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ICL手術体験記、今回は術後1ヶ月健診のお話です。
一週間検診で術後の経過も良好と言われ、日々の生活でも保護眼鏡を外せるようになりました。
日常生活の制限も「温泉・プール」以外は元通り。点眼薬は手術当日にもらったものを使い切ったら終了。2週間くらいでなくなったと記憶しています。
最初のうちは裸眼になるのが不安で保護眼鏡をかけていましたが、そのうち眼鏡の曇りが煩わしくて外すようになり、そのまま裸眼生活に突入しました。
毎日顔を合わせている人からは「化粧した顔見るの久しぶりだね」と言われますが、見た目はいつものコンタクトレンズ生活に戻ったようなもの。こちらから言わない限りICL手術をしたなんて誰もわかりません。むしろ手術後もICLの話をすると「眼鏡じゃだめだったの?」と言われるのは変わりません……。
部屋の片付けをしていると、戸棚から出てくるコンタクトレンズの洗浄液。未開封のものを知り合いに譲った時に「ああ、もうコンタクトレンズの手入れをしなくていいのだな」としみじみ感じました。
日々の生活の中で見えるハログレアは相変わらずですが、毎日見えているとだんだん慣れてくるものです。けれど疲れ目だけはどうしても慣れず、ブルーライトカットの眼鏡を作るべきかと量販店系の眼鏡屋さんに寄ったことがありました。
その日はたまたま立ち寄っただけですが、店員さんに「視力矯正の手術をして遠視になった人もいますし、リーディングレンズを作っても良いのでは?」と言われました。
「リーディングレンズって何ですか?」
「いわゆる老眼鏡ですね。手元にピントを合わせやすくなるので、読書やスマートフォンの操作も楽になりますよ」
と言われましたが、心の中では「老眼鏡……!」とたじろぎます。
いずれ加齢とともに老眼鏡が必要になるのはわかっているけど、せっかくICL手術をしたのにもう老眼鏡を使わなきゃいけないの? そもそも手術後すぐに視力矯正の眼鏡ってかけていいものなの? 矯正した上からまた矯正するって本末転倒じゃない??
と、その日は話だけを聞いて帰宅。いままで使っていた近眼のレンズはマイナスの度数になりますが、老眼鏡はプラス0.5、1、2……と増えていきます。通販なら度入りのブルーライトカット加工のものをお安く買うこともできるけど、そもそも本当にリーディングレンズは必要なのだろうか? とパソコンの前でにらめっこ。
どうして1週間検診のときに聞いておかなかったのだろう……と後悔しつつ、もう一度眼鏡屋さんの話を聞こうと決意しました。
前回はお安く眼鏡を作れるお店でしたが、次はお値段もそれなりにするけど技術もちゃんとしているザ・眼鏡屋さんに行ってみよう。そう、富〇メガネのベテランおじさまなら知識も豊富なはず……と、おそるおそるお店を訪れ、おっかなびっくり店員さんに訊いてみることにしました。
「あの、視力矯正の手術をしてブルーライトカットの眼鏡を作ろうと思ってるんですが……」
「視力矯正? レーシック?」
「いえ、目の中にコンタクトレンズを入れる方です」
「おお~新しい方の手術をしたんだね」
と話すおじさまは見るからにベテランさんです。他店でリーディングレンズの話をされたこと等相談すると、おじさんが機械の前に座るよう促しました。
覗き込むと、見慣れた小さな家の写真が。病院で何度も見た気球の写真と同じく、視力を測定する機械です。
「……特に遠視にはなっていないから大丈夫だよ。手術をしてまだ日が浅いんだもんね。近眼の度数は強い方だった?」
「コンタクトで-8.5か-9ですね」
「なるほどね。近視の人は今までずっと、近いものを見るために目の筋肉を使っていたんだよね。でも、手術をしたことで遠くのものも見えるようになったから、いまあなたの目はピントを合わせる筋肉が頑張っているんだよ。いまは目の筋肉が筋トレしていると思って慣れるまで様子を見て、どうしても辛ければ百均のブルーライトカットのレンズでいいと思うよ」
目の筋肉が筋トレ中……はじめて聞く表現ですが、なるほど、そう言われるとわかりやすいですね。
「うちの眼鏡は度を入れずにブルーライトカットだけでも作れるけど、価格はこれくらいだからね(値段表を見せながら)。いまはまだ様子を見ていいと思うよ。将来、老眼が出て来たらそのときはよろしくね」
