林整形外科のブログ -2ページ目

 人体には全身に600個以上の筋肉があると言われています。その名前からは、筋の部位や働きが分かるものが多いのですが、ヒラメ筋のように、形状から命名されたものもあります。

 筋肉の中で唯一、果物の名前が付けられた筋があります。それは、梨という字が入って「梨状筋(りじょうきん)と言われる筋です。これも見た目によって決められたのですが、梨と言っても日本の丸いものではなく、西洋梨の形に由来しています。

 梨状筋は骨盤の後ろにあって、殿部の大きな筋肉の奥に位置しており、股関節を回旋させる運動に関与する小さな筋です。哺乳類においては、尻尾の退化によって弱くなったため、四足獣ほど強力な筋ではなくなっています。実際の生活においても、重要な役割はありません。しかし爬虫類や両生類では、移動動作で大いに活躍している筋なのです。

 人間においてこの筋が問題になるのは、隣接する坐骨神経を障害した時です。この筋には形態異常が多くて、神経との位置関係によっては、足に痛みやしびれを生じる障害を来す可能性があり、時には手術を要することもあるのです。退化した筋とはいえ、名前のように甘く考えてはいけない筋なのです。

 かつて日本の医学界では、「痴呆」という病名を使っていました。しかし2004年に厚生労働省の検討会で、痴呆は偏見や差別を招く用語であるとして、「認知症」という病名に変更されました。

 ところがよく考えると、これは少しおかしな病名です。「症」というのは病気の印になりますから、症状を意味します。ですから「高血圧(症)」、「動脈硬化(症)」などは、症を付けなくても病状が理解できるのですが、「症」があればその疾患であることがより明確になります。

 さて認知症です。言葉通りに解釈すると、「認知ができる症状」となりますから、意味としてはむしろ、病気ではないことになってしまいます。適切に病状を表現するなら、「認知障害」と言った方がいいかも知れませんが、「症」は「障害」とは同様には扱えません。意識障害を意識症と言えないのと同じことです。ですから、どうしても「症」を使うのであれば、「認知困難症」や「認知低下症」と言うべきだったのかも知れません。

 しかしやはり語呂がいいのか、今では「認知症」がしっくりきているようで、すっかり違和感もなく用いられています。あまり難しく考えず、使いやすくて解りやすい病名が基本だということでしょうか。

 坂口安吾の小説に「肝臓先生」があります。東京から伊豆の伊東温泉にやってきた内科の先生は、肝臓が腫れて黄疸を起こす患者さんが急に増えたことに気付きました。先生がこの病気を流行性肝臓炎と名付けて治療したことから、皆から「肝臓先生」と呼ばれるようになります。先生は戦時中、小島で病気に苦しんでいる人の往診に舟で向かっている時、敵機に爆撃され亡くなってしまうという話です。

 このストーリーには、実際のモデルがいました。安吾は、その先生の診療における懸命な姿を見て、また自身が実際に治療を受けたことで感動して、この小説を書いたとされています。

 肝臓に起こる炎症の原因は90%がウィルスで、残りはアルコール性と薬剤性などです。原因となるウィルスは7種類あります。日本ではA、B、C型の3種類が多く、A型は経口的に、B型とC型は血液や性交など非経口的に感染します。肝臓先生が見た肝炎は、黄疸が強かったことからA型肝炎だった可能性があります。

 後になって安吾は、肝臓先生の顕彰碑に次のような追悼文を刻んでいます。「この町に仁術を施す騎士が住む。騎士道を全うした肝臓先生は死ぬことなし」。

 力を入れて「イー」という声を出す口の形をすると、首の前面の筋肉が緊張するのが判ります。これは広頚筋(こうけいきん)が収縮しているからです。広頚筋は通常の筋肉とは違い、皮下組織に存在しています。

 英語ではプラティズマplatysmaと言いますが、元々は「広い、平べったい」という意味になります。首に平たく板のように広がる筋であるため、このように呼んだのでしょう。このplaty-に由来する言葉は、身近にたくさんあります。

 場所を意味するプレイスplaceや、皿という意味のプレイトplateなどは代表的なものです。プラタナスplatanusは、葉が広く枝も広がることから付けられた名前です。またカモノハシのことはプラティパスplatypusと言いますが、これは足が広く平らであることから、こう呼ばれるようになりました。

 哲学者のプラトンは、本名をアリストクレスと言います。しかし彼の肩幅がとても広いことから、プラトンplaton(広い男)と呼ばれるようになったのです。こう考えると、プラトン主義の精神的恋愛を指すプラトニック・ラブplatonismも、幅の広い感情ということになるでしょうか。

 ちょっと古い流行語に、国会の答弁から生まれた「記憶にございません」というのがありました。最近、これと同じタイトルの映画も作られたので、再び耳にする機会が増えています。あたかも自分に責任がないかのような言い回しですが、「記憶」とは何でしょう。

 医学的には、過去の出来事を作り(記銘)、ある程度の期間保持し(把持)、必要に応じて思い出す(想起)、この3つを総称して「記憶(メモリーmemory)」と言います。日本語でのメモリーは、主に「思い出(想起)」という意味として表現されていることが多いようです。

 記憶は保持されている時間によって、短期記憶と長期記憶に分けられます。短期記憶に関しては、脳の奥深くに位置する海馬(かいば)と呼ばれる場所が大きな役割を果たしています。長期記憶は大脳皮質の各所で分散記憶されていますが、特に印象的な短期記憶は、長期保存のため海馬から大脳皮質に送信されているのです。「昔の事はよく覚えているのに」というのは、必要のない短期記憶が消去されるためです。

 記憶に入ってくる情報のうち、長期記憶されるものは全体のわずか1%にしか過ぎません。ですから、重要でない情報ほど忘却されるわけです。「最近になって物忘れが多くなった」と嘆くことは全くありません。それは脳が正常に機能している証拠なのです。