樋口了一インタビュー vol.1 | 樋口了一オフィシャルブログ「ポストマンライブ日記」Powered by Ameba

樋口了一インタビュー vol.1

こんにちは。


宣伝マンKです。


東京は秋晴れのいい天気です。



さて、来週の11/21(水)に樋口さんのニューアルバム「了~はじまりの風~」が発売されます。


是非、多くの人にこのアルバムが届く事を願ってております。




今回、このアルバムの発売に合わせ、僕が樋口さんにインタビューを行っています。(今もまだインタビュー中です。)


何回かに分けて掲載していきますので、是非読んでみて下さい。


宜しくお願い致します。








   

   

まずはタイトルについて「了」一文字。



親父が今年の5月に他界しました。5月に入って意識不明になって、それが1ヶ月くらい続いていて。。。


4月に「のぞみ」を作っていて、アルバムへの構想がある中、親父を見舞いに行っていたんですけど、そんな中で今回のレコーディングに入りました。


そのレコーディングで歌を録っている途中、その時、なぜか「了」という自分の名前にあるこの文字が浮かんでいたんです。この「了」というのは、親父が自分につけようとしていた名前で。。。


命をテーマにしているアルバムということで「終るということが、そのまま始まるという意味」を含んだ曲が揃っていました。


それと、親父が付けたがっていた「了」という名前がどこかリンクしていたんだと思う。意識不明になっている親父が何かメッセージを送っていたのか、自分がただ単に勝手にそう思っていたのかは解らないけども、この「了」という文字が常に頭の中にありました。


実際、親父は84年という人生を終ったわけですけど、終った瞬間から、新しいステージがすでに始まっているという思いが自分は強くて、葬儀の間も常にそう考えていて。


その後、レコーディングも、ミックスも終って、タイトルをどうしようと考えるということもなく「了」しかないだろうと。自然にそうなりましたね。



早速余談ですけど、先日ある方の葬儀に出席し、喪主の息子さんが「生前の父は休みの日も朝から出かけて野球やったり、バンドやったりと忙しい人でした。」と話していた時に、何気なくこんな事を感じたんです。


『生前忙しそうに、バイタリティ溢れ飛び回っていた人は、あの世に行っても慌しく忙しそうにしているんだろうなあ』って。色んな挨拶やら、好奇心とかで(笑)少しはゆっくりしてなんていうけど、当人にしてみたら、休んでる暇も無いなと。



まさにそんな感覚。うちの父はまさにバイタリティの塊のような人で、本当に忙しく飛びまわっているような人でした。ただ晩年の10何年は自分の思うように体が動かなくなって。だから、それから開放された父はめまぐるしく飛び回ってると思うんですよ。


誤解を恐れずにいうと、亡くなって「終わったな~」というよりも「やっと開放されたなあ」という感じ。いままで以上に飛び回っている感じですかね。



樋口さんが子供の頃、お父さんとのエピソードって何かありますか?



「ひげじょりじょり」を思い出しますね(笑)


伸びかけたひげを僕に当ててくるんですよ。嫌なんだけど、僕は泣きながら笑うんですよ。いまだにあの痛みというか感覚は思いだしますね。


あと、親父は普段から丹前を着てたんですよ。小学校1年くらいの頃かな「おい、了一。走るぞ!」って、その丹前に下駄という格好で走り出すわけですけど、子供ながらに丹前着て下駄に負けるわけが無いって。けど勝てないんですよ。そういう、僕が後ろから追いかけている姿とか、鮮明に思い出しますね。本当に些末な瞬間にふと思い出しますね。


あと、風呂に一緒に入っている時、追い炊きなんですけど、熱いお湯が出てくるところを指して「いいか、ここは赤道っていうんだ。地球にも赤道があってそこはすごく暑い所なんだ。」なんて言われて、子供ながらに地球の赤道は沸騰したお湯が湧き出てくる所だって思ってたくらいでした(笑)



その話はうちでもありました(笑)その話で、僕も父と風呂に入ったこと思い出しました。では、学生時代に入ってからはいかがでしたか?



