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今どきの高校生がどんな感じなのかを伝えつつ、全年齢の方が読めるよういわゆる現代語は控えめに紀行文風のタッチで合宿で見知らぬ街を旅するワクワク感や何気ない物思いから垣間見える青春時代独特の感情などの心情描写などをメインに描いています

あるある話を入れたりと共感できる内容に仕上げました

※一般読者の皆さん、お久しぶりです。マニアックな内容なのでスルーしてください






~そこにみんながいるから~


子供の頃、旅先の車窓というのは最高のスクリーンだった。そのスクリーンに写し出される見知らぬ街の光景や、初めて見る雄大な自然の景色は、当時大好きだったアンパンマンや仮面ライダー以上に、幼き日のオレの目を釘付けにした。

そういえばいつからだろう?窓際に座りたいと強く思わなくなったのは?そんなオレ、月島朔(つきしま・さく)の思考はスマホのバイブ音によって中断された。スマホのディスプレイを見るとラインの着信通知、他校の悪友からだ。

合宿頑張れ
遭難するなよ(笑)

悪友からの冗談めかしたラインに妙な安堵感を覚えるのは、これから挑む未知の高峰に無意識に緊張しているからだろうか?

オレは今、山岳部の部員たちと夏合宿先である南アルプスに向かっているところだ。もう少し詳しくいうと南アルプスの北岳をはじめとする山々、それらを縦走するのが今回の夏合宿の山行計画だ。初めての本格的な登山にビビってないといえば嘘になってしまう。アルプスっていうとどうしても、ベテラン向けの山域で、初心者が軽い気持ちで踏み込んではいけない遭難多発山域というイメージがある。ネットカフェでいっき読みした『岳』とかでもそこを舞台とした凄惨な遭難シーンが多々あったからなおさらだ。

いつも思うのだが、遭難するなよってセリフ、山岳部であることを誰かに明かすと必ずといっていいほどいわれるよな。仮に『山と渓谷』のような山岳雑誌で山岳部あるあるランキングをやったとしたら

遭難するなよと冗談半分に友達にいわれる

が堂々の1位だろう。2位は、泊まりでの山行で朝シュラフを畳むのがめんどくさい、スパッツの靴底を通すゴムがよくとれる、疲れてくると肩が痛くなりつい腕を組んでしまうけど、両手がふさがって危ないからとそれを注意される、登りが得意なやつと下りが得意なやつがいる(うちの山岳部は下りが得意なやつを『下山部』と呼んでいる)のどれかだろうか?3位はテントから謎の異臭がする、とか?いや、それはうちの山岳部だけか。

それはそうと、今が青春なんだから移動は青春18切符だー!などといって移動手段を電車にしたのは顧問の先生の判断ミスではなかっただろうか?

今回は縦走登山だからテントをはじめ、必要なものを全て持たなくてはならないし、それを1つのザックにまとめないといけない。そのためパッキングは難しかった。普段の泊まりでの山行では、ふもとのキャンプ場に泊まるため肝心の山行のときテントは、マイクロバス(うちの山岳部は顧問の先生が運転するマイクロバスで移動、マイクロバスは吹奏楽部と共用のため汚れたりすると掃除しないとだから大変)に置いていっている(代わりにスペースをとらない重りを詰める)からなおさら。まあ今回の合宿でパッキング記録が潤うから今回の苦労は無駄にはならないだろう。

ちなみにうちの山岳部では計画書に『パッキング記録』というページがある。ある部員が考えたアイデアで装備1つ1つに①、②…と番号をつけ、次にザックを模した図に①がここ、②がここと位置関係を記入する。こうすることで何がどこに入っているか一目で分かるのだ。さらに一工夫で重要な装備を蛍光ペンで色分けしたら使うときにより分かりやすい。また、記録をとることでこのパッキングは使いやすかった、このパッキングはバランス的にはいいけど物が取りだしにくかったなどといった感じにあとで参考にすることもできる。パッキングのセオリーなら本やネットを見ればいくらでも手に入る。もちろん初心者のオレらはセオリーもバカにしてはいけないが、やはり大事なのはやはり実際の経験だと思う。セオリー通りにやってもセオリーには書ききれない細かい工夫は経験でしか学べない。そしてその経験がオレらの山岳部には足りない。