と、親切丁寧に説明してくれたにもかかわらず、何の商品のおすすめをされることもなく店を後にしたのでした。ありがとう富〇メガネのおじさん、老眼が始まった時はどうぞよろしくお願いします。
その後も長くスマートフォンやパソコンをいじっている時は頭痛が出ることもありますが、手元のピントも合わせやすくなりました。積極的に目のケアをして、蒸気で温める系のアイマスクを愛用しています。
ほか、術後に行ったのが警察署。これは運転免許の眼鏡等限定を解除してもらうためです。たとえ視力矯正で裸眼生活ができるようになっても、運転免許証に『眼鏡等』が残っていると、裸眼で運転すると罰金や減点の対象になってしまうのですね。
警察署の免許証センターで限定解除したい旨を伝えると、書類の記入と視力検査があります。免許証更新の人たちに混じりながら検査をして、そのまま手続きをして……少し待てば免許証の後ろに眼鏡等の限定が解除された旨を記してもらえます。
何も知らずに運転して、うっかり減点になると目も当てられないから、視力矯正した人はちゃんと免許証の手続きをしようね!
さてさて、最後は術後一ヶ月検診の話。
病院の受付を済ませると、1週間検診と同じように目の検査があり、その後医師の診察があります。
視力は右目が1.2、左が1.5と前回と同じ。さらに乱視のチェックもしますが、乱視レンズを入れたからといって見え方が変わるわけではない謎……。
その日は院長先生がお休みのため別のドクターの受診でした。
「やっぱり疲れ目があって……疲れ目用の点眼薬って処方してもらえますか?」
「それはできるけど、今日の検診も手術台に含まれているから、処方箋を発行するとお金がかかっちゃうけど大丈夫?」
疲れ目改善の成分が入っている目薬は市販でも売っています。私は病院で処方箋を発行してもらいましたが、調剤薬局で支払う金額も合わせると市販のものを買うのと同じくらいの値段になるのかな?
疲れ目の相談をすると、ドクターが目の縁に黄色い試薬のようなものを垂らします。診察室の電気を消して暗くし、まばたきをしたあとの目に光をあてて試薬で色づいた涙の様子を観察する……そう、これはドライアイの検査。コンタクトレンズを毎日使用していた時はまばたきをしてもすぐに試薬が乾いてしまい、ドライアイと言われていました。
「目の乾きは問題ないから、疲れ目用の目薬で問題ないですね。次は3か月後の検診なので、またタイミングの良い時に来てくださいね」
「もう温泉入っても大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。温泉好きなら、我慢するの大変だったでしょう」
と、日常生活の制限がすべて解除され、1ヶ月健診が終わったのでした。
診察の検査で大丈夫と言われた目の乾き。ICL手術が終わってから、ドライアイが改善されたのを実感していました。
手術前から眼鏡生活を中心に過ごしていたのですが、冬場の乾燥した季節でもコンタクトレンズを使っていないだけでドライアイはだいぶ改善されるのですね。そして手術で完全な裸眼生活になりましたが、疲れ目の目薬を差すことはあってもドライアイ用の目薬をつかうことがなくなりました。日々の生活で目を酷使しているため、乾きを感じないのはとても快適です。
術後一ヶ月になると裸眼生活にもすっかり慣れ、ハログレアも日常の一部になってしまっていますが、鏡で見た自分の顔に変化がありました。
眉間が、ぱっと開いているのです。
年齢的にまだ「眉間のしわ」はないのですが、いつしか眉頭のあたりに筋肉の盛り上がりができるようになっていました。これはもうこういう顔なのだと思っていたのですが、手術を機にその盛り上がりが消えたということは、いままでずっとピントを合わせるために眉頭に力が入っていたのでしょう。
たしかに、手術をしてから目の奥?眉頭?のあたりに謎の違和感があるなとは思っていました。いままで力を入れていたところの緊張がなくなり、就寝時などに「どこかわからない筋肉の力を抜く」という謎の感覚があったのです。術後しばらくは表情の変化などはなかったのですが、術後1カ月で「おや?」と気づくようになりました。
つまり今まで、般若のような目つきをしていたのかもしれません。
日常の変化はこれからも増えていくのだと思います。
現在、体験記として書けるのは1カ月健診まで。連続して書いていた記事も今回でひとまず終了です。
