昨日、山形から九州熊本市に三日かけて車でやって来た。
今年4月14日に震度7を観測した熊本地震に見舞われた熊本市を、母国日本を愛する心で愛しなさいと神様が計らってくれた。
2011年11月に教会の公務を降りてから、いくつか職を転々として現在のハウスリフォームの営業の仕事に就いた。ようやく四年目を迎えている。
昨年、8月末にこのブログを始めてから、記事を書く事を条件として神様に捧げて営業に出る。すると、そんなに件数をまわらなくてもお客様に出会わせてもらえる。なので、難解で長く、読むのが嫌になってしまうような記事でも、毎日休むことなく記事を公開できている。地上に条件ができないと、聖霊は書くべきことを与えてくれないので、早朝から書き始めて夕方まで七転八倒しながら心情を捧げる時もある。でも、神様は営業でも私を裏切らない。新規のお客様を与えてくださる。
私の営業は、神様と霊界を信じている人でなければ理解できない。いや、信じている人でも理解できないかもしれない。
1992年に山形に環故郷して数年してから、ダスキンの仕事を始めた。ダスキンの創業者は一灯園という信仰を持っており、その信者たちで作っている小さな町もある。ダスキンに従事する者に信仰を進めるわけではないが、一灯園の修練所で一週間研修を受ける。そこでトイレ掃除をさせてくださいと、頭を下げながら一軒一軒まわり歩く実践の日がある。一日中まわり歩き、掃除させていただいた家の方から、何らかの施しがなければ、一日食べるものはない。
人に尽くさせていただくことが感謝になる。
その精神でダスキンの仕事をしようと思った。営業することなく、尽くす精神でお客様を獲得する。私が統一教会で行ってきた霊石販売や人参販売において、犯してしまった心情の罪を償おうと思い立ったのだ。救いの業だという人もいるだろう。お父様が救いのために世に出してくださったものを、私たちはまったく逆のものに歪めてしまい、信仰観を崩してしまったと思っている。マスコミにさえ暴かれてはいない、恐怖の展示会場の一場面一場面を、私の心情は忘れはしない。
「車一台をお店に独立開業しましょう」というキャッチフレーズでダスキンの仕事に就き、山形教会の教育部長になるまで、十年間続けた。工場で一月数十万円のレンタル料金になる所から、レンタル料金一月百円の掃除機だけのお客様まで様々であるが、変わらぬ心情で尽くさせていただく。毎月モップやマットの交換にうかがうお客様が四百件になり、山形の地を愛した条件が立ったのだろう。
「母国日本の勝利は、山形の地の霊界の解放からはじまる」という啓示を受け、その後、教区長から教育部長になって欲しいと願われた。
ハウスリフォームの会社の方針は、あくまでも利益を上げるためである。私もそのために派遣された。
しかし、私の営業の精神はあくまでも神様の御旨のためである。霊界を動かし、天一国天軍が働ける基台を造るためである。今日から熊本市の全ての家庭を訪問する。今年4月、震度7の地震の恐怖に打ちひしがれた人々の家一軒一軒を、もれることなく訪問する。
神様とともに、今日から全ての家を訪ねさせていただく。感謝、感謝、感謝・・・。