妻が他界した時に葬儀は仏滅であった。
此れはお寺に話したら仏教に於いて六曜は一切関係が無いと言う事であったので自分は本来迷信的なものは信じないし大嫌いである。人が自由に生きて行くのにあたって何で神とか訳の分からないものに自由を束縛されなければ成らないのか非常に腹立たしい。こういうものは家を新築する時も尤もらしく家相がどうのと言って自分の思いどうりに成らない事も在った。自分でじぶんの家を建てるのに何で指図されなければ成らないのか・・・・・・和尚さんが云うにはそういうものを非常に気にする人が居るから問題なので仏教的には何の問題も無いと言う答えだったので仏滅に行った。案の定何のかんのと言う者が居たが世の中にはそう謂うもので動いている人間が沢山居る事に改めてびっくりした。そう言う人は六曜が無ければすべての行事は出来ないのであろう。
何かに頼らなければ心配なのであろう。どんなに六曜どうりに行っても上手く行かないものは行かないのである。もしダメな時は誰が責任を取るのか・・・。
明治6年11月には禁止令が出されている。
以下フリー百科より
六曜(ろくよう・りくよう)は、暦注 の一つで、先勝・友引・先負・仏滅 ・大安・赤口の6種をいう。
日本 では、暦 の中でも有名な暦注の一つで、一般のカレンダー や手帳 にも記載されていることが多い。今日の日本 においても影響力があり、「結婚式 は大安がよい」「葬式 は友引を避ける」など、主に冠婚葬祭などの儀式と結びついて使用されている。
仏滅や友引という、仏事と関連のあるように見える言葉が多く使われているが、仏教とは一切関係ない。仏事と関連のあるように見える言葉が多いのは、まったくの当て字による。釈迦は占いを禁じている。また、浄土真宗 では親鸞 が「日の吉凶を選ぶことはよくない」と和讃 で説いたため、迷信、俗信一般を否定しており、特にタブーとされている。仏教においては本質的に因果関係によって物事が決まり、六曜が直接原因として物事を左右することはない。
葬式を連想させるお寺。
お寺って何なんだろう、本来寺は葬儀だけを行なう場所では無かった筈。
最近葬儀は葬儀屋の運営する会館で行うのが多くなってきた。
昔は自宅で通夜を行い葬儀はお寺で行ったものだ。時代と共にいろいろ変化して行くものでしょう。
想えば結婚式も昔は自宅で行って居たのだがいつの間にか結婚式場やホテルが主役に成って来た。ひと昔前は【式は神前、葬儀は仏前】から、式はチャペル、まだ葬儀は仏前が多いがいずれ此れも多種多様に成って来るのだろう。
要望に応じて、お坊さん、神主、神父、と出張して来る様になった。
なら、お寺(寺院)や教会、神社は要らない?いや、しかし葬儀や結婚式だけが世の儀式ではないのである。それぞれに於いて儀式なるものが有るのである。
生まれるとお宮参りや七五三など神社で、四十九日、百か日、一周忌、三回忌などそれぞれの宗教でそれなりに在るようだ。
最近お寺離れがおきているようだが・・・・・・・・・・・・・・・・
お坊さんが言っていたが葬式をして欲しいが戒名は要らないと言う人が結構います戒名のあり方が一般に正しく行われず、葬儀のお布施(葬儀料)とは別に【戒名料】を要求する寺院が多くなったためと思われます、
その為戒名を付けると葬儀費用が高く成ると思い戒名は要らないという発言に成るのでしょう。
当寺院は仏教寺院ですので葬式では必ず仏教徒としての名前(戒名)をつけて最後の送りをします、しかしお布施(葬儀料)とは別に戒名料を請求しません。戒名をどの様に利用するは、喪主の考えなので戒名をその後利用しない方もいるようです。との事でした。