来ました。

有り難う御座いました。

これからもまだまだ、みなさんのところにはお邪魔させてくださいね。



一緒に泣いたり、笑ったり、リアルに見ていてくれた妊活仲間達へ。

お腹の赤ちゃんは私にとっても「希望」そのものです。

無事に出産できるよう心から祈っています。

是非、今度会ったら、お腹撫でさせてね!

いや、絶対触っちゃう(笑)






凍結卵は残り3個。

このブログで皆さんに経過をご報告出来ることを信じて、

いつかまた帰ってきたいと思います。


それまで、皆様、どうぞお身体お大事に。






テチチ



12月にハワイで知人の結婚式があり、随分前から予約をしています。

実は、その結婚式に妊婦姿で参加するのが、移植前からの私の小さな夢でした。

予定でしたら妊娠6ヶ月。

その計画は見事に崩れてしまいましたが・・・・

なので、この際サンセットを見ながら思う存分お酒を飲もうと思います(笑)

もう少しカラダを絞って、ビキニでも着ちゃおうかなぁ~なんぞ目論んだりしてます(笑)

唯一の負け惜しみ(汗)







































































































風邪でダウンしてしまい、暫く期間が空いてしまいました。

結論から書きます。












今回、ほぼ流産という結果になりました。

今日も病院でしたのでこの数日間の数値をまとめたいと思います。


■8月8日 (BT11)  

P4・・・・・・・・・・・・・・26.8

β-HCG・・・・・・・・・118.4


この日の時点に嫌な予感はしましたが、取り越し苦労も良くないと主人に言われたのと、

不安な気持ちをかき消す為に、というか、この想いを解決してくれる応えを見つけるために

病院を出た後、ふと本屋さんに駆け込みました。

何気なく開いた本に東尾理子さんの記事があり、そこに書いてある言葉に心が洗われた気がしました。


『どうなるか分からない未来の事にあれこれ振り回されて悩むのが大嫌い』

『それより今しかない時間を大切にしていたい』


そんな感じのことが書いてあったと思います。

スポーツ選手特有の彼女の性格もあるかも知れませんが、強いなと。

確かにそうです。

理子さんは同じ病院の卒業生ということもあって、何かの縁もあるのかも知れないと自分に言い聞かせて

落ち着かせました。



■8月13日 (BT16)

β-HCG・・・・・・・・・・208


この時点でこの数値の伸びだと、流産の確立が高いと言われました。

担当の先生はこの日もK先生でした。

『数値が良ければ内診しようと思ったんだけど、ちょっと低いからこっちに呼んだよ』

先生も申し訳なさそうに、かつ丁寧に説明をしてくれました。

が、

この日は流石に「何故?何故?何でまた?」と、受け入れることが耐え難かった時でした。

私の周りでも、陽性の判定をもらった友達ばかりで、私だけ一人取り残された焦りのような想いも

ありました。


3度目の流産。。。。。

不育症の疑い。

前向きに過ごそうと思っていたこの日までの数日間、それに反して不育症のことについて調べても

いました。

K先生にもその旨話してみましたが、その事を視野に入れて検査するのはいいことだと思うけど、

今の時点では、それ以前の問題だからまだ先だと言われてしまいました。


この日、主人と一緒に病院に行けたのが唯一の救いでした。

なかなか現実を受け入れる事が難しく、私一人だったら、どうなっていたのでしょうか。。

茫然と二人で会計を待っていると、主人の方が口を開きました。


『なかなか辛いね・・・・』


『・・・・・うん』


次の日から、実家に帰省の予定でした。

「無理して帰らなくてもいいよ」と主人が気を使ってくれましたが、予定通りに帰省。

親戚中で集まるのが恒例なのですが、従姉妹達夫婦にもぞくぞくと子供が産まれ、

その顔見せ状態になった中で、寂しくなかったと言えば嘘になります。

疎外感も感じる苦痛な時間に過ぎませんでした。

そんな中、この会の中心人物である叔父が私に言いました。


『お前は病院には行ってるんだろ?そういう想いがあれば絶対に願いは叶うからな、頑張れよ!!』

『何かあったら、いつでも相談しろよ、な?』


テーブルを囲んで40人程いましたが、各々が話しこんでる為、この言葉は私しか聞こえてなかった

かも知れません。

叔父には今回の事は何も話していませんでした。

が、それでも分かっていてくれてる。

その事だけが、私がここに来た意味があったと感じました。

私はその言葉を聞いて、泣きながら黙って首を縦に振ることしかできませんでした。


叔父はちょっとした「人物」で、やっぱりこういう人って何か違うなとしみじみ思った次第です。



■8月18日 (BT21)

β-HCG・・・・・・・・・506.7


この日はある程度覚悟はできていました。

先生はF先生。

F先生も好きな先生でしたので色々話しが出来ました。

やはり、この伸びだといずれそう遠くない未来に生理が来るでしょうとの事でした。

ただ、子宮外妊娠の可能性もゼロではないので、また5日後に嫌でしょうけど来て下さいと。


懲りずにまた不育症の話しをしてみました。

既に初診の予約もしていました。

それも予約日は来年の2月4日・・・・・・・


するとF先生はいきなり


『杉先生のところですか?』

『杉先生も開業されて2~3年経つかな』

『当時は紹介してくれって言ってきたけど、去年の末頃までは良く紹介してましたよ』

『けど、見てもらえれば分かると思いますが、みなさん年齢的にそんな半年も待てない人ばかりです』

『最近は、不育症で教授になった日医大の方に紹介してますよ』


この日はもう私の中では気持ちの整理も済んでいて、早く不育症の検査をして原因を見つけたい。

落ち込んでいる時間も無いく不思議と治療に前向きになっていました。

ですが、次の生理が来ない限り、その検査も受けれないので、やはり今は時間が必要という事でした。



お盆休みも、もう終わろうとしていますが、この休みに入る直前に、会社での暑気払いがあり、勿論、

飲んではいないのですが、屋形船という企画は最高だったのに涼しかったんですよね。

で、何となく喉が痛いなぁと思ってたら、あれよあれよと夏風邪をひいてしまいました。

そのまま夏休みに突入。

一気に悪化。

鼻水、喉の痛み、咳、身体のダルさ。

薬が飲めなかったので、本当に辛い時期の通院、帰省でした。

K先生の時点では、まだ薬は飲まないでと言われていたので、今日、F先生に風邪薬を飲んでもいいか

再度確認すると、もう飲んでいいとの許可がでました。

嬉しいのか、悲しいのか、今となっては複雑な想いですが、それで風邪が治まるなら正直ホッとしました。



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先ほど書いたように、私の中で辛い時期は過ぎました。

色々な計画はずれてしまいましたが、次こそは不育症とう問題を解決して、万全な体調にして

またお迎えに行きたいと思っています。


そして、みんなに続いて卒業、無事出産出来ることを目指して、また頑張ろうと思います。

ブロ友さん達や、友達には随分心配を掛けてしまいましたが感謝の気持ちでいっぱいです。

もう私は大丈夫です。