先日、NHKEテレで放送されたミゼットプロレスの特集「ブレイクスルー」でミゼットプロレス、プリティ太田さんの話をされてたので私も少しミゼットプロレスの話をしたいと思います。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/79/43/j/o0450029713742196146.jpg?caw=800)
まず、ミゼットプロレスの歴史については諸説ありまして、ハッキリとした日時とかは曖昧な部分がありますが、スタートそのものは全日本女子プロレスの発足とほぼ変わらなかったようです。
私もまだ産まれる前の話なので当時を知らなくて当たり前ですが(笑)、やはり当時は娯楽がほぼテレビ、映画に偏ってた時代ですから、一時は見せ物として小人プロレスが女子プロレスよりメインを張ってた時期があるようです。
当時は体育館ではなくキャバレー回りとかが主の時代でしたから。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/1a/bf/j/o0960054013742196151.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/b0/13/j/o0960054013742196157.jpg?caw=800)
女子プロレスにマッハ文朱という最初の大スターが現れたと同時に女子プロレスの歴史も見せ物から本格的なものへと転進し、以後の女子プロレスはいわゆる全女黄金時代へと繋がるわけです。
一方ミゼットプロレスに関しても最盛期には9人から10人近くの人たちがおり、その時の主力にはこんな方たちがいました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/2c/7b/j/o0960054013742196163.jpg?caw=800)
ミスター・ポーン
ダイナマイト・キング
プリティ・アトム
隼大五郎
天草海坊主
リトル・タイガー
リトル・フランキー
角掛留蔵
ミスター・ブッタマン
マッハさんの時代からクラッシュの時代まで激戦の続く興行の中のスパイスとして、また全女が低迷期だったときの原動力として、どの選手もミゼットの人たちには頭が上がらないという意識はあったそうです。
だが当時はやっぱり規制に厳しい時代があってテレビ放送はされず、大会においても出番は地方大会に限られ、後楽園ホールより上の大会には出番がないことが長らくありました。
そのうえもともとケガのリスクの高い職業のため選手も減っていき、対抗戦時代の手前だった1990年代、私が初めてミゼットプロレスを見たときに選手をしていたのはリトル・フランキーと角掛留蔵の二人しかいませんでした。
しかしこの頃、ミゼットプロレスが一般的なプロレスファンに認知されるきっかけがありました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/65/61/j/o0960054013742196166.jpg?caw=800)
1992年9月30日の深夜枠で「ミゼットプロレス伝説」という今回の太田さんのようにミゼットを取り上げた特番がフジテレビで一時間半の時間で放送されました。
深夜にも関わらずけっこうな視聴率があったそうで、この反響からミゼットプロレスが全女のどの大会でも使われるようになり、横浜アリーナや武道館、両国、東京ドームでも試合が組まれたことがあります。
この全女での活躍からミゼットプロレスが一般的なプロレスファンに認知され、市民権を得たと言ってもいいでしょう。
その時にデビューしたのがミスター・ブッタマンです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/e6/f2/j/o0960054013742196169.jpg?caw=800)
ブッタマンは20歳の時に最初はコブッチャーという名前でやっていて、正確には再デビューでしたが、プロレスの夢をあきらめきれず6年ぶりに復帰したのです。
私はそれ以来彼とよく話をしました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/61/42/j/o0960054013742196187.jpg?caw=800)
この特番のためにミゼットでタッグ戦をやることになり、この三人とあと一人沖永良部島在住でセミリタイア状態にあったリトル・タイガーという選手を招聘しました。
私はその時撮影をしていた現場に何度か居合わせたので角掛さんに
「お前伝説のリトル・タイガー知っているか?」
と聞かれました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/0d/69/j/o0960054013742196189.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/d3/ee/j/o0960054013742196194.jpg?caw=800)
後に知った話ではコミカルなものが持ち味のミゼットにおいてリトル・タイガーさんは数少ない本格派だったらしく、ドロップキックの名手だったそうです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/03/c2/j/o0960054013742196196.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/05/49/j/o0960054013742196200.jpg?caw=800)
このタッグ戦を見たプリティ・アトムさんは
