22日(日)の午後から、7回目になる「大人の社会科カフェ」を開く。
今回のテーマは「自由と民主主義を分解する」というもの。

自由や民主主義、当たり前のように使う言葉で、
多くの政党名にも含まれている。

近代社会では共通の価値だと思われているようだが、
実はその概念、人によって中身がずいぶん違うのではないか、

そんな話を共有したいと思っている。

メインの話題は、香港。
双方の「暴力」ばかりが報道されているが、いうまでもなく暴力はそれ自体を非難すべきもので、

背景となる主義主張への賛否とは、切り離さなければならない。

民主派と呼ばれる人々は何を求めているのか、

中華「人民共和」国のいう「一国二制度」とは、何なのか、
米国の「香港人権・民主主義法案」の中身など、
「社会科」の視点で、「それぞれの概念を整理」してみたいと思う。

  ◇  ◇  ◇

 

導入としてこのブログでは、

自由と民主主義という概念の「実像」を考えてみようと思う。

まずは、「自由」。

最初に、辞書的な意味だが、
自由とは、この文字通りなら「自(みずか)らによる」ということで、
他からの制限がないことをいう。
極端に言えば、「勝手気まま」だ。

liberty(リバティ)もfreedom(フリーダム)も、ニュアンスの違いはあるがそういうことで、

政治的には、
他国や絶対権力からの解放を意味する「リバティ」と、

人権をもとに、法律や警察の介入を否定する「フリーダム」というようなイメージだろうか。

 

本来はどちらかというと、政治や民主主義の手続きそのものを軽視する立場ではあるが、

あまり個人の自由を強調すると、治安や経済効率に悪影響がでることもある。
無政府主義では、あまりに不安の方が大きいだろう。

 

いわゆる「小さな政府」を志向するが、
どのような「制度・仕組み」が必要か、自らが納得して選び取る、というのが

「自由」というものの、本当の姿で、
皮肉なことだが「勝手気まま」とは逆の、「義務」と一体となった概念だろうと思う。

そして、「民主主義」。
 

北朝鮮は、「民主主義人民共和国=Democratic People's Republic」である。
デモクラシーは、主権が、王や特権階級ではなく人々の側にある、という概念で、
リパブリックは、「君主」がいない国、という概念だから、
金三代は、王ではない。

人々が選んだ「将軍」で、諸外国からの侵略や干渉に抗うのが、その存在意義である。

ドイツのファシズムも、日本の翼賛政治も、
民主主義の元、権力を一部に集中させることで発展し、

敗戦に至るまで突き進んだものである。


民主主義とは、単なるスローガンで、国を運営する「道具」でしかないのではないか?

 

民主主義というものを具体的にするのは、人々が主権者であるという理想を実現させるための「手続き」、すなわち「選挙」だろう。

実際、選挙制度こそが民主主義の本体であると思っている。

そして選挙制度は、まず時の権力者によって与えられ、次いで時々の権力者によって変えられるものである。
そんなものが、民主的であろうか?
そして、選挙結果は、政策すなわち理論ではなく、風や情に流されやすく、
一部のものの利権や、民族主義に結び付きやすい。

 

だから、これまた皮肉なことに、
その言葉の持つ「平等」のイメージとは逆に、

民主主義は、社会の「階層」を「正当化」する装置になりがちなのだろうと思う。

 

 

 

 

そして、香港を考える。
(といっても、ネットやマスコミの情報を集めてみるだけだが)


皆さんのご意見をお聞きしたい。

 

当日は、終了後忘年会になるので、ただ飲みたいだけの方の参加も、歓迎する。(^^)