次回は3カ月健診。その時はハログレアも少し改善されているといいなぁ……。
ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございました。
以上、変温動物予備軍より愛をこめて。田丸久深でした。
ICL手術の体験談ももうすぐ終わり。今回は一週間検診までのお話です。
手術翌日は自宅で安静にしていましたが、3日目には仕事にも復活。首から下の入浴やシャワーは解禁になったものの、洗顔・洗髪ができないため蒸しタオル洗顔とドライシャンプーで頑張ります。マスク生活のおかげで、すっぴんもほぼ目立ちませんでした。
保護眼鏡は目や眉やこめかみまで覆う大きさのため、手術を知らない人から見るとなにか言われるかな……と覚悟していたのですが、ご時世ゆえか新手のフェイスシールドと思われたらしく、意外となにも言われませんでした。たまにご年配のかたから視線を感じたのですが、同じように目の手術の経験があったからかもしれません……なんでこの人若いのに保護眼鏡してるんだろう? と思われたのでしょう。
術後3日目に実感したのが、事前に勉強しておいた「ハロー・グレア」でした。
レーシックや白内障手術でも起きる現象「ハロ・グレア」。「ハロ」は光の輪、「グレア」が光の滲みのことをいうのかな? 眩しい光を見たときに、視界に光の輪やにじみが発生するというもの。自宅の蛍光灯下で安静にしていたときはあまり気付かなかったのですが、いざ外に出てみると光の強さや角度によってそれが発生したのです。
ネットで調べると「視界にぼんやりとした光の輪が見える」として表現され、レーシック経験者は「放射状の光」と話していたのですが、ICL手術後の見え方は「細くて鋭い光の輪」です。
レーシックは角膜を削る手術ですが、ICLは目の中にレンズを入れる手術。そのレンズの縁に沿って光が反射しているため、細くて鋭い光が輪になって見えるのです。ちなみにネットでは強い光の周囲に輪ができると表現されているので、街灯の写真だと小さな輪が街灯ごとに見えるような写真がありますが、いえいえ違います、常に視界のど真ん中に大きな光の輪ができる感じです。
「光のにじみ」はそれこそ街灯ひとつひとつが滲む感じなのですが、これは普段の生活でも見えていたかと。曇った眼鏡をかけたときに光を見ると滲みませんか? あんな感じです。グレアは眼鏡でも起きていたからあまりに気にならず、光の輪のほうが初めて見た時の衝撃が強かったです。
ハログレアは夜の方がたくさん出ますが、昼間でも光の角度によって出ます。登りたての朝日の角度もどんぴしゃだったようで、日の出の遅い冬は朝に外を歩いているだけで出ていました。
1日3回の内服薬も1日4回の点眼(3種類さすので5分おきで15分かかる)も苦ではありませんでした。が、ハログレアは最初、とても戸惑いました……。
事前に勉強していたつもりでも、実際に我が身に起こってはじめてわかることがあります。常に視界の中に光の輪があると気が散ってしまうし、目が疲れてしまうのです。疲れ目は視力が良くなったことも影響しているのか、一日中パソコンに向かっていると頭痛が出てしまうのでした。
保護眼鏡は就寝時も装着するため、必然的に仰向けの入眠になります。私は横向きで眠るくせがあるため、保護眼鏡で眠るのも地味に大変でした。就寝時の寝返りにも影響して腰が痛くなったり……けれど、術後は目をこすることは厳禁です。人間、眠っているときに目をこすってしまうので、保護眼鏡はそれを防ぐ役割があったのでした。
術後1週間はいろいろと生活の制限があひますが、次第に裸眼の実感が沸く場面が増えてきます。
私の場合、最初にそれを感じたのが真夜中のトイレでした。
眼鏡生活を送る人の多くは、就寝時に枕元に眼鏡を置いていると思います。トイレに行きたくて目を覚ました時、眼鏡をかけてから立ち上がるか裸眼のまま行くか……私はトイレ程度なら裸眼のまま行くタイプです。
夜中に布団から出て、うすぼんやりとした視界の中トイレまで歩く……いままではぼんやりとしていたのに……その道のりがはっきり見える! コンタクト外し忘れた!? と、眠気も吹っ飛ぶ衝撃でした。
次いで実感したのが、足の爪を切るとき。足の爪を切る時は眼鏡でいるときが多く、さらに身体が硬いため、はっきり見えない状態で勘で切っていました。しかし、視力が良くなったので足先の爪がよく見える! もう深爪しなくて良いのです。