「いいですねタッグマッチは。小人が活かされて」
と
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/96/7f/j/o0960054013742196209.jpg?caw=800)
つまりスピード感が命のミゼットにおいて、先代たちはタッグがやれるくらいの人が増えてほしいと思っていたようですが、リトルの兄貴もいなくなり、角掛さんも引退して田舎に帰ってからはブッタマンただ一人が残り、太田さんがデビューするまでは長らく空白の期間がありました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/57/c6/j/o0642096013742196216.jpg?caw=800)
全女が無くなってからそれこそ活動の場を無くし、人知れずといったとこで単発単発で細々とやっており、私もつい最近まではどういう状態か把握できてない状態でしたが、その後太田さんは役者としての道も見出だし、蜷川幸雄作品の常連としてある種のステータスを確立したことを考えればこれはホント本人の努力によることが大きく、同じ全女で生きた人間として嬉しく思っていました。
5月の堀田祐美子自主興行で私はそれこそ何年ぶりかに二人の試合を見ました。
http://s.ameblo.jp/hidekitogashi/entry-12156899045.html
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/2c/64/j/o0960072013742196224.jpg?caw=800)
その時に二人ともいろいろ思うところはあったようですが、やっぱりミゼットプロレスも根本的にはプロレスなので、やっぱりプロレスラーは人前で活躍して応援されて光るので、あとどれくらい見れるかはわからないですけど、やれるうちはしっかりプロレスをしていってもらいたいし、各プロレス団体が彼らの活躍の場をもっと与えてやってくれたらなと思うのです。
笑われるのと笑わせるのはまるで違うことであり、そこをはき違えたらとんでもないことだと思いますけど
でも前に天草海坊主さんだったかな、インタビューでこんなことを言ってたんです。
「俺達はお客さんを笑わせて勝負するわけでしょ。一番思ってたのはお客さんの一人くらい笑って死ねばいいなと思ってたけど、とうとう笑って死ぬ人いなかった(笑)」
不適切な表現かもしれないけどそれだけ自分のやってたことにプライドを持ててたってことは素晴らしいですよね。
太田さんは直接そういう先人たちと接点があったわけではないだろうけど、受け継いだもの、感じたものは同じように思えるのですね。
いつまたどこで見れるかわからないミゼットプロレスですけど、せっかくテレビが放送してくれたのだから、こういう世界があるんだよというのを知ってもらいたいと思って書いてみました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/bd/67/j/o0642096013742196238.jpg?caw=800)
機会があったらそれこそいろんなことを太田さんと語ってみたいですね
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/79/43/j/o0450029713742196146.jpg?caw=800)
まず、ミゼットプロレスの歴史については諸説ありまして、ハッキリとした日時とかは曖昧な部分がありますが、スタートそのものは全日本女子プロレスの発足とほぼ変わらなかったようです。
私もまだ産まれる前の話なので当時を知らなくて当たり前ですが(笑)、やはり当時は娯楽がほぼテレビ、映画に偏ってた時代ですから、一時は見せ物として小人プロレスが女子プロレスよりメインを張ってた時期があるようです。
当時は体育館ではなくキャバレー回りとかが主の時代でしたから。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/1a/bf/j/o0960054013742196151.jpg?caw=800)
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女子プロレスにマッハ文朱という最初の大スターが現れたと同時に女子プロレスの歴史も見せ物から本格的なものへと転進し、以後の女子プロレスはいわゆる全女黄金時代へと繋がるわけです。
一方ミゼットプロレスに関しても最盛期には9人から10人近くの人たちがおり、その時の主力にはこんな方たちがいました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/2c/7b/j/o0960054013742196163.jpg?caw=800)
ミスター・ポーン
ダイナマイト・キング
プリティ・アトム
隼大五郎
天草海坊主
リトル・タイガー
リトル・フランキー
角掛留蔵
ミスター・ブッタマン
マッハさんの時代からクラッシュの時代まで激戦の続く興行の中のスパイスとして、また全女が低迷期だったときの原動力として、どの選手もミゼットの人たちには頭が上がらないという意識はあったそうです。
だが当時はやっぱり規制に厳しい時代があってテレビ放送はされず、大会においても出番は地方大会に限られ、後楽園ホールより上の大会には出番がないことが長らくありました。
そのうえもともとケガのリスクの高い職業のため選手も減っていき、対抗戦時代の手前だった1990年代、私が初めてミゼットプロレスを見たときに選手をしていたのはリトル・フランキーと角掛留蔵の二人しかいませんでした。
