運命を変える方法 | どんどんよくなる光の小道

運命を変える方法

 書きたい記事は色々ありながら、更新できない日々が続いている。

 月曜夜は勉強会で、火曜夜はコグマくんと『不都合な真実』を観て外食。水曜夜はお仕事関係者と会食で、本日・木曜夜はコグマくん保護者の某集まりで会食。明日はダーリンとデートで、明後日はずーっと「飲もう」と言ってた友人と1年以上ぶりの飲み会。なんだかもうこの4月は毎週のように人と逢いまくっているけど、これも人生の流れとゆーもんなのでせう。と、あえて抵抗もせず、色々な人と逢い、話を聞き、語り合っている。




話していると、当たり前だが、その人の人生が垣間見える。どの人も懸命に生きている。生きてきた道のりがあって、その人なりの考えがある。趣味、志向、大切にしていることがある。「こうだ」と思って、自分の信じるところを生きている。あるいは「こうなのかな」と迷いながら、葛藤しながら、生きている。どの人の人生も、決してとどまってはいない。次々に色々なことが起こる。比較的平穏無事に見える人も、それなりに色々なことがあるようだし、今の時期は「えー、そうなんだ?」と聞いてびっくりするような激変を体験している人も少なくない。


そういうたくさんの人たちの人生の推移を思うとき、なんというか、目線がぐーんとズームアウトしている自分に気づく。2人や3人なら近視眼的な地上の視点で見るところ、2030人の人生をいっぺんに観るには、お空に浮上せざるを得ず、天使の視点になっているとゆーか。「みんなみんな、がんばってるんだなー」「学んでいるんだなー」と、一時的に天使のような優しい気分で、思わず目を細めている自分に気づく。

そんな遠視のぼんやり視点で見るたくさんの人生に並んで、私の人生もポカンと浮かぶ。そうすると今の自分の位置というか、ありようというか、人生そのものが相対化されて見えてくる。「今のキミはこーゆーところにいるんだね」「で、これからどうするの?」



天使は決して批判も説教もしない。でも、その目線に照らし出されると、不足が目について恥ずかしく、背筋が伸びる。その「不足」は自分に対する不満で、その不満は自分に対する望みの高さから来るもの。決してイヤな感じじゃない。

「行きたいところがあるんだね。だったら、歩かなきゃ」

うん、わかってる。そうなんだ。


心が変われば、行動が変わる。

行動が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。

人格が変われば、運命が変わる。

伊集院 静
MODESTY―松井秀喜つつしみ深い生き方


と、今日読んだこの本↑にあった。これは、メジャーリーガー・松井秀喜選手の高校時代の恩師が繰り返し言い、ロッカールームにも貼ってあった言葉。松井は今も、この言葉をそらんじることができる。

中学生のときに父親に約束して以来、人の悪口を一度も言ったことがないという松井は、強靭な精神力を持ってこうして日々、みずからの運命を切り開き、創造してきたのだろう。