些細なことかと思うかもしれませんが、その些細なことに心の底から感動する毎日でした。
さて、一週間後の術後検診。もう送迎は不要のため、自力で病院に向かいます。
受付を済ませてから呼ばれるまでの間、本を読んで待ちます。手術をした影響でスマートフォンの小さな字は慣れるまで大変だった反面、小説などの本がとても読みやすくなりました。目から話してもよく見える、そしてコンタクトの時のように渇きを感じない。ごろ寝してもメガネのフレームが邪魔しない。小説を書く者として本もたくさん読みますが、読書のストレスがなくなったのはほんとうにありがたいです……。
やがて順番が来て検査室に向かいますが、散瞳剤を使った検査などはもう行いません。手術前の検査から一体何度覗いたかわからない、あの気球の見える機械や風を吹き付ける機会などひととおりの検査を行います。
検査技師さんはその日によって異なるのですが、この日担当してくれたのはなんと、私と同じICL手術を受けた技師さんでした。これ幸いと、検査の合間にいま気になっていることを質問しました。
「ハログレアってどれくらいで気にならなくなりましたか? あと、疲れ目も……」
「私も同じことで悩みましたよ〜でも、疲れ目もハログレアも最初は不安でしたが、だいたい3ヶ月くらいで気にならなくなりましたね」
実際に手術を受けた人じゃないとわかり合えない悩みってありますよね。いろいろおしゃべりをしながら視力測定に移ります。
術後はは両眼とも1.5でしたが、1週間後の測定では右眼が1.2の左眼が1.5。術後は視力が安定しないとはいえ、片目でも1.5見えるのはやはり驚き。視力測定では乱視のレンズも使って計ってみるのですが、乱視の度数を入れてみてもあまり変化がありませんでした。
1週間検診は院長先生ではなく別のドクターの診察。目の傷の様子など検査し、問題ないと診察されます。
「うん、いいですね。保護眼鏡はもう外していいですよ~」
「えっ、もう!?」
1週間ずっとかけ続けていた保護眼鏡。外していいと言われても戸惑うものです。
「術後の経過は良好です。点眼も使い切ったら終了で良いですね。次は一ヶ月検診なので、3週間~4週間後に来てください。もし気になることがあったらそれより早く来ても大丈夫ですからね」
と、1週間検診もあっさりと終了したのでした。
「目の乾きや疲れ目があるのですが、点眼を使ってもいいですか?」
「大丈夫ですよ。でも、手術前に使っていたものは破棄して、必ず新しいものを開けてくださいね」
と、念を押されました。
そういえば翌日健診のときに細胞数の話をするのを忘れていたのですが、なんと細胞数が2500や2400と出て、院長先生に「細胞数の検査は誤差があるからね。増えてるように思うかもしれないけど増えてはいません。でも、手術で減ったということはないから安心してくださいね」と言われたので、定期検診で検査はするものの、加齢とともに緩やかに減る以外の減少は起きなくなるのかな〜と期待しています。
診察を終えると受付に呼ばれ次回の受診の話をしますが、とくに予約をするわけではなく、タイミングの良い時に来てくださいとのこと。そして術後の検診は手術代に含まれているのでお会計はかかりませんでした。
帰宅までの道中、保護眼鏡を外すのが怖くてかけたり外したりを繰り返していましたが、眼鏡がなくても遠くまでよく見えていました。
眼鏡もコンタクトレンズもない裸眼生活。保護眼鏡もなにもない視界。地下鉄の電光掲示板もよく見える。
これからずっと裸眼で生活できるのだ……と感動しながら帰宅した1週間検診。裸眼生活の恩恵を日増しに感じていくのでした。
続きます。次回の1ヶ月検診でひとまず終了です。
以上、変温動物予備軍より愛を込めて。田丸久深でした。
前回に引き続き、手術当日のお話です。
手術シーンは終わったので、痛い話が苦手な人も今回から読んで大丈夫ですよ。
手術が終わると回復室に戻り、10分ほど椅子に座って休憩します。ここから保護眼鏡の装着がスタート。術後は目を守り、擦ったりしないよう注意しなければなりません。
視界はまだぼんやりしているけれど、明らかに視力が良くなっているのが自分でもわかります。あちこち見てみたいけど、まぶたの注射(麻酔だったのかな?)の影響で目を開けづらい。そしてまばたきをすると左目が痛い……痛みは休憩中にどんどん強くなっていきました。
