今日(11月21日)の夕方、山本太郎の「街頭記者会見」なるものが、富山で開かれる。

 

 

昔支持していた「緑の党」との関係も浅からず、彼の動向は気にしているが、

残念ながら今日は、別の用事があって見には行けないだろうと思っている。

 

山本太郎はいま、街頭演説ツアーで日本縦断中。

毎回、facebookなどネットで配信されるので、昨日も、金沢からの中継を部分的に見ていた。

ちょうど、

さまざまな課題がある中、主張を広めるきっかけとして、消費税をなくすことをメインにしている、という話だった。

 

聴衆にマイクを向けたときに出てきた、

女子会で、政治の話をしようとレジュメまでつくっていったが、
ほかの参加者が拒否した、という話が印象的だった。

 

外交や安全保障、貿易

社会保障と医療、そして教育

経済、産業、働き方

 

政治課題は、互いに絡み合っていながら、

それぞれの専門ジャンルの利害にとらわれて、

抜本的な解決が見えず、大多数の国民の「当事者感」というべきものが、

ひどく薄くなっているのだろうと思う。

 

山本太郎が憂う、日本の「衰退」は仕方ないのだろうか。

 

ほぼほぼ私もあきらめているこの状況を、

「日本病」と名付けたらどうだろうか、というふうに、

今朝突然、思いついた。

 

水俣病もイタイイタイ病も、

症状を整理し、名前をつけることで、

原因の特定に結び付き、対策と被害者の救済が行われた。

 

アベ個人やその取り巻きが悪い悪いと、いくら言っても始まらない。

抜本的な対策といわれる経済政策は、素人に説明するには難解で、時間がかかる。
みんな毎日毎日、追われ、悩み、考える余裕などない。

投票にさえ、半分の人は行かないというのが現実だ。

 

だから山本太郎は、生活に直結した、消費税ゼロから始めたいという。

だが私は、消費税そのものは悪くないと思っている。

世の中を覆う不安、切羽詰まった孤立した人を救うのは、違う視点と政策だと思っている。

また何よりも、そんなことで野党勢力が割れるのが一番まずいと思っている。

 

人は笑いたい生き物で、快感と気楽が好きなはず。

なぜ、それが妨げられるのか。

根絶すべきは「日本病」で、

すべてはそのためのツールにすぎないと、そう考えれば
問題はとてもシンプルに、すべての人のものになるのではないか。
 

私は、すべてを構築しなおすことがいま必要で

今を逃せば、日本は名実ともにアメリカの属国となり、
すべてが手遅れになるだろうと思っている。

 

このブログで、「日本病対策」というテーマをつくり、

これまで「新しい社会」に入れていた記事を順次移そうと思う。

 

アメブロのハッシュタグ「日本病」で、66件の投稿があるようなので、
これも近々にチェックしておきたい。

 

私にとっての日本病の定義は、この後順次深めていくが、

「無責任」ということを、その特徴として挙げておく。

 

・本来の原因とは関係ない方法で、問題を「水に流す」「みそぎ」の文化

・哲学や宗教にかかわるそもそも論を、避ける風潮

・総花で全員一致、多様性を嫌い、裏で根回しや批判をしてしまう私たち

・非論理的な「直観」を許す。考え方に芯がない。構造もない。

 

外交や安全保障、貿易

社会保障と医療、そして教育

経済、産業、働き方

 

あらゆる政治課題が、この日本病に侵され、
ぽっと出のスローガンのために、

多くのリソースが、人々の幸福や富と関係ないところで無駄に使われていると

私は確信するのである。