自宅の新築の件で、設計士さんと話しているとき、
やはり自分の視点だけでは気づかないこと、
見落としているものがいろいろあるなあと思う。
私もインテリアコーディネーターだから、
家事や来客の際の、「動線」はよく分かる。
そもそも大きな家ではないが、
なるべくコンパクトに、障害物のない暮らしがしたいと思っている。
さらに、家の中から何が見えるか、
動線のどの位置にいるときに、どんな視界が広がるか、
「視線」についても、
なるほど言われてみれば大事なこと、
そこも考えた家づくりでいきたいと思っている。
中から見るだけでなく、外から人が見たときにどんな印象を持つか、
着るものや髪形同様、建物には「人目」もある。
「動線」「視線」
そして、自分が意外と無頓着だったのが
「境界線」である。
あたりまえのことだが、
土地には、形と広さがあり、自分の土地の外は、他人のもの、又は公共のものだ。
空気も水も、音も光も香りも、
多くは境界線の外からやってきて、
また外へ出ていく。
自分の土地だって、地下のことはよくわからない。
上に建物ができてしまえば、下の土地は何の使いようもない。
境界線の中、建物の外、
庭や通路である、そのわずかな面積だけが、本当の意味で「自分の土地」なのかもしれない。
◇ ◇ ◇
仕事でも家事でも、
各人に「守備範囲」があって、
踏み越えてはいけない、いわば「境界線」がある。
多くの場合、それは「あいまいな境界」で、
どちらの守備範囲でもあるもの、どちらの守備範囲からもこぼれ落ちたもの
配慮がないとされたり、越権行為とみなされたり、
往々にしてトラブルのタネである。
さらには、
境界線を明らかにするという、そのこと自体がトラブルの元だったりする。
それでもとにかく、
境界線には、敏感であるに越したことはない。
コロナウイルス感染防止で
人の間に、物理的な「壁」を立てなければならぬシーンも増えた。
「人々」とは、モブ(群衆)ではなく、人間は一人一人だと思っている。
それぞれの領分と、対人関係ごとの「境界線」が、その人そのものといえるだろう。
であれば、
一挙手一投足、
行動はもちろん、考えにも発言にも
首尾一貫した思想、あるいは哲学が、
大事であろうと思う。
(写真は、新しい砺波市図書館の、ガラス張りの会議室)