休憩が終わると看護師さんが診察室に連れて行ってくれます。目の痛みを相談すると「痛み止め飲みたいくらい痛い?」「いえ、まばたきをすると痛くて……」「眼圧が上がっていないか検査しよう」と機械の前へ。測定の結果、眼圧の上昇はなく、術後の診察を待つことになりました。
院長先生はまだ手術中のため、術後は他のドクターが診察をします。その前にいくつかの検査をした後、両目に軟膏タイプの抗生剤を入れました。
軟膏なので視界はあっというまにぼやけ、瞬きをするとネトネトに……「垂れてきた分はぬぐっていいけど、目のまわりは擦ったら触らないでくださいね」と指示がありました。軟膏のおかげか目の痛みは少し和らぎホッとします。
外来の患者さんと一緒に待っていると、やげて診察室に呼ばれます。ドクターがレンズの位置や網膜の上体を確認します。レンズも正しく挿入され、網膜の様子も変化なし。手術は上手くいったとのこと。
「左目が痛いのはまぶたに傷がついて、それがまばたきでこすれて痛いんだと思います。炎症が治まれば痛くなくなるから、大丈夫ですよ」
と言われ、手術中の左目は開眼機に抗ってまぶたを閉じようとしたのかな……と思いました。手術後半には自分も疲れきってしまい「頑張って!」と励まされたほどですもの、必死に目を閉じようとしていたのかもしれません。
診察が終わると、あとは帰宅するだけです。私が手術を受けた病院は、希望者は手術後と翌日の診察は自宅まで送迎をしてくれました。術後は散瞳剤など手術の影響で見えにくくなっているのに加え、軟膏で視界がネトネトしていたので、送迎は本当にありがたかったです。
ここで、冒頭にお話ししたドカ雪が影響します。
降り積もった雪の排雪が間に合わず、道路脇に雪がうず高く積まれていた札幌。道路は軒並み道路の幅が狭くなり、二車線ある道も一車線になってしまいます。各所で渋滞が発生し、それが帰宅の時間と重なってしまったのです。
まったくもって進まない車の中。まだうまく見えない視界で、私はスマートフォンを取り出し「白内障手術 全身麻酔」と検索していました。
いずれ年齢を重ねれば受かることになるであろう白内障手術。ICLと同じように日帰り手術が可能ですが、おそらく今回と同じような手術になるのだと思います。時間にすれば短かったですが、手術中は誰かに手を握っていて欲しいと思ったほど怖かったのです。できることなら意識のないうちに終わって欲しいと、今からそんなことを考えてしまったのでした。自分が白内障になる頃にはまた新しい治療法ができているといいな……。
渋滞の影響で帰宅に1時間以上かかってしまいましたが、その間に目の痛みもだいぶやわらいできました。
手術前にたくさん料理をしていたおかげで夕食もすぐに食べることができ、家族にメールで報告できるようになるするなど目のピントも合うようになってきました。適応検査の時は3日ほど効果の続く散瞳剤でしたが、手術のときは通常の数時間で戻る薬だったのかと思います。
保護眼鏡をかけているため、裸眼の実感はまだ少ないです。スマートフォンをいじると、なぜか画面に縦筋が見えました。部屋の壁紙にも同じような筋が見え、これも手術の影響?と思いつつ、何をする気にもなれずぼんやりとテレビを見ていました。
術後は1日3回の抗生物質の内服と、1日4回の抗生剤の点眼3種が始まります。頓服の痛み止めももらいましたが、私は服用しないまま終わりました。
手術当日は入浴も洗顔も禁止。眼軟膏のネトネトのせいで視界もぼやけてうまく見えない。これは何もできないなと、その日は22時前に布団に入りました。保護眼鏡は就寝時こそ大切なので、横向きに寝ると枕で眼鏡がずれてしまい、自然と仰向けの入眠になります。
手術前は緊張のあまりうまく眠れなかったため、布団に入るとすぐに眠りに落ちたのでした。
術後翌日。大雪の影響で送迎も遅れてしまうかと思いましたが、行きは早めに病院に到着することができました。
注射の影響で開けづらかったまぶたもスムーズに動き、痛みもだいぶ気にならなくなっていました。受付を済ませるとまた色々な検査をします(眼科は本当にたくさんの検査をしますね)
そして、術後はじめての視力測定。○の切れ目を伝える、いつもの視力測定です。
自宅ではあまり実感がなかったのですが、視力測定をするとなんと両眼とも1.5に!
