,に続いて)

 

何回か書き継いできて、まだ「協奏社会」という字面しか説明していないような気がする。

もちろん、大事なのは中身で、
より具体的に、人々の判断や選択の「基準」を変えねばならない、という話をする。
 

sustainable (継続性)

協奏社会というのは、「負け組」を作り出さない発想で、

それこそが、22世紀、23世紀と、人類社会が継続するために必要だと思っている、


より具体的には、3つの「よう」(サンヨー、というと覚えやすい)で、

多様(個性が重視され)、寛容(平穏で自由)、凡庸(普通であることの価値を認める)、

ということではないかと思っている。

個人に違いがあることを認めつつ、それを「階層」にしないという

当たり前の人権感覚・民主的な態度が、共有されなければならない。

 

simple (単純さ)

「競争社会」は、協奏社会に対立する概念で、

そこで起こるできごとの代表が、戦争だと思っている。

戦争に勝つには、目的を隠し、戦略を練り、敵の不意を突くのが常套手段で、

ものごとは複雑さを増す。

 

敵を作らない協奏社会では、目的を明示し、方策を検討し、反対者を説得することが必要となる。

自然で、公平で、わかりやすく、子どもにだって伝わるように。
それは、シンプル、という一つの方向を目指すだろう。
大人の事情(例外)だとか、新たな団体を作るとか、ルールを増やすとか、

ものごとを複雑にする方向には、よくよく警戒した方がいい。

 

standard (基準)
負け組とか、落ちこぼれを作らないというからには、
たとえば、「貧困」というのはどのレベルより下か、明らかにせねばなるまい。
それには、「健康で文化的な最低限度の生活」を、仮定することが必要だろう。

ひとり3㎡ぐらいの個人スペース、衣食住のためのさまざまな道具は認められるだろう。

必要なものの価格を、耐用年数で割れば、必要な年収は出てくる。
エネルギーや情報、食物や各種消耗品の購入は、最低限どのくらいか。
収入(フロー)と財産(ストック)は、どのように評価するか。
今や「負の遺産」も、社会問題だ。

項目はたくさんあるが、リストアップすることは、さほど難しいことでも複雑なことでもないだろう。
その、基準がひとつできたところから、

「協奏社会」は、具体性を帯びてくると思っている。





(写真は今年のGW、砺波駅前でのイベントの様子)