オレらの山岳部は、数年前に部員がいなくなり書類上にしか存在しなかったところを今年の春に部員が入ったことで復活した、という経緯ゆえ1年しかいない。そんな駆け出し山岳部だが、各自がアイデアを持ちよってより強い山岳部を目指している。たとえば、中学時代水泳部だった部員は、装備にセームタオルを取り入れることを提案した。セームタオルとは特殊な素材でできた水泳用のタオルで絞れば吸水性が復活し、何度でも使える。雨の日のテント泊には重宝している。

交遊関係が広い、元サッカー部の部員と元バスケ部の部員は、学校で開催された交通安全教室のときに全生徒に配られた反射材のストラップをクラスのいらないという子からかき集めてきてくれた。このストラップはテントの袋といった小物類につけられ、夜のテントサイトや朝暗いうちに撤収作業を行うときといった場面で小物類の紛失防止に役立っている。反射材のストラップをつけておくことで、何かのはずみで小物類をなくしてもヘッドライトでその辺を照らすだけであっという間に見つかるのだ。もっとも小物類はデポしたザックの真ん中に詰めこむのがセオリーだからこのアイデアが生かされるのはオレらがミスをしたときになってしまうが。

あと意外にもといっては失礼だが、一見登山には関係なさそうな元文化部勢も活躍してくれている。ある元パソコン部の女子部員は地図ソフトを使って概念図や高低表(距離と獲得標高をグラフみたいに表したもの、行程表って表記してる山岳部もあるらしい)を作ってくれたり、料理が得意なある女子部員はパサついて食べにくいトレイルミックスを蒸しパンケーキに混ぜてオリジナルの行動食を作ってくれたり、といった具合にだ。ちなみにこのトレイルミックス入りのパンケーキ、これはけっこうおいしいということで文化祭で売って一儲けを狙っているのだが、学校によっては文化祭での食べ物の提供に関して規制が厳しいところがあるからうちの学校の規制次第だな。

もっともこれらのアイデアのほとんどは、先に同じことを考えた人がいてネットか何かで発信されたり雑誌に載ったりしているかもしれないが、そんなことはあまり気にならないし、気にする必要もないだろう。オレらは特許争奪戦をしてるわけではない。目的は駆け出しの山岳部を強くすることだ。オレらの山岳部は1年しかいないため、古い考えや習慣にとらわれず新しいものを取り入れられる柔軟性のようなものがある。1年しかいないのは、経験という面においては弱みなのかもしれないが、部員のやる気があるという条件を前提とするならある意味で強みなのかもしれない。

だいぶ話がそれたが、移動手段の選択ミスという話に戻そう。オレら山岳部は早朝に地元の駅に集合して移動を開始した。行き先は今夜の山梨県の甲府市、到着は夕方から夜とのことだ。鉄道オタクではないオレらにこの長旅はキツい。ましてやオレらは荷物の量が平均的な旅行者ではないことを考えないといけない。

フル装備の登山者と朝の電車は相性が悪すぎた。電車はほぼ始発だったから席には座れたのだが、あれよあれよといううちに満員に。こういうときは登山者のマナーとして他の人に迷惑をかけないようにザックは膝の上に置くわけだが、必要な装備を詰めこんでパンパンになったザックは膝を容赦なく押しつぶすこととなる。かといってラッシュだから立ち上がることもできないわで、けっきょく終点までいつかの時代の拷問を受けている罪人みたいな様相で耐えるはめになった。

今乗ってる電車は特急ではないもののボックスシートで足元にザックを置く余裕があるから楽でいい。部員たちもおそらく考えていることはオレと同じだろう。

さて、きりがいいしここで部員たちを紹介するとしよう。同じボックスシートのオレの隣の席で外を見てる女子が仲西羽美(なかにし・うみ)。どんなやつかはそのうち分かるとして、向かいの席でテキスト片手に問題を出しあっている男女が浦風結李(うらかぜ・ゆうり)と矢神颯(やがみ・そら)。

この2人はオレや他の部員たちが通う普通科よりワンランク上の特進クラスの男女。巷には頭いいやつは少し変わってるなんて通説があるが、この2人の場合それは当てはまる。

男子の方、浦風結李は軍事オタク。山岳部に入ったのも、やってることがほぼ陸自だからという理由だ。彼の個人装備の配色がやたらと目立たない色なのは決して偶然ではないのだ。そんな彼はアウトドアショップでも真っ先に手に取るのは●●軍でも採用!みたいな売り文句の軍用品ばかり。彼いわく軍用品は性能がよくて丈夫、大量生産されるから価格も安くなりやすいのだとか。彼が『軍事オタク』なだけに『マシンガントーク』で力説してくれた知識だ。あと彼のザックが『オスプレー』なのは彼が軍事オタクなのと関係があるのだろうか?