1.5の視力なんて人生ではじめてです……むしろ、こんなに視力が良くなって大丈夫だろうかと過矯正が心配になるほど。
手術翌日は執刀した院長先生の診察でした。レンズの位置や網膜の状態、目の傷を確認しますが、昨日たっぷり寝たおかげか「昨日手術を受けたとは思えない目だね〜」とのこと。目は粘膜なので治りが早いのかもしれませんね。
「両目の視力が1.5。良くなりすぎてびっくりしてる?」
「人生でこんなに目が良くなったのはじめてです」
「術後の経過も問題ないからね。首から下の入浴は今日から大丈夫だよ。目の調子がいいから、髪の毛洗うのも1日早くしても良いよ」
目の手術をすると、術後の生活にいくつかの制限があります。
・化粧やひげ剃り→翌日から目のまわり以外は可。全体は4日後より可。
・入浴→翌日から首下は可。全身は4日後より可。
・スポーツ、運転、飲酒→1週間後より可。
・温泉・プール→1ヶ月後より可。
病院によって期間は変わってきますが、私の場合はこう指示されていました。お化粧もアイメイク以外はしても良いけれど、水を使った洗顔は入浴と同等なので濡れタオルで拭くことしかできません。拭き取りタイプのメイク落としを使う手もありましたが、私は眉を描く以外すっぴんですごしていました。
手術を受けたのは木曜日。術後の洗髪が許可されるのは月曜日だったので、週末は美容室でお願いしようと思っていました。先生から日曜夜の許可がおりて一安心。それまでは蒸しタオルやドライシャンプーでしのぎました。
院長先生の診察が終わると、翌日の検診は終了。次は一週間後の検診です。
帰りも送迎をお願いしていたのですが、雪の影響で送迎に使うクルマが帰ってこれず、1時間程病院で待たなければなりないとのこと。それなら自力で帰った方が早いと思い、手術翌日から徒歩で地下鉄駅まで行き、地下鉄に乗って帰宅しました。
最後の最後もドカ雪の影響を受けましたが、手術翌日には地下鉄に乗って帰宅できることに自分でも驚きです。保護眼鏡をかけているため、相変わらず裸眼の実感は薄かったのですが、この後少しずつ日常生活にも変化が現れるようになっていくのでした。
続きます。
手術の当日・翌日のお話はここまで。次回から1週間検診と1ヶ月検診の話。あと2回で終了予定です。
以上、変温動物予備軍より愛を込めて。田丸久深でした。
ICL手術体験記、今回はいよいよ手術のお話です。
術中の様子について、マイルドですがしっかり書きます。痛そうな描写が苦手な人は今回は読まずに次回の更新をお待ちください。
今年の北海道はドカ雪が続き、公共交通機関が麻痺して移動だけで大変な毎日でした。
手術を受けたのはそんな雪深い日のことです。
予約時に処方された抗生剤を目薬を、手術4日前から1日4回点眼します。病院には指定された時間に向かいます。
当日は不思議なほど冷静な気持ちで病院に到着しました。
予約から手術まで二ヶ月近く間が空きましたが、手術の日が近づいてくるにつれ日増しに緊張が強くなっていました。緊張を和らげるためにお酒を飲んだり美味しいものを食べたり……自分で望んで決めたことですが、やっぱり手術をすると思うと平静ではいられなくなるものです。
手術時はもちろん麻酔をしますが、それはあくまで点眼の部分麻酔。術中はずっと意識があります。目を手術するということは瞬きができないように瞼を固定されるので、術中の様子が嫌でも見えてしまうのです。
私が今まで経験した麻酔は、全身麻酔と胃カメラの鎮静剤のみ。ぼんやりする系の鎮静剤は効果がなくひたすら苦しかった思い出があり、全身麻酔は導入の時点でスコンと落ちたためまったく記憶がないという両極端な状態。
今回の手術では希望者に笑気ガスの麻酔を使ってくれるのですが、笑気ガスの経験がないためどれほどの効果があるかわからない。知り合いに片っ端から質問して「酔っているような感覚になる」「うとうとしている間に終わった」という話を聞いていました……が、怖いものは怖い!
