次女の中学校卒業記念ということで、先日

家族4人で和倉温泉の「湯快リゾート」金波荘に泊まってきた。





 

 

食べ放題に、卓球、カラオケなど、「温泉」を満喫してきたのだが、
能越自動車道が全通して、和倉温泉はぐっと近くなった。

朝から出ると、時間を持て余してしまう。

 

そこで、女房が行きたがったのが「総持寺祖院」である。


総持寺は、曹洞宗四祖の瑩山(けいざん)紹瑾(しょうきん)禅師が開いた大本山だが、

明治31年の大火災を機に、横浜市鶴見に移転し、

元の場所は伽藍を復興して、「祖院」ということになった。
総持寺祖院があるのは、輪島市と合併した、旧門前町。
まさに総持寺の門前だからこの名がついた、ということであろう。

 

私は何十年前かに行ったこともあるのだが、

七尾本社の会社に勤めていたこともあるという女房が、行ったことがなかったという。

格式の高い七堂伽藍は、明治以降の再興とはいえ、なかなか見応えがある。


 

門前町は、ちょうど10年前、2007年3月25日の能登半島地震で、

最も被害の大きかったところで、

総持寺は今も修理が続いている。

 


上の写真の瓦は、修理中の庫裏に展示してあったもの。

10年前は、第一次安倍内閣の時期である。4月には視察に来ているようだ。

 

この年は7月に中越沖地震もあった。

ともに、何十人も死者が出るような被害はなかったが、

距離的に近いので、印象深い。

 

総持寺には、明治の大火の際に焼けなかった建物もあって、

その代表が、山門の手前にある経蔵である。



 

江戸時代の建物は、

能登半島地震でも被害がほとんどなかったという。

 

五重の塔など、

伝統に則った日本建築は地震に強いと言われる。

21世紀を迎えた今こそ、科学的にそのノウハウを明らかにして、

後世にその知恵を伝えるべきなのではないかと思う。

 

古刹にはよくあるものだが、総持寺の裏山にも、

西国33ヶ所めぐりが再現してあって、

5mから10mおきぐらいにお堂が並んでいる。

さすがに、他の観光客はいなかった。
 

夏から秋にかけては虫や草が厳しいので、今時分に回るのがいいように思う。

 

 

ほど良く疲れたところで、チケット売り場の前にある喫茶店で休憩。


お寺の直営にでもなるのか、禅に関する額が並んでいて、

こだわりのコーヒーが、輪島塗のカップで供される。

 

きけば昨年、鶴瓶の「家族に乾杯」でも、しっかり紹介されていた店だという。
 

テレビに出ていたところで茶や酒を楽しむ、というのが、じつはウチの女房の、数少ない楽しみの一つである。
何のことはない、この喫茶店に入りたくて、総持寺に来たかったらしい。