そして女子の方、矢神颯はお嬢様っぽい雰囲気の優等生女子。結李は模試の県ランキングの常連だが、彼女は模試の全国ランキングの常連。今でこそ山ガールにジョブチェンジしたが、後述する理由により山岳部に入る前はインドア系のオタク女子だった。

今日の彼女は、冷房の風が首筋に当たるのが嫌という理由で髪をおろしているからいっそうお嬢様っぽい。そして妙に晴れ晴れとした様子でいつもよりイキイキしている。厳しい家から解放されてせいせいしているのだろう。

彼女は家が厳しくて小さい頃から勉強やら何やらに縛られていた。やりたい習い事もやらせてもらえていたそうだが、ピアノや書道といったものばかりで運動はやらせてもらえなかったそうだ。オレ的には今どきこんな箱入りお嬢様が実在したことに驚きだ。テレビ番組から聞きかじった話だが、頭いい子を育てるには、習い事は静と動をやった方が脳科学的にもいいってどこかの脳科学者もいっていたし、習い事をインドア系に限定された理由が分からない。もしかしたら教育のためにいい悪いみたいな理由でそうされたのではなく、単に過保護なだけかもしれないが。

実は行動的で非日常的なスリルを常に求めている彼女にそのような生活は非常に退屈だった。そんな彼女は満たされない非日常的なスリルを小説やアニメといった創作の世界に求めていたため、高校での部活は文芸部に入る予定だった。ところが部活見学期間のある日、山岳部の宣伝ポスターを偶然目にし『小さな頃抱いた憧れ』を呼び起こされてその場で入部を決めたんだとか。『小さな頃抱いた憧れ』とはいわゆる冒険への憧れ。彼女が小さい頃見ていたアニメには旅や冒険をする話が多く、山岳部は冒険というとオーバーだが、シチュエーション的にはそれに似ている。たしかに冒険への憧れというのは誰もが潜在的に持っていると思う。小さい頃見るようなアニメは旅や冒険への憧れを無意識に植え付けてくるからね。オレも小さい頃、そういったアニメのみんなでたき火を囲むシーンとか野宿しながら星空を見上げるシーンとかを見て幼心に憧れたものだ。

ただ冒険への憧れはいいのだが、彼女はなんでもない『旅』を『冒険』にしてしまいかねないところがあるので取り扱い注意だ。退屈な暮らしの反動なのかたまにとっぴもない行動をとるところがある。エピソードを1つ挙げると、ゴールデンウィークに春先の残雪が残る山に行ったときのこと。春先の残雪が残る山というのは木々が雪に埋まってしまっているため視界が広い。スキー場のような景色が開けた尾根を進んでいると、すぐ近くの沢に熊の姿を発見した。沢はオレらがいる尾根からはるかに下、距離にして優に400~500メートルくらいあったからわざわざ尾根を登ってこっちには突っ込んでこないだろう、そうは分かっていても部員たちは初めて見る熊に驚き、混乱した。彼女と結李を除いて。

結李は持参した迷彩色の双眼鏡で熊を観察し始め、彼女は憧れの芸能人にでも会ったようなテンションでカメラを構えるとゲームのボタンを連打するかのように、シャッターを切りまくった。あげくに彼女はもう少し近付いて撮りたいなどと言い出し顧問の先生からツッコミという名の説教を嫌というほどくわえられることとなる。のちに彼女は

フラッシュたいたのはまずかったかな?熊を刺激しちゃうし

などとマジメな顔で反省していた。いや、たしかにそれもあるだろうが、先生が怒った理由はそこじゃないと思う。

やっぱ頭いいやつは変わってる。頭の使いすぎで頭のネジが何本か飛んでしまったのではないだろうか、という話はさておき、この2人の共通項は非日常的なスリルというか刺激のようなものを求めているところだろう。そのせいか妙に気が合うらしくよく行動を共にしている。この前なんかフリークライミングだかボルダリングだかの体験に行って、2人仲良く『かけ落ち』ならぬ『崖落ち』してたみたいだし。余談ながらこの2人はあくまで仲のいい友達であり恋仲ではない。

