八幡の武将 〜絶対絶命〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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世は群雄割拠の戦国時代

わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。



1545年、駿河国の今川義元(いまがわよしもと)が我が父・氏綱(うじつな)の時代に奪われていた河東の地を奪還すべく進軍してきたのです。


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今川義元です。今こそ河東を戻してもらうぞ!!


コアラ河東の地は富士川から東の地域なんだ。氏綱さんの時に義元さんが武田と同盟を結んだことで怒った氏綱さんが奪った地域なんだよ。



そんな中、河越城(かわごえじょう)から戻ってきた忍びの小太郎(こたろう)より綱成(つなしげ)からの伝言をわしは聞きました。


氏康「上杉(うえすぎ)の動きがおかしいと?」

小太郎「綱成様が言うには上杉の兵は戦はせず、逃げるばかりだと…。」

氏康「うむ〜、戦う気がないのか…。気には留めておこう。それより今は河東に進軍している今川を追い払わねばならぬ。河東には長久保城を守る長綱(ながつな)殿も入るが…、」


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長久保城跡(現在の静岡県駿東郡長泉町)


ところが進軍してきたのは今川だけでなく武田(たけだ)の兵もいたのです。


氏康「武田め!同盟を結んだのは偽りか⁈ 駿河へ急行するぞ!出陣じゃ!!」



コアラこれが第二次河東一乱(だいにじかとういちらん)っていうんだよ。




その頃、河越城の綱成は上杉家(うえすぎけ)の動きに備え、兵糧を集め武具を整備し、いつ戦が起きてもいいように準備をしていました。


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河越城跡(現在の川越城本丸御殿)


そんな綱成の元へ驚くべき報せが入ったのです。


綱成の家臣「殿!!上杉の兵が攻めてきます!」

綱成「やはり、来たか!兵の数は?」

家臣「たっ、大軍です。上杉だけではありませぬ。古河公方(こがくぼう)の足利家(あしかがけ)の旗指物も見えます!」

綱成「何っ!古河公方は北条と縁つづきなはず!裏切ったか⁈ 」

コアラ古河公方の足利晴氏(あしかがはるうじ)さんには氏綱さんの娘が嫁いでいて縁つづきになっていたんだよね。



河越城を攻めてきた山内上杉家(やまのうちうえすぎけ)、扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)、古河公方の兵の数は八万だったのです。


綱成「この城には三千しかおらぬ…よし!籠城をするぞ!あとは氏康様に援軍を求めるしかない。」



綱成からの報せは忍びを通じて、わしの元に来ました。

しかし、わしは今川、武田と交戦中…。

氏康「今川と上杉は密かに示し合わせておったな。見事に我が北条を挟み撃ちにしてくれたわ!」

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こんな絶対絶命の状況の中、北条に助け舟を出したものが現れたのです。



それは武田でした…。












つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜








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