世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1537年、扇谷上杉朝興(おうぎがやつうえすぎともおき)が亡くなり、若年の朝定(ともさだ)が後を継ぎました。
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これを好期とみた我が父、氏綱(うじつな)は扇谷上杉家の本拠の河越城(かわごえじょう)を攻めるため、兵を進めました。
この出陣にはわしや綱成(つなしげ)も加わりました。
河越城を囲んだ北条軍の中で綱成の軍は先陣を切って攻めていきました。
氏康「あの綱成の旗指物は…。」
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氏康「八幡とは…。綱成の守護神・八幡大菩薩のことを表しているな。」
八幡の文字の旗指物を指した綱成は一気に河越城を攻めて扇谷上杉家の兵を蹴散らしていきました。
綱成「よーし!勝った、勝った!北条の勝ちだ!」
綱成は大声で「勝った!」と連呼しながら攻めて行ったのです。
「うわぁ〜、逃げろ!」
扇谷上杉家の兵は我れ先にと逃げていき、河越城は我が北条軍の手に落ちたのです。
河越城へ入城したわしは綱成の功を褒めました。
氏康「さすが綱成だ。見事な先陣であった。」
綱成「ありがとうございます。」
氏康「ところであの連呼していた叫び声は?」
綱成「あっ…勝ったと叫んでいたのは、氏康様の真似をしたのです。」
氏康「わしの真似?」
綱成「小沢原の戦いで氏康様が勝ったと連呼したと聞き、私も勢いをつけるために叫びました。」
照れ笑いをしながら話す綱成をわしは見事な家臣だと誇らしく思えました。
この後、河越城の城代にはわしの弟の為昌(ためまさ)になりました。
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同じ1537年、氏綱を怒らすことが駿河国で起きました。
駿河国の新たな当主の今川義元(いまがわよしもと)が北条と敵対している武田信虎(たけだのぶとら)の娘を娶り武田氏と同盟を結んだのです。
氏綱「今川は我が父・早雲(そううん)以来の同盟なのに、我が北条の敵と同盟を結ぶとは…!」
氏綱は今川氏との同盟は破れたとして駿河国を攻めてたのです…。
つづく…
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