部員の紹介を続けるとしよう。通路を挟んで向こう側のボックスシートで仲良くスマホでワンセグを見ている男子2人は、部長の船坂友希(ふなさか・ゆうき)、キャプテンの山本健斗(やまもと・けんと)。この2人は野球部やサッカー部、バスケ部といったメジャーな球技系の部活にいそうな風貌をしてる。というか2人とも中学のときはそれぞれサッカー部、バスケ部だったしね。普段の行動もどこかそれっぽい。誰かにお礼をいうときは『あざます』だし、体育の授業では『ヘイヘイ!』とか『マイボマイボ!(マイボール、つまりこっちボールだと主張している)』とか大声で指示を出すし、休み時間にはワックス片手に髪をいじりながらトイレの鏡とにらめっこしているし、生徒手帳の証明写真の欄にあたる位置にカバーの上からプリクラを貼っている。もちろん、メジャーな球技系の部活の人の全部がこういう行動をしているわけではないが、オレの中ではだいたいこんなイメージ。あくまで勝手なイメージだからあしからず。
『ああああ!何やってんだよ○○(選手名)~!』

『ったくマジ使えねー!!』

友希と健斗は画面の向こう側の誰かにヤジを送っている。思い通りにならないとやたらと白熱してキツい言葉で誰かに文句をいうのが、彼らみたいなタイプの人間の悪癖だと思う。彼らみたいなタイプの人間って気さくで細かいことも気にしないいいやつなんだけど、少し血の気が多くて怒りっぽい。画面を見てないから分からないが、彼らのリアクションから推測するに彼らが応援してる高校野球チームがピンチなのだろう。

そんな彼らをアンタらうっさい!と黙らせた女子が乾紗季(いぬい・さき)。友希と健斗も彼女には頭が上がらない。健斗は、はい、吾郎さん(夏に放送される本当にあった怖い話で定番のセリフ)とタイムリーな返しをすると押し黙り、友希も謝るようなジェスチャーをしながら押し黙った。今の行動から分かるように、彼女は強気タイプの女子。すごく分かりやすいたとえをするとクラスの中でも権力があり、合宿コンクールやその他の行事でマジメにやらない男子たちに

ちょっと男子!ちゃんとやってよ!

とかいいそうなタイプ。山岳部の書類上のリーダーは友希と健斗だが、裏の実質的なリーダーは彼女だといっても過言ではない。彼女はただ威勢がいいだけではなく実際、リーダーとしてもかなり有能。現に彼女の指示でテントを張ると、アウトドアメーカーのカタログ写真に使えるくらいきれいに張れるのだ。

そんな強気でリーダーシップもある彼女だが、自分が男勝りで女子に必要とされている要素、おしとやかさや女子力がないことを内心コンプレックスに思っているようだ。そこを友希に見抜かれていていいようにのせられることもしばしば。たとえばテント泊でカレー作ったとしよう。しかし友希はカレーを盛りつけるのがめんどくさい、そんなときに友希が

紗季、ここはお前の女子力を見せてくれ

みたいなことをいうと、彼女はノリノリでやってしまうのだ。アタシ、女子力最強だから、などとしたり顔でいいながら。したたかさに定評のある彼女が、こんなオレオレ詐欺よりあからさまな手口にホイホイのせられる様は見ていてちょっとおもしろい。いや、もしかしたら彼女は友希の役に立ちたくて知ってて騙されたふりをしてるのかもしれない。ここだけの話だが、彼女、友希と付き合っている疑惑がある。あくまで疑惑であってその真偽を彼女に聞く勇気はオレにはない。そんなことを彼女に聞いた日には、アルプスではなく恐山にいくはめになりそうだから。てかここまで話してからいうのもなんだが『女子力』ってけっきょくなんなんだろう?

