震災の津波がハワイまで | 自由に♪素敵に♪笑顔で生きる♪生粋京女♪

震災の津波がハワイまで

2011年3月11日
ついこの前みたいだけど随分と経ちました。


この日に毎年思い出す事です。

東日本大震災が来る何時間か前にクルーズしていました。

向こうに見えるのがワイキキの街並み。

ハワイに居たのですが、クルーズ後はハーバーに戻り船上でワイワイやってる時に
地震の知らせを受けた。

直ぐにパソコンで調べたらなんと、東北。

結構大きな地震に驚いた。

花巻市に住む知人にメールしたら
「えらい事になってる…」と

そうこうしてたら、ワイキキもザワつきはじめた。

空には米軍のヘリコプターが飛びまくる。

ホテルの低層階に滞在の人が避難してるのが直ぐにネットニュースに出てた。

スーパーに行くと長蛇の列で水が売り切れ。


私はこの時にまだよく理解出来ず…


でしたが、数時間後に津波が来るんだと段々と分かったけど、
津波の事がよく分からない。

「Stay? or Go?」と聞かれ 「Go! 」と言った。

高台に「Go!」の意味で言ったのに、海にGoとなり

????  船を移動さすの?  と思いきや、クルーズのルートで海に出てやしないか?

パニック...

沖に向かう頃はもう真っ暗で、波で船体が揺れまくり、ひっくり返ってしまわないか?
と死の恐怖で涙も出なかった。

昼間の格好だったから寒くて寒くて…

遠く見えるワイキキビーチまで泳ぐなんて無理だろうな…とまともに泳げもしないのに考えたり…


無言で固まる私に、
「沖は安全で沢山の船がいる」と言ってたけど、

何言うとんねん… 何で私 死ななあかんねん…
と、言い返す力もなく

と、海や船のプロフェッショナルの友達の言う事すら恐怖と絶望感でまともに耳に入らなかった。



が、沖には驚く数の船!

ディナークルーズの大型観光船から小さな船まで
あちこちにいっぱいだった。

揺れは慣れたのか、段々とマシになってたのか、沢山の人が周りに居て、チラホラと灯りもあり心は少し安らいだ感じ。


津波到着時間を確認しながら明け方にハーバーに戻るも、
一睡もしてない恐怖の時間を過ごし

ほんまに生きてるんやろうか?と  私は人から見えてるのやろうか?
と、フワフワしてる自分が居た。


この体験で、津波は沖が安全と知ったのでした。


この時、私がカハラの友達の所に戻ろうとしても大渋滞だったとか。
今、思うと一人で歩いてでも行けるけど 一人で行かせるのは心配だったんだろうかなぁ。



その年のNew yearの花火

津波の時とは違う気持ちで沖からワイキキの夜景を見れました。


そんな友達も津波の後に亡くなり今年は七回忌。
今日は一生忘れられない日なのです。