(ネトウヨ認定された)hokkのブログ

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危機に瀕する日本
全ては戦中・戦後の欧米、中韓による日本人極悪説のプロパガンダと自己反省する日本人性格による、自信喪失と物言わぬ日本人気質が招いた危機です。
理不尽な中国、南北朝鮮の批判には徹底した反論をしていくことは日本人として最低限の務めです。

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帰省します

前回親族が危険な状態だったんですがなんとか持ちこたえましたが

今回は危ういかもしれません

しばらく留守にします

天の下に皆、平等に助け合い幸せに生きて行こうと天皇を象徴に国のまとまりを最も意識して来た日本人、四方を海に囲まれた地理的好条件も手伝い、その思想と国体を継続し今に至る


元寇までは、海に囲まれた要塞に安心していたが元と朝鮮の連合軍が対馬で住民を虐殺し、博多に上陸し、日本の武士連合と一戦交えて、初めて日本は。危うい野蛮国家の隣に位置していることを痛感する


そこから国防意識が芽生え、時代に合わせて国土防衛を行ってきた


おふくろから聞いたことがある

昔は、子供が悪さすれば「ほら、モッコ(蒙古)がやって来るぞ」と子供を言い聞かせたのだと。子供からすれば、得体の知れない恐ろしい者と感じ、大人しくなると言う風習が根付いていたと。

つい数十年前までのことである


今は、その言葉自体聞くことはほとんど無くなった。

しかし、昭和の時代まで、元寇によって日本が脅かされた記憶を絶やさず、800年近くも一般民衆の中に、過去の戒めを伝え継ぐ風習があったのだ。800年続いたものが今、私たち日本人の代で、その大切な教えを一つ忘れ、捨て去ろうとしている。


それで良いのだろうか、先人が800年も続けて来た教えである


今の時代に特定国を批判し、ゆすりタカリばかりしている中朝と同じことをする必要はないが、先人が長らく伝えて来たことを捨て去ることは私は賛同できない。

少なくとも、言葉の意味を意識しなくても、子供を叱る昔から伝え継ぐ言葉として残すべきだと思う。そして、意味は知らなくとも、その言葉に興味が沸けば、そのいわれを調べて過去の重大な歴史を知るきっかけにもなる。


中華帝国の野蛮さ、恐ろしさを、そのような形で言い伝えてきた日本人

どんな時代になってもその警戒心は解くなと言う教えである

先人の教えは語り継ぎたい


朝鮮通信使の一人、金仁謙は日本に来て日本の国を見てどう思ったか?

人のものは自分のものと言う中華思想のエゴを正直に語っている。


朝鮮通信使、金仁謙の著書『日東壮遊歌』 ●1764年1月28日 京都

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街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ肥沃な農地が無限に広がっている
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。 この犬のような倭人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。

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発展した日本への嫉妬。まぁこれは人間ならあるだろう

しかし、日本を征服して朝鮮国にしてしまいたいと正直に語っている

もし戦前に日本と朝鮮の立場が逆ならば、朝鮮は日本を侵略し朝鮮通信使が願っていた日本支配を実現しただろう。しかし、実際は、朝鮮は国力を上げられず発展せず諸外国に翻弄されて終わったが、どちらが支配するか、されるかは、その時代は、国力のバランスで決まるのであって、それ以外の要素はほとんど影響しない。


たとえ、現在、特亜三国が世界の模範国家であり世界から賞賛される国であったとしても(まったく逆であるが)、過去は過去の歴史の事実として語り伝えるべきである。


現在でも、特亜三国は日本にとって、最も平和を脅かす存在である。中華帝国は、過去に民族差別思想と侵略思想で周辺国を侵略して来た野蛮国家であることは、きちんと将来へも語り継ぐべきである。


先人もそれを望んでいたはず。


先の東北大震災では、先人が過去の大津波が押し寄せた限界を石碑や神社の建立位置を持って将来の日本人へ伝えようとした。書物などよりも日本人が最もそれを破壊せず残すのが神社であることを理解し神社を標識に使った知恵は素晴らしい。しかし残念ながらその有難い先人の教えは十分今の日本人に伝わっていたとは言えない