不安で何も手につかず、料理の作り置きや家の掃除で日々を過ごしていました。平静ではいられない日々を過ごしていたからこそ、当日の落ち着きは自分でも驚いたのです。
コンタクトレンズの使用は手術前日まで可能ですが、当日は眼鏡です。病院の受付を済ませると最後の検査を受け、術後1週間かけっぱなしになる保護眼鏡を購入します。ピンクや水色などお洒落な色からサングラスのようなグレーもあり、私はノーマルな透明を購入しました。
その後、散瞳剤を点眼して瞳孔を広げていく段階に入ります。効果が出るのに時間がかかるため、その間に術後服用する抗生剤や点眼の説明を受けます。薬が効いて視界がぼんやりするとスマホをいじってもうまく見えなくなり、時間が経つのが長く感じている頃に、手術を行うフロアに呼ばれました。
案内された休憩室では、手術を受ける人・終わった人がひとりずつカーテンで仕切られています。カーテンの中にはリクライニング式の椅子があり、荷物は同じ部屋にある鍵付きのロッカーへ。一日にたくさんの人が手術を受けるため、いま何番目なのでもうすぐですよ~と教えてもらいながら手術着に着替えます。当日は着てきた服の上から羽織るタイプですが、頭にシャワーキャップのようなものをかぶり、髪の毛などが入らないように支度しているうちにじわじわと手術の実感が沸いてきます。
……なんか、手術っぽいぞ。
順番が進み、名前を呼ばれていよいよ手術室へ。この時点で眼鏡を外しているので視界はぼんやりとしていますが、部屋の真ん中に手術用の椅子や大きなライト、心電図モニターなどがあるのが見えました。目の手術は椅子に座って、リクライニングを倒して顔が上を向くようにします。椅子に座ると左手の指にパルスオキシメーター、右腕に血圧計、胸に心電図のパッドを次々と装着されます。
あれっ、部分麻酔でもこんなに装備つけるんだな。
椅子が倒れると、鼻に酸素チューブを装着します。ここから笑気ガスが出るため、手術中は鼻から息を吸うのが必須です。さらに両目のところだけ穴の空いた布を被せられ、両方のまぶたが開いたままになるよう上下をテープで留めてしまいます。目のまわりをしっかり消毒。麻酔の点眼をしながら、右目に開眼機を装着し、左目が乾かないようにガーゼのようなもので保護します。
執刀医の院長先生と軽くお話をしつつ、「真上にライトがあるでしょ? 3カ所あるライトの真ん中をまっすぐ見ていてくださいね」と言われ、いよいよ手術が始まりました。
レーシックの手術を受けた知り合いからは「手術は怖かったけどレーザーのライトが眩しかった」と聞いていました。ICL手術もレーザーで切開すると思っていたのですが……。
おかしいな、レーザーの気配がまったくない。
裸眼のため視界はぼんやりしており、さらに目は麻酔や消毒液で満たされているため、見える世界はずっとぼんやりしています。
しかし、目に近づいてくる何かは見えるのです。
何か細長い金属が近づいてくる……もしかしてメスかな……あれっ、麻酔してても目を切開する感覚は残ってるの?
先生が時間と処置について読み上げます。手術中の記録です。テレビの手術シーンでよく見る、あれです。
……え、この手術って全部手作業なの!?
と気づいた瞬間、鼻で大きく酸素と笑気ガスを吸います。が、いつまで経っても「酔っているような感じ」にも「うとうとしている感じ」にもならない。意識は鮮明。近づいてくるメスも、切開する感覚もわかります。
「レンズを入れていきますね~」とともに器具を挿入する感じも、わかる!
