天描講座と支笏湖カヌー | ☆ 占い師・画家…人間のようなもの ☆

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画家・伝説の魔術師☆ 相馬 英樹 の愉快な毎日♪

苫小牧さくらぎ笑楽好での天描画講座の帰り道。


支笏湖に近付くにつれ霧が深くなって行く。


いつもの出発地点であるポロピナイ駐車場に到着すると、
ボートの人たちが、霧の中でエンジンや保安設備の点検を始めている。
車中泊しているキャンパーたちの車も数台。



カヌーは正月に来て以来久々なので、今日は慣らし程度にしようと思う。
なので美笛に付いたら、釣りなどをして一息ついた後、引き返す予定。



艇の組み立てと簡単なストレッチを早々に済ませ、風の合図を待つ。

視界の先は、眠りに就いたように静かに脈動する湖面と果てしない霧。



久々に会う支笏湖の鼓動と風を、魂で感じ讃えながら
湖を驚かせない様に、静かにパドルを滑らせる。

僕がカヌーに感じる魅力は、

自分の舟が常に湖に浮かぶ木の葉の如くぎこちなく、
儚く、弱く、美しいものであるという期待と
パドルが水を寄せるときのポコポコポコッ、という水と空気が混ざり合う音。

そして、

起=(水)があれば浮かび、=離岸
承=(風)が吹けば飛び、=選択
転=(火)をつければ燃え、=感情
結=(地)に戻ればホッとする。=帰還

といった物語の始まりから終わりまでを、
4大元素に順じる4つの喜びとして
一度の出艇で起承転結にこじつけ結びつけることも出来る点にある。



ふとパドルを握る手を休めると、遠くから変な声がする。

『オーヮオーエオエオエオエオォォォォ~』

市街地でこの声を聴いたなら、明らかに違和感を覚えるだろう。

非常にミステリアスで、悪魔の様な危うい魅力を秘めた声である。



僕が以前、この声を初めて聴いた時は、

誰かが、感情開放の為に、人里離れた森に来て、思いの全てを
声に乗せて空中に放出しているのかも知れない…

或いは

ボート釣りの人が孤独に耐えられず、気晴らしに騒いでいるのかも知れない…

とも妄想したが、



今思えば、たぶんどちらでもないのだろう。



ちゃんと調べてみたわけではないので確信はないが
たぶん、鹿か何か、野生動物の啼き声なんじゃないかと思う。



岬と岬の間をカットする時や、ちょっと沖へ出た時には、四方が霧に覆われる。

自然の暖かな懐に抱かれ愛されている中での心細さは、
日常的な社会生活の中で失ってきた本能を呼び覚まされる感覚と
存在するもの全てに与えられた『死』や『無』に対する、
極めて3次元的な憧憬や恐れに翻弄されていることを示すのだろうか。



