本当の幸せのためには、どうあるべきか | どんどんよくなる光の小道

本当の幸せのためには、どうあるべきか

10月24日付けの朝日新聞夕刊に、ある愛の手紙(の要旨)が載っていた。

それは、イラクで銃弾に倒れた22歳の英国人兵士リー・ソートンさんが、21歳の婚約者に宛てて書いたもの。彼は、「もし自分が死んだら開封して読んでほしい」と、彼女にこの手紙を託して、戦場に赴いたという。

その手紙があまりに悲しくも素敵な愛の手紙なので、ここに紹介しておきたい。

鯛

なぜ、ぼくはこの手紙を書いているのだろう。君には絶対にこの手紙を読んでほしくない。だって読むということは、ぼくが死んだということなのだから。

君は愛がどういうもので、愛されるとどういう気持ちになるか、ぼくに教えてくれた。いかに生き、本当の幸せのためには、どうあるべきかを教えてくれた。

神様がぼくらをこの地上で引き合わせてくれたのだと思う。

 ぼくのベッドの頭の上には、君の写真を貼っていた。毎晩、口づけしたぼくの指で君の顔をなで、君に見守られながら眠りにつく。今度はぼくが、夢の中でも君が安らかでいられるように君を見守ってあげる番だね。

さびしい時はいつだって、そっと目を閉じてごらん。ぼくは君のすぐそばにいる。ぼくは全身全霊で君を愛した。君はぼくのすべてだった。

永遠の愛を。リー。



……よく、「男女の恋愛」と「聖なる愛」は別物であるように言われているけれど、どんな愛にも「聖なる愛」は含まれている。「無条件の愛」「無償の愛」と「条件付きの愛」「打算の愛」を対比させて語る人も多いけれど。これだって、ちょっと純度が違うだけで、どちらも同じ「聖なる愛」を含んでる。

不純物をたっぷり含んだ愛が燃える時には、楽しいこともあれば、時にはひどい煙が立って目に染みたり、咳き込んでしまうこともある。あまりにひどい煙で、そばにいられないことだってあるだろう。

それでも人がそこに愛を求め、愛を与えたい、愛を交し合いたいと願うならば、そうしてあきらめずに燃え続け、燃やし続けようとするならば。必ず不純物はその〝火〟によって燃え尽くされ浄化され、ピュアな愛、聖なる愛がそこに姿を現す。

だからね。

あんまり最初から理想高く「聖なる愛」「無条件の愛」「無償の愛」なんか、目指さなくてもいいんだと思う。そんなことをして、今のちっぽけな自分の、精一杯の人間らしい愛情を否定することなんかない。

大事なのは、愛し続けること。何があっても愛することを、あきらめないこと。それだけ、なんだから。


青空

リー・ソートンさんが恋人に残した手紙には、死んでも愛をあきらめず、彼女を愛し続けると決めた彼の、限りなくピュアな愛が結晶化されている。だからそれは、読んだ者の胸に直接響いて忘れていた愛を呼び覚まし、自分の愛する誰か、自分を愛する誰かを思い起こさせる。

そして、もう2度と言葉を交わせず、ぬくもりを伝え合うこともできなくなった若い恋人たちについて、「なぜ彼らの貴い愛は、断ち切られなければならなかったのか」「彼らを引き裂き、温かなぬくもりと幸福を奪ったのは誰なのか」と、切なくやるせない気持ちで考えさせるのだ。


彼らだけじゃない。同じことは米国兵士、イラク人、アフガニスタン、コソボ、ルワンダ、パレスチナ、イスラエル、世界中のあちらこちらの、恋人や家族の身にも起こっている。

「敵」は、実際の殺し合いの相手なのか。いいえ。本当の「敵」は、いつまでも私たちをこうやって互いに殺し合わせている「誰か」「何か」ではないだろうか。