ICLレンズは小さくまるめて挿入したあと目の中で広げていきます。その間の作業なのか、目の奥を細長いなにかでぐりぐりします。痛みはなくてもぐりぐりしている感覚はある。圧迫感。痛いと言いたいけど、ここで完全に息を止めてしまいます。恐怖で身体がこわばって声が出ません。
だっていま、目の中を、いじられているのだもの。
自分でも触ったことのないようなところを(たぶん水晶体のあたり)をいじられる感覚……怖い!
ぐりぐりぐりぐり……ちょっと動いたら目の中が破れちゃいそう
ぐりぐりぐりぐり……怖いよ、痛いよ、怖い
ぐりぐりぐりぐり……先生だめだ〜怖いよ〜一回やめようよ~
もう無理だよ~怖いよ~もう嫌だよもうやめたいよ~と心の中で悲鳴を上げているうちに、ぐりぐりは終わり。
「はい、上を見てください~」と指示があり、さらに目の中をいじる感覚があります。歯医者さんの処置と同じで、感覚はあるけどなにをしているのかはわからない。でも感覚はある。目の中をなにかでどうにかしている。
最後にまた細長いなにかが近づいてくる……! と思ったら、目やまぶたに注射をして終了でした。「右目終わりましたからね~」と言われ、手術前はぼんやりしていたライトがはっきり見えたのがわかりました。
時間にすると数分のこと。けれど、長い長い恐怖の時間です。
右目が終わってもまだ左目が残っている。
またあの近づいてくるメスや切開の感覚が待っている。
また同じことをしなければならない。
だめだ、怖い。
先生、もう右目だけでいいです……叫びたいところだけど、手術は淡々と進みます。下手に声を出すと余計な時間がかかる気がして、なんとか笑気ガスの効果がないかと鼻で息を吸いに吸う。ほんともう、いつまで経っても、頭がぼんやりなんてしやしない!
右目をガーゼで塞いだ後、次は左目の手術がはじまります。術式は右目と同じですが、手順を経験しているだけに左目の手術のほう長く感じました。
メスで切開はまだ大丈夫。へえ〜そんなところを切るんだ。先生も「乱視が出ないように気を付けて切るからね」って言ってたし、なにか切開の角度で変わるのかな。
レンズを入れるのもまだ我慢できる。はい何か奥まで来た……
この、目の奥! ぐりぐりされるのは圧迫感があるし、やっぱり怖い……!
怖い……!
これを耐えれば手術は終わる。もう折り返しは過ぎている。あと少し頑張れば怖いのとオサラバ。
でも、やっぱりぐりぐりの時間が一番怖い……!
誰だよ笑気ガスでぼんやりするって言った人!
誰だよライトで眩しくて何も見えないって言った人!!
誰だよ麻酔するから痛くないって言った人!!!
笑気ガスは効かないしライトの光は強くないから手順全部見えるし麻酔してても感覚はわかるし消毒液が染みて痛いよ!!!!
……と、心の中で叫び倒しているうちに「ぐりぐり」は終わり、レンズの固定に移ります。先生に上を見るよう指示されますが、恐怖と疲労で目が動かない。むしろ固定されているにも関わらず瞼を閉じたくて仕方ない。
「頑張って上見て……そう、頑張って!」と励まされながら、左目の手術が終わりました。
両目合わせて20分もかからなかったはずです。でも、途方もなく長く、いままで生きてきた中で一番恐怖に満ちた時間でした。
手術が終わると、先生が開眼機を外ししながら声をかけます。
「笑気ガスは効果あった?」
「全然、効かなかったです~」
消毒液などと一緒に流れた液体に、間違いなく涙も混じっていたはずです。目のまわりをしっかり消毒し、顔全体を覆っていた布を外して先生がまた声をかけます。
「緊張してたくさん汗かいたんだね。風邪引かないようにね」
手術中は「ぐりぐり」の時以外ずっと深呼吸をしていました。呼吸音から先生も緊張を感じ取っていたはずです。顔を拭ってもらい、ああ、これでようやく終わったのだと感じました。
「手術、ちゃんとできたからね」
「……怖かったです」
そう言った私の声は涙で震えていました。
続きます。
以上、変温動物予備軍より愛を込めて。田丸久深でした。