部員は以上だ。次に、顧問の先生を紹介するとしよう。顧問は、顧問、副顧問という2人体制。

オレらの後ろのボックスシートで楽しそうに山岳雑誌を読んでいるのが、顧問の多田龍二(おおた・りゅうじ)先生。どんな先生か一言で言い表すと熱血教師。温暖化の原因は多田先生だ、などという冗談があるくらいだ。この時代に熱血教師ってエベレストに挑んだ某珍獣ハンターに捕まるくらい珍しいと思う。ただ多田先生も

今日からお前らは富士山、いや、エベレストだ!

などと冗談とも本気ともつかない口調でいって部員たちを凍りつかせたりと熱いのか『お寒い』のかいまいちよく分からない。そんな多田先生だが、登山はガチなベテランらしい。地元の山岳連盟にもポストを持ってるらしいからね。

その多田先生の隣で今回の合宿の計画書をチェックしているのが副顧問の長嶺凜(ながみね・りん)先生。よくも悪くもフレンドリーな女性教師。まだ二十代という歳のせいもあってか、先生というより塾講っぽい。現に採用されるまでは塾講のバイトをしていたらしいから、こちらが受けた印象は間違ってなかったといえる。男子たちからは陰で『長嶺ちゃん』と呼ばれているが、別にナメられてるというわけでもないだろう。若い女性教師の男子の間での非公式な呼び名が名字+ちゃんなのは高校あるあるだし。

このような部員たちと顧問の先生でオレら山岳部は絶賛活動中&新入部員も随時募集中だ。

電車は県境を越え、東京都内にさしかかったようだ。車内アナウンスでも、ときおり聞いたことのある地名がチラホラ。乗り換えの繰り返しで意識していなかったが、いつの間にか電車のドアも押しボタンじゃなくて自動になってる。ちなみにオレらの地元は電車のドアは押しボタン式だし、電車自体も4両編成、場合によっては2両編成と短いから、ときおりすれ違う東京の電車の長さにはびっくりさせられる。それ以上にびっくりさせられたのが、水平線の向こう側まで灰色、つまり建物がびっしりな関東平野の景色。コンクリートジャングル、誰かが東京をそう呼んだようだが、まさにそれだ。電車がビル街を通りかかったところで羽美は冗談とも本気ともつかぬ口調でいった。
『うわっ…この辺コンパスもGPSも使えなそう。』

『樹海じゃないんだから。』

『ウチ、ここで迷ったらヘリ呼ぶわ。うん百万円はアンタが払って。』

なんで迷ったらヘリ?と何も知らない人が端から聞いたら思うだろう。これはいわば登山部ジョークだ。登山をしたことある人間なら誰かから聞いたことがあるだろう。遭難して救助のために民間のヘリを飛ばすと何百万もの代金を請求されるって都市伝説じみた話。これはまったくの嘘でもないらしいが、救助に携わる民間のヘリ会社ってもう存在しないって話を何かで見た記憶がある。それとさっきはああいったが、樹海でコンパスとGPSが使えないというのはただの都市伝説だ。結李いわく自衛隊はそこをコンパスと地図だけで踏破する訓練をしているらしいしね。

しばらくして電車は大きな駅に停まった。なかなか出発しないことを疑問に思ったがあとに流れた車内アナウンスによると特急の通過待ち、それから各停との待ち合わせをするとのこと。待ち合わせや通過待ち、こんな言葉もオレらには新鮮だ。オレらの地元は待ち合わせや通過待ちするほど電車が走ってない。また、都会=緑が少なくて暑いというイメージのせいだろうか?開け放たれた電車のドアから吹き込んでくる夏の風は心なしか地元より熱く感じられた。あと東京の電車の区分ってたくさんありすぎてよく分からないよな。特急が一番早いというのは分かるけど、快速と急行ってどっちが早いかイマイチよく分からない、そんなどうでもいいことを考えながらボーっとしてるオレの横で羽美は開け放たれたドアの向こう側をガン見している。
『どうしたの?』

『ん?●●くん(羽美が好きなジャニーズメンバー)がいないか探してるとこ。』

『いるわけないだろ(笑)』

『だってここ東京だよ。もしかしたら●●くんとか××(羽美が好きなジャニーズグループ)のメンバーとかいるかもしれないじゃん。てか東京ヤバいね!みんなオシャレだし

…あ!あの人ちょーイケメンじゃない?』

羽美はやたらハイテンションでマンガだったら語尾にハートマークがつくような口調でそんな話をオレに振ってくる。そんなことは快速と急行どっちが早いのかって話以上にオレにはどうでもいい。

