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 昨日は、石川インテリアコーディネーター協会の総会が金沢で行われました。ICCトヤマから、会長と私が、おじゃまさせていただきました。
 講演は一昨年に引き続き、歴博(石川県立歴史博物館)の本康宏史さん。「眼から鱗の文化財」ということで、文化財指定の裏話を、公にできないことも含めていろいろ楽しく伺いました。

 主には4つの話があったのですが、

1.
天皇の持ち物「御物(ぎょぶつ)」は、国民の財産ではないので「国宝」などの指定にはならない。従って正倉院御物は超国宝級、という言い方になる。
能登で農婦の拾った縄文晩期の使途不明の石器は、地元のお寺→本願寺→明治天皇、と献上され、御物(お宝)となった。後に多く同様のものが出土したが、「御物石器」という一般名称になっている。持ち主によって価値が変わる例。

2.
尾山神社は、もともと御殿だった場所を、明治維新後に前田利家を祀る神社にしたもので、ステンドグラスの入った神門は、「人が集まるような珍奇な建物」を求めた結果建ったもの。神社の神門としてはほかにない「和洋中折衷」スタイルが大不評で、取り壊すことも決まっていたのだが、関野貞(せきのただす)という建築史家が絶賛したところから、金沢を代表する重要文化財・観光名所になった。著名人の一言で価値が一変した例。

3.
陶磁器で現在国宝に指定されているのは13件、私の好きな曜変天目など、国外で作られたものの方が多く、国内で焼かれたものはわずか5件である。
そのうち2つが仁清であり、戦前からの国宝がそのまま戦後も国宝になっているのは仁清だけ。戦前は国宝17点中仁清が11点だった(!!)。
「国宝中の国宝」といわれる仁清(ご存知「色絵雉香炉」は石川県立美術館の至宝)だが、なぜ仁清だけがこれほどの評価なのか。それは、京都で焼かれたからだ!という説がある。国宝 仁清の謎 (角川叢書)岡佳子を下敷きに、社会情勢がお宝の評価に響く例。

4.
奥能登を代表する民俗農耕儀礼「あえのこと」は、国の重要民俗文化財に指定されている。民俗学といえばこの人、の柳田国男が、古代の言葉を残したこのネーミングを気に入ったからではないか?

といったお話です。

 yahoo!のオークションでも、誰がこんなもの買うの?というようなものがいっぱい出ていますが、文化財・宝物・美意識は、時代や見る人によって評価が変わるもの。

 金沢駅前の「太鼓門」、なんじゃこりゃ、と評価は芳しくないけれど、後世大いに評価されるかも、ということで懇親会まで盛り上がりました。