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ここ最近、連日独禁法に関するニュースが報道されています。
こんなことは今までなかったことです。
独禁法そのものがあってなきに等しいものだったからです。
つまり独禁法というリヴァイアサン(とても怖い怪物)は制定から60年近く冬眠していたわけですね・・。
とても怖い怪物でも冬眠していれば怖くありませんから、
日本においてはこのリヴァイアサンは無視し続けられていたわけですが(談合なんかやり放題・・。)、冬眠から醒めて起きてしまったら、無視するわけにはいかないということになります。
独禁法が頻繁に改正されるようになり、公取委の人員も増え、上記のように実社会において、独禁法が蠢きだしたを見ると、ようやく、60年近く眠ったままだった独禁法が息を吹き返したという感じがします。
独禁法は1947年に制定されているのですが(制定当初の世界的にみても革新的な独禁法を「原始独禁法」といいます)、1949年、1953年に緩和される方向で法改正されました。
そして、1953年改正法の枠組みのまま現在に至っています(以上につき、「独占禁止法」村上正博著 岩波書店 2005年 58頁以下参照。)。
緩和されたといっても、原始独禁法が理想的すぎるものだったので、米国独禁法(反トラスト法)並みになったというだけの話なのですが・・。
ですので、日本独禁法は、世界の独禁法と比べても遜色のないものではあります。
但し、つい最近までそのような立派な独禁法も、有名無実・形骸化されており、長い冬眠状態にありました。
第二次世界大戦敗戦による経済的な大打撃から立ち直るためには、競争政策を活発化させるよりも、準開発独裁的な政策が必要だったのかもしれません。
そういうわけで、競争を推進する独禁法・公取ではなく、長らく通産省が日本の経済政策ないし産業政策の主導権を握り、
通産省をはじめとする官が、貿易・直接投資等に介入し、企業に産業補助や的確な情報を与え、また過剰な許認可行政、通達、行政指導を武器として、
成熟産業や衰退産業からの資源を幼稚産業・成長産業に移転することを促進するというような政策をとりつづけていました。
いわゆる官・民・政が一体となった護送船団方式的な経済体制です。
このような政策はたしかに成功し、壊滅的な状態から、日本経済はめざましい復興をとげたわけですが、
こういう護送船団方式的な経済体制下では、競争を促進する独禁法や公取委はジャマになるわけです。
そういうことでつい最近までは、独禁法の運用は非常に抑制的になされていました。
独禁法を完全に殺すというわけにはいかないと考えたからかどうかはわかりませんが、不公正な取引方法規制を中心として消費者保護的運用が高度成長期における独禁法の用いられ方でした。
しかし、それは本来の独禁法のあり方(競争を促進する)とは180度違う形での運用の仕方であり、本筋ではなく、
事実上、独禁法は今まで死んでいたといっても過言ではないものだと思います。
(独禁法が死んでいたわけですから、当然日本社会の中にも、市民感覚の中にも、独禁法的、すなわち、競争促進的な考え方が芽生えてくるわけもなく、カルテル・談合当たり前、競争?何それ?状態の社会が常態化していたということです。)
しかしながら、高度成長期の終焉、経済のグローバル化の流れの中で、そのような準開発独裁的な日本経済のあり方が国際的に容認され続けるわけもなく、
大きな国際的な批判とともに、競争政策促進への圧力が内外からかかってくることになります。
また護送船団方式経済体制を維持するためには、優秀な役人や公機関を多く抱える必要があるわけですが、そのためには、当然潤沢な財政が必要となります。
しかしながら、大幅な財政赤字や負債を抱える中で、大きな政府を維持していくことも困難となりつつあります。
そういうことで、1980年代後半からようやく、競争政策が展開されはじめ、規制改革等を伴って競争政策促進が本格化してきたのは、1997年頃、つまりここ10年ぐらいで、今が、これから加速していく丁度そういう時期だと思います。
連日独禁法に関する経済ニュースが報道され、頻繁に独禁法改正が行われているのがその証ではないかと思います。
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