もちろん親父のものなんだが2代目のスポーツ・カブ。
南国市のSマートに停まっていた。
バイク1代目でおれが初めて乗ったのは、Ⅴベルトの変速機なしのラビット・ゲールという鈍重なものだった。
初めて乗った時、部落のはずれで角を曲がれず田んぼに突っ込んだ。親父に救助を頼みに走って帰ったっけ。
ホンダのスポーツ・カブは軽快だった。
中学生か高校生の時、これで走っていたらお巡りさんにとっ捕まった。「子どもが乗るんじゃない」と叱られただけで釈放。
あれから幾星霜、半世紀以上前のがまだ実働しているのか。
懐かしいじゃありませんか。
あれからまた幾星霜、無免許少年カミナリ族卒業し、ちゃんと2輪の免許を取り、ホンダのホークⅡという400㏄乗り回し、限定解除の免許取り、最後のスズキGS650G(刀)というわけ。
ま、単車は男のたしなみだわさ。
あんな愉快な乗り物はない。
馬よりいいんじゃなかろうか。
自転車に初めて乗れたときの愉快を想い出す。
おれは子供用自転車というのに乗ったことはない。
始めから親父の男用のものだった。
母親は自転車に乗ったことはないので婦人用はなかった。
三角乗りで始めたわけ。
こどもたちは自転車を、踏んだらモーターと言っていた。
いつかはバイクに。
親父が「こいつに乗ってみろ」と言ったのは、子ども用の自転車を買い与えなかった罪滅ぼしなのかもしれない。
少年老い易く金溜まり難し。
いまはな、自転車もないもんだから、寂しい。
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ヘンリー・ミラーの『冷房装置の悪夢』読みましたよ。
相変わらず仕合わせな気分になりました。
《いまはもはやわれわれは、虐げられているもの、家なきものを救いたいとも思っていない。》
《すべて防備は攻撃への挑発である。》
アメリカは世界に「完全無欠」を喧伝してるんですが、どうして、ほころびがいたるところにあることをミラーは見届けている。それも鋭い突っ込みでなく、嫌味や当てこすりでもなく、もちろんまごまごもごもごでもなく、柔らかく批評しているのが好みです。
<鋭さ>は、そりゃあいいものでしょうが、
年寄りには「もういいや」になってしまいます。
まっとうな批評というのがどこかにあるはずだ。
どこかにあればねえ。
大野晋『日本語の起源 新版』(岩波新書1994年)読みました。
日本語の起源については、アルタイ語系とか、インドネシア・ポリネシア系・オーストロネシア系とかいわれていたそうだが、大野さんは、南インドのタミル語との近似を言い立てている。
文法が似ているどころではない。
墓制、文字以前のグラフィティ、機織り、稲作に関する語彙、近親の呼称、アメ(天)、祭る、祓う、あはれ等の単語の相似、五七五七七の韻律等々、考古学の成果を援用して報告している。
ロードと道路は似ているから同系だ、みたいな、
偶合を付会するようなものではなさそうだ。
7000キロの彼方からどうやって日本まで伝わったか?
大野さんは当時の大型手漕ぎボートはあったと言う。
紀元前5百年から2百年あたり。
陸路をテクテク歩いて稲作や鉄器を伝道するよりはるかに容易だったろう。
にしても、やまと言葉を変容するには百人規模で数隻移住して来ねばその勢力は維持できまい。
言語学には興味なくても推理小説が好きなら、たいへん面白く読めるでしょう。コナン君はすべての科学の子どもである。
あとは頼んだ。
この古書店は亡き甥っ子から教えてもらったもの。
かたりあふ書店がなくなった後、彼が良く利用していた。
家から遠いので今まで訪ねなかった。
たしかこの辺だが見当たらない。
外装工事中であった。
10時開店までしばらく待った。
ヘンリー・ミラーの『冷房装置の悪夢』(新潮社 ヘンリー・ミラー全集9)を見つけた。
ここで遭ったが百年目。
購入。
読むんでしょうか。
読むさ。
早々にあたしの好きなセリーヌの『夜の果ての旅』が紹介されておった。
吉本隆明さんに「農夫ミラー」という詩があった。
勁草書房の吉本隆明全著作集の「定本詩集」を見たが、
それはなかった。1968年刊だから無理か。
農夫ミラーとはうまいことを言う。
ニューヨークからパリへと流れ歩いた都会人ミラーには、農本主義ではないけれど、ある種の原始または根源への郷愁がある。
ヘンリー・ミラー像の代わりに↑
クワガタ男あるいは洟たれ男。
すまん90度倒れてます。ほんま腹立つわ。