こんばんは。ひだまりです。
なんだか今日は「愛」についての話題を書きたいという気持ちが。
ふと、思ったのは、そういえば、私、愛の扉閉めて、
無理やり開けてもらうことに快感を感じている時期があったな、
ということです。
「私は愛されたくない(いやほんとは愛されたいんだけど)」
バタン。
扉の前で背を向けている私。
コンコン
「ねえ、いるんでしょ?」
「来ないで!(きてよ)」
「ねえ、おいでって」
「いきたくない(行きたい)」
「来いって!」
バン
(やった~きてくれた~)
あ~はいはい。
って感じ。
でもね
本当にこれで快感を感じていました。
閉じられた扉を無理やり開けてくるくらいの気持ちがあってほしい、
みたいな。
それくらいの情熱がなければ私は受け入れませんという気持ち。
今は、これはなくなって、
眼の前で起こる事象について、ああそうなのかと受け入れるようになったので、
すごくシンプルになりました。
要はかなりめんどくさい女だった、ということ。
そしてこのパターンで恋愛をすると、だいたいドロドロになります。
「私を過度に必要としてくれるあなた」
と
「あなたを過度に必要とする私」
の共依存関係が成り立つから。
これは本当に苦しいし、心地よくない。
首しめられながら、にこにこ笑うような感じ。
(どんなプレイ)
こういったことが続いてしまうと、
愛を感じるアンテナが折れてしまって、虚しくなって、
辛くなります。
大切なのはお互いに自立するということ。
そうすると、過度に相手を求める必要もなくなるし、
求められることに快楽を感じることもない。
程よい距離感を保ちながらお互いになすべきことをなすことができるのです。
もちろん、泥沼のような恋が悪いということではないです。
それもまた必要なこととして起こります。
ただ、その背景を自分できちんと理解するということはとても重要です。
ただ、流されるままに生きていればいいということではないのです。
よく、スピリチュアルの界隈の人は
「流れに任せて」といいますが、それはあっているようでまちがってもいます。
流れに任せていいのは、「そう在る」ということを理解するということであって、
ただ、悪縁、悪習慣を「これでいいのだ」「みないふり」をして
正当化するために「流れに任せる」ということは本末転倒なのです。
大切なのは、
「うんうん、そっかそうなのか。ところでなんでこうなった?」
ということ。
自分の中にある背景を知ること。
インナーチャイルドが泣いていないだろうか、
自分の魂の声を無視していないだろうかと
振り返るということはとても大切なこと。
なにか「ん?」と思ったら一旦立ち止まる。
そして、もう一度咀嚼する。
もう一度振り返るということが大切です。
いつもありがとうございます。
また更新します。