静寂のひと時…
人間も、人間が積み重ねてきた罪も、どんな人工物さえも
自然の一部に過ぎないのだという真実を
霧の向こうに妄想しながら、ニコニコと舟を進めて行く。

AM3時を回ると、
あちらこちらから釣り船のモーター音が鳴り響く。



収穫欲と日常の欲求を解放する為…



自然はただ…何も言わずにそれを受け容れ、優しく抱きしめるだけ。

自然は人間を怨んだり拒むのではなく、人間さえも自然の一部として受け容れてくれるのだ。



岸辺に不自然に打ち上げられたタイヤを眺めたり

岸辺から釣り糸を垂らしている老人と挨拶を交わしたりしながら
そんなことを考えていると、オコタン岬が見えてきた。



オコタン岬を越えた西側に展開する湾状の水域が中継点であるオコタンキャンプ場跡地である。

FBで、昨年のカヌーツーリング写真日記でアルバムにまとめて紹介したので、キャンプ場については書かない。


浅瀬になってカヌーの腹が閊えない地点までの、僅か200メートル程度の短い距離ではあるけれど、支笏湖に流れ込むオコタン川も遡上してみた。

昨年の嵐で管理棟も一部倒壊し、少しずつ自然に帰りつつある様だ。

嵐による影響で完全に地形が変わり、オコタン川の河口も50メートルほど移動してしまった。




河口まで引き返す。

たった200メートル程度だけど、清流を上り下りするのもなかなか面白いものだということが解った。

いつもは此処オコタン川河口で一旦上陸して休息を取るのですが…

何だか後ろから僕と同じコースで移動しつつ釣りをしているボートのエンジン音が、僕の息苦しさを誘発する周波数の波形を放出してるようなので、今回は写真だけ数枚撮って一気に美笛を目指す。



美笛を目指し漕ぎ始めて間もなく、ボートは進路を変えて音も聴こえなくなった。



フレナイ川河口付近でひと休みの上陸。


再び美笛方面へとカヌーを漕ぎ出す。

水が注ぎ込むときの美しい音色に酔い痴れながら目を閉じ、ホッと深呼吸して湖に目を移す。

すると、物凄いスピードでおびただしい数の魚が岸辺を移動して行くのが見えた。



ふと何かを思い出したような衝動に駆られ、後部の収納スペースをまさぐる。

あっ!
こんなところに釣竿が!

更に手探りで収納スペースを探索すると…

あっ!
仕掛け道具一式と様々な釣り用品が!

ゆっくりと慎重に仕掛けをつくり、我に返ると、大切なことを忘れていたことに気付く。



餌が、ないのだ。



落胆していると、湖上に何かが浮かんでいる。

ん?…小魚の死骸…餌だよ!

こいつを鋏で丁寧に小分けして針にセットする。


魚影はもう肉眼で見える範囲には見当たらないが、

河口の周りの泥で薄く濁ったところに糸を垂らしてみる。

すぐに一発目のヒット。



一時間ほどで、川カジカ20匹ほどとアメマスが7匹ほど釣れた。

カジカは食べる部位が殆どないので釣れてすぐに湖に還す。

支笏湖のアメマスは、頭と内臓さえ外せば寄生虫もなく、刺身で食べても焼いて食べても美味しいので、お土産に持って帰るのだ。



美笛キャンプ場付近まで漕いで引き返そうと舟を進める。



途中、ニナル川河口よりややフレナイ川寄りの地点でウグイの産卵風景に遭遇。

この黒い部分が全部、魚だ。

ただ、全部がウグイという訳ではなく、ウグイの産む卵を狙って、支笏湖に住むありとあらゆる種類の魚が集結する。


ウグイの卵を狙ってやってくるアメマスやヒメマスを狙って釣り糸を垂らす。

釣り界では邪道だが、邪道こそが僕の王道かも知れない。


ニナル川河口付近は、支笏湖岸の中で最もヒグマの目撃例と出没跡が多い場所である。


それだけ人が立ち入る機会も少なく、自然が豊富なのだと思う。


釣りをしてみると、小ぶりなアメマスが何匹も釣れた。



ふたたびここに記しておきたいことが、一つだけある。


自然はただ…何も言わずにそれを受け容れ、優しく抱きしめるだけ。

自然は人間を怨んだり拒むのではなく、人間さえも自然の一部として受け容れてくれるのだ。

そこに行って受け取るものがある人や

そこで過ごす時間を必要とする人が居る限り。


ほら、僕なんかただ自分の好きな点描を広め、帰りに遊びに行っただけなのに

点描画講座の報酬と、平取トマトと、アメマスとチップ合わせて20尾ぐらい貰っちゃった。

魚は小さいから、家族で全部食べたけどね。



そんな訳ですから、皆さんも機会があったらぜひ、最寄りの自然豊富な場所へ行って見て下さい。

何かこう、いつもと違った感動や感謝に出逢えるかも知れませんよ。


では、今日はこの辺で。


また会う日まで、ごきげんよう!