それを語り継ぎ、数百年前のことでも昨日のことのように先人の教えを守る意識を持っていた地域の人々は、犠牲者が少なかったと言われる。



先人が将来の日本人に教え伝えようとした危険な出来事や災難の歴史は、忘れてしまえば、必ずしっぺ返しが来ると言うことを肝に銘じる必要があるだろう。


先人の教えは、必ずいつかは役にたつものばかりです。


先人への感謝とともに教えも大事にしましょう。

最後は、やはり、ここに行き着く


吉見義明氏 の「従軍慰安婦」


在日達が基本書と呼ぶ中の、日本軍を断罪する核心の文章


「みずからの意思で慰安婦になるケースは多くなかったと思われる。また、仮にあったとしても貸座敷という事実上の性的奴隷制度のもとで、そのような生き方しかできなくされたという点を重視しなければならない。
 その女性の前に労働者、専門職、自営業など、自由な職業選択の道が開かれているとすれば、
慰安婦
となる道を選ぶ女性がいるはずはないからである。たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ」


最初に、この吉見氏のこの文章を見た時、第一印象は

「なんだこれは!ただの苦しい言い訳にしか見えない」であった

これを書いた吉見氏の苦悩は中学生が読んでも感じるだろうと。


これが幾年も掛けて日本軍の慰安婦強制連行を調査し、犯罪であると決めつける文章だとしたら、これほどお粗末な文章は無い


上記慰安婦を「土方仕事」、仮座敷を「社会の末端の仕事」、性奴隷制度を「奴隷的日雇い制度」と置き換えてみてほしい


いわゆる3Kと呼ばれたようなあまり人がやりたがらない仕事はすべてに当てはまる


まずこの人は、この人自身が性職業に対する差別意識をはっきりと持っている差別主義者である


性的職業は太古の昔からあり、それを営んできたのは人間であり、悪徳と言う価値観を作るのもまた人間である


性に対する価値観も時代によって変化する

また同じ時代にあっても、国や民族で価値観は変わる


一夫多妻制が常識の国もあり、多夫一婦制が常識の国もある

一夫一婦制だけが善などと言うこともない

また、当時は、売春婦に限らず女性自身の地位がどの国でも総じて低く人権も極めて低い位置にあり、慰安婦に限らず、奴隷的に扱われる職業は多くあった


しかしこの教授は、性職業に関しては完全に固定価値観を持っている、そしてそれは悪徳であるという思考が強く出ている


-自由な職業選択の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはないからである-


何故、こんなことを断定できるのか?

現在の韓国が世界に輸出している売春婦は韓国内で職業選択の自由が無いのか?

またこれは韓国だけではない、日本人にも言えること。

「職業選択の自由な環境であっても成る人は成る」が過去および現在の現実から導き出されるのが解の筈である。


しかし日本軍を犯罪組織と主張するには、このようなアホな理論を言わなければならない


-たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ-


なんじゃぁこれは?っていう印象です

あなたはいったい何を断罪したいのか?

日本軍か?国そのものか?当時の社会悪か?


このような言葉を並べるのは、日本軍の犯罪を直接問える事実が無い場合に出てくる言葉である。


植民地と言う言葉を使って、日本の罪を意識付けたいようだが、墓穴を掘っている。


日本が統治しなかった場合、李氏朝鮮の国政がそのまま継続されたとしたらどうだろう。国民の半数近くは奴隷層であり、売春婦は奴隷層に位置し、売春婦は世襲され売春婦の子は売春婦にしかなれない。


この教授が国のせいと言うならば、日本は奴隷を解放し、これ以上ないほど朝鮮人の人権レベルを引き上げたことになる。実際そうだと思うが。


一貫してこの吉見氏の主張は、最初に日本軍の悪ありきで書かれている

そこから証拠固めをして断罪できる本を書こうと思ったが、その証拠や根拠はほとんどなく、貧困や失業、はては植民地そのものに罪の根拠を見出している


こんな展開を文章にするタイプは、アホサヨク学者と呼ばれても仕方ない文章である。中学生でも、そのいびつな論理展開を感じ、苦しい言い訳の様に感じるだろう


これを基本書と呼ばなければならず、崇めている在日や反日サヨクはご愁傷様としか言いようがない。



慰安婦問題につていカピパラ氏への返答含め話を進めたいと思っていたが、その間に竹葉氏、蓋身亭主人氏、それからカピパラ氏の追加コメントもあり、日韓基本条約の件も含め話が広がった


