こんにちは。ひだまりです。
「貫く」
のが男性性
「包み込む」
のが女性性
女性性がひらかなければ、
男性性は進めませんね
(まぐあいと同じです)
違和感を少しでも感じたら、
少しでも不安があれば、
それは無視してはなりません。
繊細さが、
互いを傷つけることもあるからです。
愛をとめないで、
愛を選んでいたい。
あなたが私を愛するように、
私もあなたを愛したい。
女性性の悦びと輝きを、
ただただ、綺麗だね、美しいね
そう言って、
浸り、求めて、溶けていく。
儚さと愛と温もりを感じながら。
男性性は、女性性のおおらかさやしなやかさに芯を持たせる役割を果たします。女性性の揺らぎ、滑らかさは確かに美しいものです
しかし、その揺らぎや滑らかさを
未熟な男性性を守るために使っていたり、
盾にさせるようなことをすれば、
足元のフラフラした木のように倒れてしまうでしょう。それこそ、根腐れを起こしてしまい、木全体のバランスが崩れ、その森の生態系すらも脅かすことにもなりかねません
「女の腐ったようなやつ」
と言うことばを聞いたことはありませんか?
男性性が立ち上がることなく、
または立ち上がっているのにもかかわらず、
女性性をたてにして、うじうじと、流れるままに、ヨロヨロと、揺らいでしまう姿のことを指しているように私は思います。
逆境に立ち向かう時、
男性性だけで進めば、周りを傷つけます。
はじめこそ、あなたの強さに人々は惹かれて近寄っていきますが、
周りがあなたに縋ったり、
あなたが周りをコントロールするようになり、
勢い余って、周りをも滅ぼすでしょう。
女性性だけで進めば、周りを腐らせます。
はじめこそ、あなたの揺れ動く姿に人々は心動かされ近寄っていきますが、
周りがあなたを利用したり、
あなたが周りに依存するようになり、
揺れ動きすぎて、周りをも腐らせるでしょう。
たとえば、
女性性だけになれば、
あなたは、仕事を気分によって休みがちになることでしょう。会社勤めなのに、気分によってやる、やらないが分かれてしまうあなたは、「これが私だから」と周りに胸を張った(未熟な男性性)とします。
本当にバランスがとれた状態なら、
たとえば、
あなたはまず、仕事をやめて(女性性を尊重した自立した男性性)
気分によって仕事をさまざま変えられるように工夫して(女性性の自立)、毎日が心地よく感じられるように(女性性)、知恵を尽くし、行動する(自立した男性性)必要があります。
それぞれが、本当の意味で自立するためには、
お互いの立ち位置を理解する必要にあります。
いちいち、行動の全てを女性性、男性性、に棲み分けする必要は無いですが、
女性性オンリー、
男性性オンリー、
にならないよう、バランスをとることがとても大切なのです。
とはいえ、人間は弱いので、
いわゆる所の「ハリボテの男性性」や「ハリボテの女性性」を使わざる得ないこともあるでしょう。
いいんですよ。逃げても。
みっともないですけどね。
ダサいですけどね。
でも、いいんですよ。
人間ですから。
別に馬鹿にしてるとかそんなこともありません。
本当に、「仕方ないこと」もあるのです。
社会の側が、真の女性性や男性性(要は「本質」のぶぶん)から遠いという現状のなか、ハリボテを全て取り払ったら、「生きづらさ」MAXすぎて、自殺してしまうでしょう。
まずは、生き延びるために、
ときには、逃げることも必要なのです。
私も過去、そうしてきたように。
そして、これからも、そういうことがあるだろうとも思うように。
ただ、それでも、
見て見ぬふりをするのではなく、
きちんと、後からでもいいから、振り返って、ああ、あの時私は逃げたんだ、と思って、
悔い改めることが出来ればいいのかなと
私は思っています。
あぁ、人間って美しいね!!!
どんな姿も美しい。
あなたもわたしも!!
いつもありがとうございます。
また更新します。