しかしこの頃、ミゼットプロレスが一般的なプロレスファンに認知されるきっかけがありました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/65/61/j/o0960054013742196166.jpg?caw=800)
1992年9月30日の深夜枠で「ミゼットプロレス伝説」という今回の太田さんのようにミゼットを取り上げた特番がフジテレビで一時間半の時間で放送されました。
深夜にも関わらずけっこうな視聴率があったそうで、この反響からミゼットプロレスが全女のどの大会でも使われるようになり、横浜アリーナや武道館、両国、東京ドームでも試合が組まれたことがあります。
この全女での活躍からミゼットプロレスが一般的なプロレスファンに認知され、市民権を得たと言ってもいいでしょう。
その時にデビューしたのがミスター・ブッタマンです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/e6/f2/j/o0960054013742196169.jpg?caw=800)
ブッタマンは20歳の時に最初はコブッチャーという名前でやっていて、正確には再デビューでしたが、プロレスの夢をあきらめきれず6年ぶりに復帰したのです。
私はそれ以来彼とよく話をしました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/61/42/j/o0960054013742196187.jpg?caw=800)
この特番のためにミゼットでタッグ戦をやることになり、この三人とあと一人沖永良部島在住でセミリタイア状態にあったリトル・タイガーという選手を招聘しました。
私はその時撮影をしていた現場に何度か居合わせたので角掛さんに
「お前伝説のリトル・タイガー知っているか?」
と聞かれました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/0d/69/j/o0960054013742196189.jpg?caw=800)
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後に知った話ではコミカルなものが持ち味のミゼットにおいてリトル・タイガーさんは数少ない本格派だったらしく、ドロップキックの名手だったそうです。
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このタッグ戦を見たプリティ・アトムさんは
「いいですねタッグマッチは。小人が活かされて」
と
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つまりスピード感が命のミゼットにおいて、先代たちはタッグがやれるくらいの人が増えてほしいと思っていたようですが、リトルの兄貴もいなくなり、角掛さんも引退して田舎に帰ってからはブッタマンただ一人が残り、太田さんがデビューするまでは長らく空白の期間がありました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/57/c6/j/o0642096013742196216.jpg?caw=800)
全女が無くなってからそれこそ活動の場を無くし、人知れずといったとこで単発単発で細々とやっており、私もつい最近まではどういう状態か把握できてない状態でしたが、その後太田さんは役者としての道も見出だし、蜷川幸雄作品の常連としてある種のステータスを確立したことを考えればこれはホント本人の努力によることが大きく、同じ全女で生きた人間として嬉しく思っていました。
5月の堀田祐美子自主興行で私はそれこそ何年ぶりかに二人の試合を見ました。
http://s.ameblo.jp/hidekitogashi/entry-12156899045.html
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160907/00/hidekitogashi/2c/64/j/o0960072013742196224.jpg?caw=800)
その時に二人ともいろいろ思うところはあったようですが、やっぱりミゼットプロレスも根本的にはプロレスなので、やっぱりプロレスラーは人前で活躍して応援されて光るので、あとどれくらい見れるかはわからないですけど、やれるうちはしっかりプロレスをしていってもらいたいし、各プロレス団体が彼らの活躍の場をもっと与えてやってくれたらなと思うのです。
笑われるのと笑わせるのはまるで違うことであり、そこをはき違えたらとんでもないことだと思いますけど
でも前に天草海坊主さんだったかな、インタビューでこんなことを言ってたんです。
「俺達はお客さんを笑わせて勝負するわけでしょ。一番思ってたのはお客さんの一人くらい笑って死ねばいいなと思ってたけど、とうとう笑って死ぬ人いなかった(笑)」
不適切な表現かもしれないけどそれだけ自分のやってたことにプライドを持ててたってことは素晴らしいですよね。
太田さんは直接そういう先人たちと接点があったわけではないだろうけど、受け継いだもの、感じたものは同じように思えるのですね。
いつまたどこで見れるかわからないミゼットプロレスですけど、せっかくテレビが放送してくれたのだから、こういう世界があるんだよというのを知ってもらいたいと思って書いてみました。
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機会があったらそれこそいろんなことを太田さんと語ってみたいですね