僕は中学までは真面目に勉強して進学校に入って。父親は貧乏して苦労して、兄弟の面倒を見てやっとの思いで公務員にまでなって。


そんな父は、学歴というと中学卒業で。職場の周りの大卒の人達と渡り合って、、、。それが親父としての勲章だったと思うんですよ。後で、そのことを僕も父に言ったんですよ。「そんな親父が誇りだ」と。そう言ったら親父も嬉しそうにしてましたよ、晩年はね。


ただ、当時はその事を凄く気にしてて。だから親父は言うわけです「お前はいい学校出て、大学行って、こっち(熊本)で公務員になって、、、」と。だから親父は僕に対して明確なヴィジョンがあるわけですよ明確にね。それを毎晩言うわけです。夕飯の時に。


けど、僕は僕で何の根拠も無く“ミュージシャンになりたい”という強固な夢がある。それが、全く噛み合わない訳です。それを僕は言葉にしなかったんですね。なぜなら自分の夢が荒唐無稽な“ミュージシャンになる”ということについて、コテンパンに父親に論破される事が、火を見るより明らかだと解っていたから。だから親父のヴィジョンを聞いても黙りこくる日が続いて。。。


そのうち勉強もしなくなるし、ギターばかり弾いて。。。成績はもちろん地を這うようになって。。。だから、だんだん親父自身が自分の息子である僕に対して思い描く夢と、僕自身が乖離(かいり)していくわけです。そこに何も言い訳が無い。「なぜそうなのか?」といわれても、僕は何も言わない。そうすると、お互い距離が出来始めて。だから、口を開けばケンカばかりしてましたね。高校生の頃は。



そんな父親との関係の中、ミュージシャンになるという夢を抱えたまま大学に?



僕が大学に行ったのは、楽して東京に行って“ミュージシャンになる”という口実を作りたいという、手段として行ったわけです。だから大学に行ってもろくに勉強もせずに音楽ばかりやって。もちろん単位も取れなくて。。。また親父とは前のような繰り返しになって。。。


高校の時は、親父に対して(自分の夢を)口に出さなかったんだけど、もう言わなきゃ駄目だと思って。大学3年の時だったかな、実家に帰った時に親父に言ったんですよ「音楽で飯を食っていく!」って。


何かレコード会社と契約があったり、コンテストで優勝したというわけでなく、自分の中で中学の頃から思い描いていた夢が、まったく年齢を重ねる事で一度も萎えることなく大きくなってきたので。。。

もうこれは自分にとっては紛れもない現実なので「音楽で飯を食っていく」ということは。


そこで親父は一言「そうか」と言ったんです。自分は2階の部屋に戻ると、「ガシャーン!」という音が聞こえて。降りてみると、親父が大切にしていた鉢植えが全て割られていて。。。下はもうメチャクチャで、家の中が粉々で。。。その後、親父はどこか飲みに行っちゃって。。。


そんなことで、親父の中で僕は1回死んでるっていうか、自分の思い描く、立派な息子にしてやろうという息子像が崩れ去ったんでしょうね。


だから、「お宅の息子さんはどうしたんですか?」と聞かれると、「うちには息子はおりません」と言ってたくらいですから。親父の中では一回終ってるんでしょうね。僕は僕でそこから何年も帰らなかったですし。事実上音信不通という状態ですかね。



そんなお父さんとは和解されたんですか?



和解?やっぱりね、それはね僕がちゃんと音楽の仕事に就けたってことじゃないんですかね。



それはEMIからのデビュー(1993年)が決まったということですか?



そうですね。93年ですかね。


その年の4月に、当時のプロデューサーが、熊本の家に挨拶に来たんですよね。田舎の親にとって、息子からの伝聞ではなく、実際に来て名刺出して「お宅の息子さんデビューさせるんで預からせてください」って。


自分の息子が自分(父親)の中で終ってたはずが、息子なりにちゃんと頑張ってたんだなという実証にもなってくれたんだと思うんですよね。


父は嫌いなメロンを一飲みで飲み干し、そのプロデューサーに矢継ぎ早に質問して。最後に、そのプロデューサーが父に一言言ったんです。


「僕が彼をデビューさせようと思った一番の理由は、ご両親から受け継いだそ

の“声”です」と。


 父は、黙って聞いてました。



後日談的に、何かデビューの時のエピソードってあります?


どこから何枚注文があったかってわかるじゃないですか、レコード会社って。それで、デビューしてアルバムが出た直後に、地元の“松本レコード”からバックオーダー(追加注文)が30枚入ったという話になって。


それでそのお店に聞いたら「中学時代の校長だと名乗る初老の男性が30枚ほど買っていった」と。どう考えても親父なんですよね(笑)それで家に帰ったら積んであるんですよCDが(笑)そんなことがありましたね。

 

親父はバイタリティのある人だったんで、デビューということになったら、居ても経ってもいられなくなったんでしょうね。



そういう中で、お互い雪溶けしていったんでしょうね。



で、「了一」とか「お前」とかしか自分に対して言わなかったのが、いつしか酒飲むと「あんた」って言うようになったんですよ。これが僕にとって大きくて。


いつも見下ろされていた感じだったのが、対等になった気がして。それが最初はくすぐったかったんだけど、そういう呼びかけの変化っていうで「あ~認めてくれたんだな~」と感じるようになりましたね。言葉じゃ言わないですけどね。



(つづく)