世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
玉縄城(たまなわじょう)に戻った綱成(つなしげ)は里見氏(さとみし)攻めの為に忍びの美郎(よしろう)を使い、里見の状況を調べ始めました。
綱成「里見は鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)を焼いた憎っくき敵。わしが必ず成敗致す。頼むぞ、美郎。」
里見は1526年に鎌倉を襲撃したんだよ。その時に鶴岡八幡宮が燃えちゃったんだよね。
美郎「綱成、行く前に伝えておきたいことがあります。」
綱成「暗殺者のことか?」
美郎「はい、美咲(みさき)を操っていたのは…関政助(せきまさすけ)ではないでしょうか?」
関政助は綱成さんの前の玉縄城の城主、為昌(ためまさ)さんの時から仕えていたんだよ。
綱成「美郎もそう思うか…されど政助の姿が見えぬのだ。」
美郎「どうやら知らぬ間に逃げたようです。正体がばれると思ったのでしょう。」
綱成「政助は忍び、知らぬ間に逃げることくらい容易いことなのだろう。」
美郎「我が風魔の忍びが探しております。しかし油断の無きように…。」
そう言い残し、美郎は里見の本拠地久留里城(くるりじょう)に向かいました。
里見は1538年の国府台合戦(こうのだいかっせん)では負けはしましたが無傷だったのです。
戦後、上総国や下総国に積極的に勢力を拡げていたのです。
この頃の当主は里見義堯(さとみよしたか)でした。
綱成は美郎に命じ、上総国や下総国の武家、国人衆の間に北条が攻めてくると噂を流したのです。
「北条が攻めてくるらしいぞ。」
「河越で八万の軍勢にわずかな兵で勝った北条が来るのか…。」
「里見は勝てるのか?」
「北条に付いたほうが得策ではないか?」
そんな噂が里見氏傘下の国人衆が北条方に寝返ったのです。
そんな中に里見氏の家臣・正木氏(まさきし)の一族の内房正木氏(うちぼうまさきし)が北条方に付いたのです。
内房正木氏の当主、正木弥五郎(まさきやごろう)は、
弥五郎「正木は里見の家臣ではない!北条と組んで里見を討ってくれるわ!」
綱成は里見に対立する勢力を味方に引き込み、里見を攻めていました。
そして1553年、北条の支援を受けた内房正木氏は同族の勝浦正木氏(かつうらまさきし)の正木時忠(まさきときただ)の守る金谷城(かなやじょう)を攻めました。
綱成が里見攻めを始めた頃、信濃国では武田晴信(たけだはるのぶ)と長尾景虎(ながおかげとら)が戦う戦国時代の大戦、川中島の戦い(かわなかじまのたたかい)が始まったのです。
この戦いに北条も巻き込まれていくのです…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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