東京で芸能人との遭遇を期待する。東京に住む人にこんな話をしたらこれだから田舎者は、と一笑にふされるだろう。だが、彼女の気持ちも分からなくもない。田舎に住む人間にとって東京は、少し古い表現になるが『ブラウン管の向こう側』なのだ。テレビ番組ではたいてい、東京を象徴する景色と共に今をときめく芸能人たちの姿が映し出される。だから、東京に芸能人がいるかもしれないと期待してしまうのも無理はない。

電車が再び動き出すと、オレにどうでもいい話を振ってきていた羽美は話し相手を颯さんに変えた。
『颯さんって日焼け止めとか持ってきてる?』

『私?あるよ。』

『ウチ持ってきてない。朔でさえ持ってきてるというのに。』

『え?ないとヤバイから甲府で買いなよ。高所は紫外線ヤバいから。買えなかったら私の使う?』

颯さんはそういってザックから妙に高そうなデザインの日焼け止めを引っ張り出した。
『やっぱないとヤバいんだ。それ虫寄ってくるんじゃないの?』

奇しくもオレも同じことを聞こうとしていたとこ。香りつきのやつは虫が寄ってきたりハチを刺激したりするから山では原則NGなのだ。うちの山岳部では風呂に入れないテント泊のときには、風呂の代わりにボディーシートを使っているのだが、香料が入ってるものは避けて無香料なものを使っている。しかし羽美がためしに数滴手にとった日焼け止めからはフルーツ系の香りが、少し離れたオレの位置からでも感じられた。
『大学のワンダーフォーゲル部で山ガールやってるって人のブログを見たんだけど、なぜか大丈夫だったって。あとこれ汗かいても流れにくいみたい。』

情報源としてブログ(アフィリエイトじゃないやつね)を選ぶあたりがさすがだなと思う。ネットから情報を引っ張ってくるだけなら誰にでもできるが、颯さんの数あるネット情報の中から使える情報を選別する能力には定評がある。お気付きだと思うが、先述の元パソコン部の女子部員とは彼女のことだ。
『へえー。てかウチなんか地黒だから日焼け止め塗ったところで今の黒さは変わらないしな~あ~白い颯さんがうらやましいよ。』

『大丈夫!羽美ちゃん、黒は女を美しく見せるよ!魔女宅でもいってたじゃん。』

『嘘だぁー!それかわいいは作れるってCMくらい信用できないんですけどー!』

ちなみに羽美は色黒なのがコンプレックス。山岳部でプリを撮るときは意地でも美白モードで撮りたがる。
『なんかそれナツい。かわいいは作れるってなんのCMだっけ?』

『エッセンシャルじゃなかった?』

羽美と颯さんが女子にしか分からないような話で盛り上がり始めたのでオレは話し相手を結李に変えた。
『そういやこれって何なの?』

今朝から気になってたことだ。結李のザックの外についている水筒などを入れるネットには見慣れぬ毒々しい色をした物体が収まっている。
『あ、これ?熊撃退スプレー。この前ネットで買った。』

『効くの?』

『当たれば絶対効く。OCガスって催涙ガスと同じ成分が入ってるから…あ、OCガスってのは別名トウガラシガスっていって…』

オレの質問に待ってましたとばかりに解説してくれた結李は何やら楽しそうだ。そいつを試したくてウズウズしているのがそれとなく感じられる。こんな表現はちょいと失礼だが、技を試したくてウズウズしてた格闘技を習いたての親戚の子供みたいだ。
『でもさ、結李、これがあるとまた颯さんが熊に突撃すんじゃない?熊撃退スプレーあるなら大丈夫っしょ、みたいな感じに。』

