八幡の武将 〜氏康の病〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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世は群雄割拠の戦国時代

わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。




1571年1月、深沢城(ふかざわじょう)から撤兵した綱成(つなしげ)らは足柄城(あしがらじょう)に入りました。

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足柄城跡

コアラ足柄城は現在の神奈川県南足柄市と静岡県駿東郡小山町の境界にあったんだよ。



足柄城で綱成は援軍として出陣してきた氏政(うじまさ)の軍と合流しました。

綱成「御館様、深沢城を守れず申し訳ございませぬ。」

氏政「今しばらく深沢城を死守していれば、我らが武田(たけだ)軍を蹴散らしたものを…。」


綱成はわしからの密命がなければ、もっと籠城できたはず…しかし、綱成はそれを口にはしませんでした。


綱成「この先は深沢城を取り返しに進軍されますか?」

氏政「父上から綱成が退いてきたら足柄で守りを固めよと命ぜられておる。」

綱成「ならば、それがしが足柄の守りましょう。」

氏政「いや、綱成は小田原城(おだわらじょう)の父上の元に行ってくれ。父上の容態があまり良くないのだ…。」

綱成「大殿が…そんなにお悪いのですか?」

氏政「うむ…呂律が回らないことが多くなり、会話も少なくなってきた。我ら兄弟の名前も間違えることもある。」

綱成「すぐに参ります。」



コアラ氏康さんは中風の病を患っていたと言われてるんだ。中風って脳出血後の後遺症で半身不随、マヒ、言語障害等々のことなんだ。


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この頃のわしは氏政が言うとおり、会話がままならぬ状態で手もまともに動けなくなっていました。



綱成は小田原城に着き、わしの元に来ました。

わしは床についていました。


綱成「大殿…綱成でございます。」

氏康「綱…成…!綱成、戻ったか。待っておったぞ。」


わしは綱成を見たとたん、身体が良くなったようでした。

氏康「情けない姿であろう。」

綱成「思ったよりお元気そうでなによりです。」

氏康「武田とはいかがであった?」

綱成「和睦の方向で間違いありません。武田もそれを望んでいました。」

氏康「そうか、信玄とは会ったか?」

綱成「はい。信玄は西を目指しています。」

氏康「やはりな。駿河攻めを見ていたら、そう思っておった。我らとは目指すところが違うのだな。」

綱成「そのようにございます。」


わしは此度の綱成の働きに満足しました。


綱成「大殿、この密命のこと、氏政様はまだご存知ではありませぬ。」

氏康「うむ。氏政が戻ってきたら、わしから伝えよう。武田と三国同盟が切れた時、氏政の正室・(うめ)を離縁させてしまい、氏政には辛い思いをさせてしまったからな。」


コアラ氏政さんは正室の梅さんを離縁するのをかなり渋っていたんだよ。梅さんは武田信玄さんの娘で離縁後、甲斐国に戻り亡くなったんだ。





その後、綱成は玉縄城(たまなわじょう)に戻りましたが、鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に頻繁に行っていました。

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鶴岡八幡宮


綱成はわしが病気から回復するよう祈願していたのです…。







つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜









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