八幡の武将 〜謀略にかかった北条〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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世は群雄割拠の戦国時代

わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。



1564年1月、我が北条軍は葛西城(かさいじょう)に入り、対する里見(さとみ)軍は江戸川(えどがわ)を挟んだ国府台城(こうのだいじょう)に入りました。


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現在の江戸川

コアラ当時の江戸川は今より川幅は狭かったようだね。



北条本隊を率いるのは綱成(つなしげ)です。


綱成は対岸の国府台城方面を見渡し、

綱成「再び国府台で里見と戦するとは何かの運命かもしれん。」

美郎(よしろう)「あれは1538年の戦でしたね。あの戦では里見は無傷で逃亡しました。」

綱成「あれから里見には苦しめられておる。此度は必ず決着をつけねばならん。」

コアラ1538年の国府台での戦は里見は小弓公方(おゆみくぼう)の足利義明(あしかがよしあき)さんと結んで北条と戦ってたけど義明さんが討死したら、さっさと逃亡したんだよね。


その時、綱成の元に忍びの美咲(みさき)から報せが入りました。

美咲「殿!先陣の遠山綱景(とおやまつなかげ)殿と富永直勝(とみながなおかつ)殿の隊が川を渡っています!」

綱成「何っ!誰の命で渡っておる⁈ 」

美咲「わかりませぬが…国府台城を攻めるのでは!」



コアラ綱景さん、直勝さんが現在の矢切の渡し(やぎりのわたし)辺りから江戸川を渡ったんだ。


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矢切の渡し




江戸川を渡った綱景、直勝は国府台城を攻め始めました。


綱景「国府台城を落とさねば我らは氏康様に責められる。」

直勝「功を立てねば我らは死しかない。皆の者!かかれ!!」



対する里見軍を率いるは里見義弘(さとみよしひろ)。

義弘「我が忍びの言うたとおり、攻めてきおったわ。作戦どおり行くぞ!」



里見軍は一旦退くような動きをしました。
それを見た綱景、直勝らは好機と見て深く攻め入りました。


しかし…


義弘「今じゃ!かかれ!」


里見軍は坂の上より一挙に攻めかかりました。これにより綱景、直勝の隊は総崩れとなったのです。





悲報がわしや綱成の元に入ったのは、それからすぐでした。


美郎「綱景殿、直勝殿…ともに討死しました。」

綱成「何てことだ…。勝手に動きおって。」

美郎「…戦を見ていた我が手下が言うには綱景殿、直勝殿は大殿(氏康のこと)から責められると脅えておったと。」

綱成「大殿が?そんな話は聞いておらぬぞ。」

美郎「先ほど確認したところ、大殿はそんなことは言っておらぬとのこと…これは敵の罠にかかったのでは…。」

綱成「敵の忍びの仕業か⁈ 」

美郎「2人は里見の忍びの讒言に騙されたのでしょう。大殿が里見を討たねば命はないと偽りを吹き込まれたのだと思います。」

コアラ綱景さん、直勝さんは同じ江戸城(えどじょう)の城代であった太田康資(おおたやすすけ)さんの裏切りを見抜けなかったことに負い目を感じていたようなんだ。






綱成はわしの元に来て作戦の練り直しをしました。


綱成「敵が謀略を用いるなら、こちらも使いましょう。」




そして、我が北条軍は密かにある作戦に動き出したのです…。










つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜







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