そして、この間に変わったのが、こちらの基本的姿勢が変化した

結論から言えば、「在日達と理解しあえるレベルには行きつけない」と言うこと

その理由は、ベースとなる考えにあまりに大きな違いがあるからである

そこで、記事の展開を変えて、少しまとめと、さらに言及したい点について書く


まず、国と国の条約である日韓基本条約に対する見解の違い


私は、国対国の約束事である条約を反故にする場合、昔なら戦争へ逆戻りであるぐらいの重大な約束違反であり、卑怯者と呼ばれても仕方ない行動であると言う認識


その点から在日、それを支持する日本人達と意見を交わした感想は、以下のタイプに分けられる


1)一方的主張型


  蓋身亭主人氏がそうであるが、現行の法律上可能であれば

  条約など一切関知しない。

  また交渉時の両国側の立場にあって考えることも

  拒否。自らの立場で主張することのみ主張するタイプ


2)情緒型


  条約の重みは理解しているが、それを反故にしても良い理由

  があればそうしてしまう考え方。そしてその理由は、

  いかにも自分達に都合のよい理屈であり

  その客観性や公平性に理は無く、あくまでも自分達の

  受け止め方で決まる

  竹葉氏がそうであったが、彼は、国際条約の重みを理解して

  いると言っていたがそれを破る理由が、相手側の主張が変わる

  日本がもとの約束事を無視していると言うものだ。

  日本は日韓基本条約の約束事を反故にした意見を言って

  いるのではない

  条約締結後何十年も経ってから、日本軍の強制連行と言う

  犯罪を作り上げたことに対してのそれぞれの見解がある

  だけで、日韓基本条約を否定するものは何もない

  言いがかりであり、明らかな条約違反である


3)法律追及&現実型


  カピパラ氏は、李氏朝鮮から日韓併合、独立とその朝鮮の

  歴史を比較的客観的に捉えている。

  在日達の仲では、もっとも公平な視点をもっている

  しかし日本が関わったことに関しては、他の在日と同じく、

  ヒステリックな被害者妄想に縛られているのは同じである。

  それでも彼は他の在日と違い、少しは感情抜きに

  物事を見ている

  韓国内で慰安婦追及の法案が通ったこと、それを持って

  法的に追及できる点を追及していくと言う考え。

  それであっても条約違反であることは、変わらず、

  卑怯者国家の名を甘んじて受け入れて進めるなら、

  それはありだろう。

  しかし、それでも、裏切られた日本側から見れば、

  大いに反論すべきところあり


  彼は法律に則り慰安婦追及を、「人道に対する罪」を

  持ち出している

  日韓基本条約では、その件は交渉から漏れていると。


以上、今回、在日側の意見もいろいろ聞けたが、明らかになったのは日本人には理解できない、日本人には受け入れ難い主張が多い。1)、2)タイプは、論議しても不毛であると結論した


では、カピパラ氏との話はもう少し突っ込んでみたいので、こちらから意見する


①卑怯者国家の名を甘んじて受けるか?


国と国との約束は、国にとっての最終決断であり、問題解決の形をつくり後世までそれを引き継がないことが目的である。例え犯罪事件が含まれようと、解決として問題を引きずらない為には、超法規的判断と受け入れが伴うことは当然である。それを国内法が許すとか時代の価値観が変わったからと言って条約を反故にするら、すべての国家間の条約などすべてが覆される可能性があり、国際秩序は保たれない


仮に竹島を日本と韓国で金銭支払いの条約を持って解決したとしよう

韓国が日本へ金銭支払いする。そして竹島は韓国のものと約束した国家間条約だ。その後に、日本人があの島をかつて所有していたとする日本人が、国内法では竹島に住居目的の家と建てることが出来るとした場合、韓国を相手取って、家を建てる権利の裁判を起こしてもそれは許されるのか?


条約締結で、お互い後になって法律では可能であるから、いくらでも断罪裁判を起こして良いとしてまとめる交渉などあるか?


それに反することをしていると言う自覚はあるか?


②「人道に対する罪」の有効性


条約反故の件は、置いておくとして

あなたは日本軍断罪の根拠に「人道の罪」をあげている

しかしそれが犯罪として国際社会で認識され、裁判で争われるように

なったのはいつのことだ?

