樋口了一インタビュー vol.5.2 | 樋口了一オフィシャルブログ「ポストマンライブ日記」Powered by Ameba

樋口了一インタビュー vol.5.2

アルバム楽曲解説のその2です。




「風一途」



これは、母親ですね。僕の「手紙」にまつわる話でもそうだけど、父親の話ばかりでしょ。話題に上らないってことはね、ある意味、最も支えてるんじゃないかって思うんですよ。


僕と父とは仲たがいして、断絶があって、色々あって、、、。その後ろ側にはいつも、話題に上らなくてもいいくらいの磐石な母の存在があったからこそ、その話が出来るっていうかね。そういうことにある時気づいて。

  

うちの母親は血液型もB型で、非常にドライで、小さい事にくよくよしないっていうかね。いつもニコニコして。


僕は思うに、父みたいな人を50年近く添い遂げられる人って、世界中にこの人一人しかいないだろうなあって思ってて。その事をいつか歌という形で結実したいって常にあったんですけど。


ただ若かった頃は、なんか照れくさいっていうかね、面と向かってそんな気持ちを書くのは恥ずかしいって思ってたんですよ。でも自分に子供が出来て、これはいつかきっちり形にしたいって思ってて。


それで、最初は母の歌にするって訳じゃなくて「風は一途に、けれどその頬になぜか優しく」って、何の脈略も無く出てきたんですよね。その時に「あ、これは母の歌だ」って直感して。それで回りの部分をそういう母親に対する言葉で埋めていったという感じですね。


■ギターは吉川忠英さんですね。


吉川忠英さんとは、前作のアルバムにも収録した「みみらく霊歌」からで、お世辞でもなく僕の作る作品に凄くコミットしてくれて。


「みみらく霊歌」を録った後に、あるアーティストのツアーで福江島(みみらく霊歌の舞台)に行くっていうので「それは偶然だ」って。


曲が出来た経緯(福江島の高浜に伝わる、愛する人が海の向うに現れるという伝説)を話して「じゃあその高浜っていう浜に行ってみるわ」って。それでライブの合間に本当に行ってくれて。


その頃ちょうど、忠英さんはご家族を亡くされたみたいで。その亡くなった愛する人が海の向うに現れてくれるっていうことを経験したくて行ったんだよって。


今回の曲もお願いした時に、君が作る歌詞っていうのは、僕が親に対する気持ちを代弁してくれてるみたいだって言ってくれて引き受けてくれたんですよね。




「桜の森」


あるアーティストの曲を「木を植える」というテーマで書いてみないかという話がテイチクからあって。


僕は、坂口安吾さんの本を何冊か読んでるんですけど、本棚に「桜の森の満開の下で」っていう小説があって、それは桜の下には死体があってという幻想的な本なんですけど、それを思い出して。


前にも話したけど、自分が「命は続いていくものだ」って気がついたときに人に話したくなって、色んな人に喧伝(けんでん)してたんですよね。


それで、姉に言われたんですよ。「あんたは音楽家なんだから、あなたが受け入れた信念を音楽にしなさい」って。「手紙」に出会った時に、「あ、これだ」って思ったし、その「木を植える」という話を聞いたときにも、「あ、この題材は自分の思っていることを表現できる」って思ったんですよね。


それで、「私が生まれた日、父が植えてくれた」、その次に「息子が生まれた日、私が植えた」、そして「孫娘が生まれた日、息子が植えた」というストーリーを考えて。


曲の3番では、曲の中ではもう「私」という主人公はこの世にはいなくて。でも見てる。そして、その桜の森が銀河のように、終らない命が集って称賛の歌を歌ってる、大団円みたいなストーリーが出来上がったんですよね。



「のぞみ」


僕は、目先の利益に繋がらなくても、えもいわれぬ衝動に駆られたことは、やるようにしてるんですね。


ある本をきっかけに、その作者にメールを送って会いに行ったり、ボランティア活動をしたり。結局そういった衝動的な行動が何かに辿り着くって信じているんですよね。


事実、その角さんの本を読んで、会いに行って、そこで「手紙」の言葉に出会って、曲にして。それでレコード会社でK君と会って。で、そのK君が発案した「ポストマンライブ」をやっていくうちに出会った人が、今度は自分に言葉をくれた。全部繋がってるんですよね。有機的に全部。そこ(ポストマンライブ)で出会った「のぞみ君」のことが書かれた言葉。形は違うけど「手紙」に出会った時に感じた「当事者ならではの切実さ」を感じたわけですよね。


いつからか「必要とされる曲」を作りたい作りたいって思うようになってから、その言葉を、必要としている人がいるんじゃないかって思ったんですよね。


僕がその「のぞみ君」の家族の事を書くのは想像が入ることだけど、障害を持つ家族の父親の、当事者の言葉なのでやろうと思ったんですよね。


そうやって作り始めたら涙が止まらなくなってね。なぜか。自分は当事者ではないのに。


でも、頭に浮かんでくるのは自分の子供の事や、出産に立ち会った時のことが思い浮かんでね。それで子供を育てるうちに色々心配した事や、喜んだ事がいっぱい出てきたんですよ。それで気がついたんですよね。この曲を聴いた時に感じる事は、自分の子供との関わりとか、ともすれば自分と親とのことだったりするわけですよ。だからこの言葉は限定的なものではなくて、凄く広がりのある言葉だって、作ってて気がついたんですよ。



■僕がこの曲を初めて聴いた時、ちょうど奥さんのお腹に子供がいて。んともいえない胸が締め付けられるような感情がありました。



なんというか、それは無関心ではないんだよね。「手紙」の時もそうだったけど、ラジオでOAされる時に「聞きたくない人はボリューム絞ってください」って言われたように「聞きたくない」という人もいたんだよね。


今でこそ「手紙」は受け入れられて、称賛されているように見えるけども、実際は聞きたくないという人もいっぱいいるだろうと思うし。


だから、ある人のところに深く訴える曲というのは、そうではない思い(聞きたくない)をいっぱい生み出すのかもしれないし。だから送り手側の意図が、「これは希望に満ちていることを伝えたい」という思いで歌っているんだよということが伝われば、最後は同じ思いに行き着いてくれるって、勝手に思って歌ってるんだよね、「手紙」も。


「手紙」でポストマンライブをはじめて、介護施設や病院なんかを廻って、職員さんや利用者さんという当事者の前で歌うのが怖かった。「お前に何がわかる?」って言われるのが、こういうジャーナリズムみたいな曲を作った時の一番の風当たりだから。


実際ダウン症のお子さんを持つ家族の前でやるのが一番怖かった。


同じ境遇の家族の方がいらっしゃるある場所でやった時に、正直「どうだった?」って聞けなかった。


それで、人づてに聞いた話だと「まだこののぞみ君の家族の気持ちには今は辿り着いてはいない。でもいつかそこに辿り着きたいっていう気持ちで、日々頑張っているんですよ」という話を聞いて、少し安心したっていうか。そういう気持ちで受けとってくれるということと、もちろん違う感情もあるんだろうけど。だからこれからも、謙虚に届けていこうって思ったよね。



(つづく)