『まあそのときはそのときだよ。そうなったら不幸自慢大会のネタになるじゃん』

『不幸自慢大会?』

一瞬、なんのことか分からなかったが、そのあとの結李の説明を聞いてなるほどなと思った。不幸自慢大会とはなかなかうまい言い方だ。夏休みといった長めの休みのあと、スポーツ部の部員は自分が部活の強化練習や合宿でどれだけ大変な目にあったのかというエピソードを武勇伝のように語りたがるところがある。現に異なるスポーツ部の生徒が休み明けに数人集まるとかなりの高確率で不幸自慢大会が開催されている。そのとき語られるエピソードの代表的なパターンが何キロ走らされた、何セットやらされた、体造りのためにご飯を何杯食わされたといった感じのもの。この不幸自慢大会においては大変な目にあえばあうほどすげーみたいな空気がある。別に辛い経験をしたやつが偉いというわけではないのだが、そういう経験をするとなんとなく強くなれたような気がするのもまた事実だし、他の部活のやつに山岳部は楽でいいよななんていわれると負けたような気がしてしまうのもまた事実。だから何か刺激的な土産話を他の部活のやつに語りたい自分が心のどこかにいるし、そのために今回の夏合宿で死んだり、怪我をしない程度に危険な目に遭ってみたいなんて願望も不謹慎だがある。
『朔のいう怪我しない程度の危険って何?崖から滑落しそうになってファイトー!1発!みたいな?』

『そこまではやりたくない(笑)そんなんは結李と颯さんでやりな。』

『え~?颯さん助けてくれなそう。オレがピンチでも呑気に写真撮ってんじゃない?』

『助けてあげるけど、救助料はうん百万もらうよ。』

ここで颯さんが相変わらずの調子で口を挟んでくると、オレらの写真を撮った。いやいや、救助料うん百万って昔の民間ヘリじゃないんだからさ。そんな颯さんの冗談に結李はすかさずジンバブエ・ドルね、と切り返して笑う。それにしても颯さんはコンクールか何か狙ってるのかな?暇さえあればファインダー越しに被写体を探している。結李はピュリッツァーでも狙ってるんじゃないの?といって笑ってたがまずピュリッツァーってなんだ?
『颯さんってけっこう写真撮ってるよね。コンクールでも狙ってんの?』

『コンクールとか私あまり知らない。ただ好きだから撮ってる感じ。』

『じゃ撮りためてる写真、文化祭で展示したら?中学で山岳部あるとこなんかほとんどないし、アピールしとけば珍しいがって見てくれて来年1年がたくさん入るんじゃない?』

『あ、もちろんやるよ。発表タイトルは2位じゃダメなんですか!?北岳に行ってきました!で。結李くんも手伝ってくれるよね?』

『結李、ガンバ(笑)』

『月島くんもだよ。』

そうくると思ったぜ。乾さんもだが、颯さんもやたらと宣伝に熱心だ。開設されている山岳部宣伝ブログも彼女の提案だしね。ブログタイトルは『そこにみんながいるから』どちらかというとジョークのネタとして使われる名言、そこに山があるからの言い換えだ。ちなみに、この名言はジョージ・マロリーという有名な登山家のものらしい。あなたはなぜエベレストを目指すのか?と聞かれてそう答えたとか。余談ながら羽美が山に登る理由は『そこに山ガール(がある)から』らしい。したり顔でいっていたからうまいこといったつもりだったんだろうが、それはもうコピペになってるということはいうまい。

話を戻して山岳部の宣伝ブログの開設には少し苦労した。どうせなら学校公認でやりたいと校長先生に許可をもらいにいったのだが、今の子のネットの使用実態を知らず、自分もほとんどネットを触らないというご年配の校長先生は個人情報を知られるリスクがどうの、と情報の教科書から知ったであろう知識を根拠に反対してきた。

たしかに情報の教科書くらいしか見たことがないとネットというのは真冬の富士山並に危険極まりないものに写るが、実際のとこネットというのは通信記録が残る完全犯罪がほぼ不可能な空間だからむしろ安全だ。もちろん登山同様に安全対策をしっかりしていればの話だが。情報の教科書にはネット被害のモデルケースが載っているが、今の高校生はあんなのに引っかかかるほど間抜けではないし、仕掛ける側もあんな手口じゃすぐ警察にバレてしまうだろう。

交渉を担当したのは結李と颯さんだった。こんなこというのもなんだが、特進の生徒の方が交渉には有利かなという予想を元にした人選だ。それに結李は昔流行語にもなったというああいえばなんとかって人物並に弁が立つ。しかし校長先生はなかなか首を縦に振らなかった。

最終的に長嶺先生が

他校も宣伝ブログはやってますし、いいか悪いかは別にして今の子はTwitterとかでネットに顔出しとかけっこうしちゃってますよ、ブログはルール内でやれば少なくとも普段許可してくださってる登山よりは安全です

