暗闇に立ち止まり、うずくまる君に | どんどんよくなる光の小道

暗闇に立ち止まり、うずくまる君に

 うーーん、更新できぬまま日々が過ぎ、すっかり間が空いてしまった。

 いよいよ単行本追い込みか!?というと、そちらはそちらで、以前として遅れに遅れていて……。



 実は今、ちょっと身近な人がピンチに陥っていて、自分にできることは何だろうと、右往左往の日々を送ってる。いつかは弱っている人や苦しんでいる人を支え、多少なりとも苦しみを軽減できるような人間になりたいという野望を持つ私にとって、今起こっていることは、今回の人生の必修科目の、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング=働きながら技能を身に着けて行くこと)とも言えるんだが。

 ありがたい〝授業〟を受けているわけなんだが。


 それでも切ない。自分の非力が。そして目の前で苦しむ、愛しい人の、その苦しむ姿が。


「その執着を手放せばラクになる」とか「認知のゆがみが苦難の原因」と言葉で分析することはたやすい。だからすぐ、人は説教する。アドバイスする。「こうすればいいのに」「こう考えてみたら」と気安く提案する。

 私だってそうする。そうしてきた。

 でも今回、そんなふうに分析・解説・アドバイスするだけじゃ、何の役にも立たないと改めて思い知らされている。それって、苦しんでいる人への愛も理解も足りない。そして、愛と理解の足らないサジェスチョンは、害あって益なし。反発や退行を招くだけだと思った。

 だって本人は「わかっちゃいるけど、やめられない、止まらない」状況に陥っているんだもの。それに、執着の裏にあるのが単なる物質や状況への欲望だったら、私も同情しないが。実際には、大事な誰かへの愛情ゆえ、執着を手放せないケースだって多いのだから。

 見守るしかないが、自分の大事な人が、自分自身を追い込み痛めつけ続ける姿を見るのは辛い。それに見守っているだけでいいのか?という問題だってある。



 さーて。

 思い込みという自我の厚い殻に覆われ、闇の中で苦しむ人に、ほんとうは誰にも等しく燦燦と注がれている天の光を、どうすれば届かせることができるのか。ほんとうの愛は何度でも生き返り、決して失われることはないと、どうすれば気づかせることができるのか…………。


 私の愛する「パーム」にあった、この言葉↓が言わんとすることを、ヴィジョンごと気配ごと届けられたらいいのだが…………。



暗闇に立ち止まり

うずくまる君


この声が届くものなら

教えてあげたい


その日はほんの

ひとつ扉の向こう


ある日目覚めると

窓が開いている


そして君は気づく

待ち続けたものの中に

いる自分に




獣木野生
パーム (27)  私のバイブルともいえるコミック・シリーズ「パーム」の最新刊