「きれいごと」と「本音」(もしくは「理想」と現実」)について | どんどんよくなる光の小道

「きれいごと」と「本音」(もしくは「理想」と現実」)について

3連休はブックガイド10本と、著者インタビューのテープ起こし&記事のライティング1本をクリアして、単行本ライティングにも奮闘。だが、単行本は「この連休でここまでやるど!」のノルマ達成に至らず(T_T)。依然として追い込み中あせる

きのうの火曜は自分にご褒美ということで(やたらと「自分にご褒美」が多いのがマイライフの特徴)、お気に入りゴッドハンドの持ち主Oさんのオイルマッサージを受け、やはりお気に入りレストラン チャヤマクロビ で美味しいブランチ↓をとって、某編集部に優雅に重役出勤(いや、単なるアルバイターなんですケドね……)。





でもって今日は自宅勤務日とゆーことで単行本ライティングに奮闘する予定が、今んとこ洗濯やら掃除やら、食品の買い出しやら家賃および経費の振込やら、クリーニングの受け取りやら庭のコンポストの手入れやら、明日の分までの夕飯づくりやら、生活人として母親として最低限やらねばならんことに阻まれ、仕事に辿り着いておらず。てなわけで、ブログをサクッと書いて、仕事にかかりたい。





何をサクッと書くかというと、仲良しのkirariさんのブログ「星に願いを」 にこの間コメントを久々につけさせていただいたんだけど、駆け足で書いて推敲もしないで送信ボタン送っちゃったため、後で読んだら言語矛盾のひどい文章(^_^;)


なので、言いたかったことをここでちゃんと書き直しておくことにした(というまったく個人的な動機ですんません&へんなコメント書いちゃって、ごめんね~kirariさん~)。




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よく世間では「きれいごと」と「本音(現実)」、「理想」と「現実」という分け方をして、両者を対立概念のようにいうけど。そして、そういう世間から見たら私のブログなんか「きれいごと」と「理想」のオンパレードで、その単細胞な大風呂敷ぶりは、失笑モンなんだろうけど(^_^;)


確かに、現場を知らなかったり、現実から目をそらしたり、汚れや問題の部分を隠して存在しないことにしちゃうような「きれいごと」のたぐいがあることは、私も知ってる。


でもそうじゃなく「こうありたい」「こうだったらいいな」「私の目にはこう見える」という人の心のきれいな部分――良心――から発する「きれいごとキラキラ」だって、中にはあるんじゃないかな。


それとこれを全部ひとくくりに「きれいごと」だからと切って捨てるのは、浅はかな間違いだと私は思う。
ウソ誤魔化し、無知で言っている「きれいごと」と、「そこを目指そう」「意識を引き上げよう」として言う意図的な「きれいごと」、良心の声としての「きれいごと」は、やっぱり明確に分けておきたい。


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それと、「きれいごとはいいから、本音を言え」みたいな言い方もよくあって。こういうことを言う人は、怒りや不満、低次元の欲望から発する言葉をいうと、「ほら、そっちが本音なんだろ」とホッとしたように納得するけど。


いわゆる「自我」の汚れの部分、「本能」や「潜在意識」の欲求や欲望ばかりが人間の「本音」というわけでもない。良心の声だって本音だし、「こうありたい」「こうだったらいいな」「私の目にはこう見える」も本音。美しい本音だって、私たちの中には、あるんである。晴れ


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もう一つ言えば、「理想」と「現実」は対立概念でもなければ、相容れない概念でもない。

「理想」とは、そのビジョンや原則をしっかり見つめることで、「現実」を理想に近づけていくための目標であり、道しるべ。だから「理想は○○だが、現実はこうなんだから(仕方ない)」みたいに関係ないものとして切って捨てたら、もったいない。「現実・現状は今は▽▽である」と観察・分析して、じゃ、○○という「理想」に近づくには、何ができるかな? どっからやっていけばいいかな? どうすれば少しずつでも近づいて行けるかな?……と検討するための、貴重な材料、道具として活用すればいいんである。ベル



そんなわけで、「きれいごと」も「理想」も、「どんどんよくなる」ために、どんどん活用していこう!晴れ 


(あ~、ちゃんと言いたかったことが書けてスッキリしました。読んでくれてありがとう!)