今日は、市の文化会館で、砺波市建設業協会の安全大会があった。

 高岡市の国宝・瑞龍寺の副住職、四津谷道宏(よつやどうこう)氏の記念講演があったのだが、その講師略歴にいわく、「平成9年12月3日に瑞龍寺が国宝指定され拝観客が急増し、普通の説明にあきたらず、落語的な説明をしたところ、好評となる」とのこと。

 どんな紹介やねん・・・

 昭和44年生まれというから、まだ30代。パワーポイントを使って、「なぜ瑞龍寺は建てられたのか」を、幅広い歴史の知識を駆使して、謎解き風に話してくれて、なかなかおもしろかった。

 加賀藩2代藩主・前田利長の菩提寺といいながら、死後31年たってから建築が始まり、18年の歳月をかけたため、できてすぐに50回忌(!)だった、とか。

 金沢城と同じく、屋根を鉛瓦で葺いているが、はじめは本瓦を使っている。北陸の雪で本瓦はすぐ割れてしまうことをわかっていて、葺きなおしをさせたのではないか、とか。

 前田家が、最大の外様大名として、江戸幕府との熾烈な駆け引きをしていたことが、様々な遺構から伺えるようなのである。結論としては、瑞龍寺は高岡城の代用としての、砦なのではないか、というのが四津谷氏の見解のようである。