日本統治の間に世界に認知され断罪されて来たか?

そうではない。

日韓基本条約交渉時も誰もそのような考えを持っていない、議題にもなっていない。後になって作り出した犯罪認識を過去に当てはめることは、事後法以外何物でもない。


たとえ漏れていたとしても漏らしてしまった国の責任になる。

あなたの主張は、まったく説得力が無いことになる。

そのことをどう思うか?


在特会に関しては、一歩引いた目で見ています

理由は歴史が浅いこと、そして少し日本人気質に合わない言動があることなどから。


少し簡単に論評してみたいが、あくまで個人的な考えです


◆在特会の良い点


 ・直接的表現と行動

  

  これまで戦後の一方的戦勝国側理論で反省するだけの思考と姿勢を

  強要されてきた日本人が、胸の内にある声をネットやデモと言う

  直接表現によって世間にその考えを主張する方法を取ったこと


 ・市民目線で公的機関への切り込み


  本来追及されるべき陰に隠れた在日優遇問題に切り込み

  直接公的機関に掛け合い議論し説明の場を作っていること


 会長は滑舌も良く、分かりやすい主張で、部分部分では賛同する

 日本人も多いと思われる


◆在特会の悪い点


 ・表現の行き過ぎ


  「殺せ、海に沈めろ」は、明らかに行き過ぎの表現

  日本人ならば、社会常識、法に従った主張をすべき

  言った言葉を実行したら犯罪になってしまう様な表現は

  罪に問われ無いとしても避けるべき


 せっかく賛同する日本人も多い筈なのに、

 この部分で離れて行く市民も多い筈

 表現方法で支持を得られないとしたら、勿体ないことで会としての

 目的も達成できなくなる


以上ですが、現在最も気になることは

会を大きくしたのは、これまでにないネットをフル活用した過激な表現と直接行動などが要因で注目を集めたと思うが、会に限らず、勢力や組織が大きくなって成長していく過程には、その段階に見合ったやり方や考え方があるべきであり、それをはき違えると破滅、衰退の道に向かうのが自然の理です


最初に注目集めたのは、これまでにない表現と行動が目を引いた要因で、これは良くあるパターンで、第一ステップの世間一般に認知される段階が終わった


次は、会の本当の目的を広く認知させることと、長く支持される基盤を作ること

世の多くの新興勢力がつまづき、消滅するのはこの2段階目でとん挫することが多い


この第二ステップでやっては行けないのは第一ステップで成功した要因に拍車を掛けてはいけないと言うこと。つまり、世間の目を引く過激な表現や直接行動を第一ステップ以上に推し進めることが第二ステップの成功に繋がると思ってはいけない


日本人は多元価値観民族ゆえ、最初に注目を集める手段は、はっきりいれば何でも良い

中身よりも注目を引くネタがあれば良い

面白いこと、変わったことには、とりあえず日本人は飛びつき、興味を示す

ただし、その後が大変

同じことの繰り返しでは、まず興味や賛同を得られない


在特会が、もし、第一ステップで成功した要因を第二ステップでもやろうとすれば、おそらく失敗に終わるだろう


表現の過激さに拍車をかけ、直接行動を手当たり次第に広げるだけでは市民の支持は増えないどころか減ると思われる


第一ステップで成功した要因は第二ステップ成功の要因とはならないどころか、逆にマイナス要因になることの方が多いと言うことを考えてほしい気がする。現在を見ていると、私が望む方向には行ってないように見える


第二ステップは、市民に対し、会の目的をさらに詳細に分かってもらえる努力と、今後広く長く支持される様に、デモや討論会に一人でも多くの一般市民が参加しやすいような下地作りをすべきではないかと思う


法やルールに則り、一般市民が口に出来る表現方法で行うデモであれば、女性や子供でも日の丸掲げてデモに参加できるような、そんな会になってほしいのだが、現在はとてもそのような雰囲気には見えない。


おそらく在特会の人間であれば「そんな甘っちょろい考えでは何も変わらない」と言う反論が浮かびます。しかし、会の目的を達成できず消滅していく様では、それこそ何も変えられない結果になります。


第二ステップは最終ステップに繋がる全ての勢力にとっての鬼門です

駅伝で第2区が”花の2区”と呼ばれる重要さは偶然ではありません。