とバックアップしてくれて、本名を公開しないこと、記事をアップする前に先生のチェックを通すこと等いくつかの条件付きでブログ開設を許可してくれたのだった。めでたしめでたし、と。
『まあ宣伝も大事だけどさ、あまりそっちに偏りすぎるとまた多田先生に怒られちゃうよ。矢神、宣伝も大事だけどな、基本を一歩一歩確実にやることが一番大事なんだ。登山だってそうだろ、みたいな?』

『あ、それめっちゃいいそう!てか朔ちょー似てる!』

別に似せたつもりはなかったが、羽美はそういって手を叩きながら笑った。てか今の聞かれてないよな?慌てて多田先生のいる席を見たが多田先生は幸い爆睡中、危ない危ない。

登山をやっている人には、登山になぞらえて人生やその他の事柄について語り出す人が多いらしい。多田先生もその1人だ。特に泊まり山行の夜のミーティングなんかだと、酒でも飲んだかのようなテンションで、登山になぞらえていろいろ語りだす。多田先生のそういった話は、正直どこかで聞いたような話がほとんどだったが、唯一うまいなと思った話がある。それは

青春時代(高校時代)というのは富士山やアルプスみたいなものだ

という話。富士山やアルプスのように、青春時代という山も遠くから見るとすごいきれいに見える。

オレの場合まさにその通りだった。青春時代という山がもっともきれいに見える時間の距離的な絶景スポットは高校に上がる前の春休みだろう。小説、ドラマ、アニメといった創作作品のなかでもとりわけもてはやされる時期だからだろう、春休みという時間的位置から見たこれから先の高校生活というのはすごく魅力的なもののように写る。あまり期待するような態度をとると青春ドラマの見すぎだと笑われるのがオチだから、高校も中学と変わらない、進研ゼミのマンガみたいにうまくはいかないさ、などと他人の前ではクールなリアリストを装っていた。しかし、他人の前ではリアリストを装いつつも無意識のうちに漠然と理想の青春像をイメージし、期待してしまう自分が心のどこかにいた。その漠然とイメージされる青春像は絶景スポットから見た富士山のように美しいのだ。

多田先生は続けてこういっていた。遠くから見ると美しい山というのは険しい。いや、遠くから見て美しい山ほど険しいのかもしれない。青春時代という山も富士山やアルプスのようにいざ足を踏み込んでみると歩きにくくて、どこに進めばいいのか迷うこともある、このように進めばいいとルートを理屈で分かっていても思い通りに進めないこともある、障害物があることもあるし、不測の事態が発生することもある。そんな青春時代という山も、富士山もアルプスも、1人ぼっちで登るには険し過ぎる。だからこそ、心と心を絆という名の見えないザイルで繋いだ仲間という存在は大切なんだ。だからお前らには仲間を大切にして欲しい、と。

ー数字間後ー

車内アナウンスによると、あと二駅で目的地である甲府につくそうだ。やれやれ、長い旅だったぜ。意味もなくオレは窓の外を見た。夏とはいえ窓の外は日が傾き、薄暗くなっている。夕暮れの見知らぬ街の雰囲気というのはなんか怖い。住み慣れた街を離れて遠くに来ているという、地面に足がしっかりついてないような妙な不安感と孤独感からだろうか?電車の車窓から見える、この地に住む人々にとっては慣れ親しんでいるのであろう街の光景は、とてつもなく無機質なものに感じられ、道ゆく人々からは感情のないロボットの群れのような冷たい印象を受ける。さっきから忘れかけていた感情――幼い頃迷子になったときのような不安感が湧き上がってきているのは、おそらくこの、見知らぬ街の雰囲気のせいだろう。
『朔?朔、どうしたの?』

隣に座る羽美の声に振り返り、電車の中に目線を移すと、仲間たちがいる電車の中の光景から不思議な温かみを感じた。仲間たちの存在を再認識することで、見知らぬ街の不安感は安心感に変わる。

やはり仲間とはいいものだ。オレらは便利になった時代に適応した、いわゆる『今どきの若者』だからより強く感じることだが、山というのはどこも何もない世界だ。まさにラジオもねえ、テレビもねえという往年の名曲のような世界。そんな何もない世界も仲間と一緒なら楽しいのだから。

~Fin~

あとがき

主人公の名前に月が2つついているのには意味があります