焼肉酒家えびすの食中毒は、4人目の死者を出す事態となった。
きっかけであり、最大の犠牲者を出しているのが砺波店ということでもあり、門外漢ではあるが、ひとこと書いておきたい。
 
このところの報道で、生肉を提供することについての基準が「野放し」だったことがわかってきた。
調理したものを出すような商売については、素材・食器から調理者まで消毒を徹底することが求められているのに、ナマの素材をそのまま出すことに対して衛生行政が行き届いていなかった、ということは、店も業界も行政も、もちろん大いに反省すべきだろう。
 
が、それは店と行政の責任で、食べた人間は単なる被害者だ、という論調にはやや疑念を持っている。
 
生肉には、リスクがある。それは、あたりまえのことではないのか。
焼肉やが生肉やになって、特別な配慮なしにユッケを出すようになったことのほうが、怪しいのではないか。
 
ブームだ、みんながやっている、大きな会社の言うことだ、に、日本人は丸め込まれすぎる。
 
福島原発の事故も、ソニーのデータ漏洩にも、平和ボケとでもいえるような、現代の日本人の無邪気な楽天さが背景に感じられるのだ。
 
僕らの子どものころまで、みんなもっと生きることに必死だったように思う。食うか食われるか、生きるか死ぬか、ぎりぎりのところにリアルな喜怒哀楽があって、人は自分の手足で生きていたように思う。
 
うちの小学4年生、サワコさんは、「食中毒とか、そんなさびしい死に方、したくないわ」と言った。
 
聞いたときは違和感があったが、食中毒は、毒殺でもない限り、やはり生き物としての「カン」を失ってしまった人間の、さびしい死に方なのだろうと思う。
亡くなった方を責めるつもりは毛頭ないが、再発防止を考えるとき、「俺には責任はない」という態度では、根本的な対策は打ち出せないと思うのである。
 
 
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