八幡の武将 〜八幡大菩薩〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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世は群雄割拠の戦国時代

わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。



1532年から始まった鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の再建の現場に綱成(つなしげ)はよく顔を出していました。


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現在の鶴岡八幡宮



コアラ1526年の里見氏(さとみし)との戦いで鶴岡八幡宮は焼失していたんだ。


わしが鶴岡八幡宮に訪れた時、ばったり綱成と会ったのです。

氏康「綱成、鶴岡八幡宮によく来ているそうだな。」

綱成「ええ、私は八幡様を信仰しております。いつ戦場に出るかわかりませぬゆえ、こうして戦勝祈願をしております。」


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八幡神


コアラ八幡信仰は平安時代以降、武士の間で広がっていたんだよ。


綱成は月に一度は身体を清め八幡神に戦勝を祈願していたのです。

氏康「わしも見習わねばならんの。」






1533年、それまで我が北条氏を囲んでいた北条包囲網がついに崩れました。

安房国の里見氏で内訌が起き、当主の里見義豊(さとみよしとよ)が叔父の実堯(さねたか)を殺害したのです。

氏綱(うじつな)は里見の状況を見て動きました。

氏綱「今が好期だ。実堯の子、義堯(よしたか)を援助して味方につけるのだ。小太郎(こたろう)動くのだ。」

小太郎「かしこまりました。」


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里見義堯じゃ。北条の力を借りて義豊を討つ!


北条の援助を受けた義堯は義豊を討ち里見氏の当主になりました。


これにより北条包囲網の一角が崩れたのです。



さらに包囲網の一つ、上総国の真里谷氏(まりやつし)でも内紛が起き真里谷氏を頼りにしていた小弓公方(おゆみくぼう)の足利義明(あしかがよしあき)の勢力が弱まる結果となったのです。


コアラ真里谷氏の内紛で北条と里見は再び対立することになるんだ。




一方で甲斐国の武田氏(たけだし)とも争いも続いており、1534年には山中の戦い武田信虎(たけだのぶとら)の弟・信友(のぶとも)を討ち我が北条は大勝したのです。



ところが我が祖父・早雲(そううん)以来の同盟関係だった駿河国の今川氏(いまがわし)と争いが起きることになるのです…。













つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