八幡の武将 〜里見の反撃〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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世は群雄割拠の戦国時代

わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。




1556年、綱成(つなしげ)の働きにより北条方についた上総国の国人衆を里見氏(さとみし)が攻め始めたのです。

コアラこの時の里見の当主は里見義堯(さとみよしたか)さんだった。


義堯「北条についた裏切り者は討ち亡ぼしてやるわ!!」


この頃、里見は甲相駿三国同盟(こうそうすんさんごくどうめい)に対抗する策に動き出していました。

その動きを綱成が調べていたのです。


美郎(よしろう)「殿、里見の忍びが越後へ向かっています。」

綱成「やはりか、長尾景虎(ながおかげとら)と結ぶつもりだな。」


コアラ景虎さんのところには北条の敵の上杉憲政(うえすぎのりまさ)さんもいて反北条の勢力が集まってるね。




この里見の国人衆鎮圧の動きと同時に義堯はさらに別隊を動かして始めたのです。


義堯「水軍で三浦半島の北条勢を攻めるのだ!頼むぞ!義弘(よしひろ)!」

義弘「はい!父上!」


コアラ義弘さんって義堯さんの嫡男なんだよ。


1556年、里見の水軍は80艘余りで江戸湾を渡り三浦半島の三崎城(みさきじょう)を攻めてきたのです。


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北条は三浦半島にいた兵に小田原から送った兵を合わせて、里見水軍を迎え撃ったのです。



しかし、勢いに乗った里見水軍が戦いを優位に展開していました。


義弘「我が里見が三浦半島を頂くぞ!!北条なぞ敵ではないわ!!」





ところが夜になり三浦半島は暴風雨に襲われたのです。


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北条水軍の船は沈没、里見水軍の船も沖に流され、義弘や残った里見の兵はやむなく安房に帰っていったのです。


北条は暴風雨に救われたのです。





この三浦三崎の戦い(みうらみさきのたたかい)では北条水軍より里見水軍の方が水軍としての力量は上だったのです。





この頃、綱成は越後国の長尾勢が攻めてくるのではと考えていましたがそれはありませんでした。


コアラ長尾景虎さんはこの頃、家臣の内輪揉めに嫌気がさして出家隠遁してしまったんだ。だけど家臣が必死で止めて出家隠遁は取りやめになったんだよ。




そして…1557年、綱成はついに景虎を初めて見ることになるのです…。








つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜














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