ハルさんの日常

ハルさんの日常

認知症の不思議な行動の数々。あるお年寄りの介護の日記。

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死亡後の病院での面談は

『司法解剖を希望しますか?』 という内容でした。

義父の突然の死で、どうやら病院内のお医者さん達の間でちょっとした会議がなされていたようでした。
私が義父の部屋で長く待たされていたのもそのためだったみたいです。


家族として、

「解剖はなくてもいいんじゃないかと思います。ただ、医学的に解明したい点とかがあるようでしたら、していただいても構わないと思います。


義父は『死んでしまったらもうすべて終わりなんだ』という考えの人でしたし、死んだ後の自分の肉体への執着も無いと思います」


なんだかんだ入院中も、自宅にいた時も時間的猶予がありました。

義父の意志もしっかり確認できたのです。


ですので、いろんな事を確認しておきました。


(以前は、義父も200万円相当もの人並みの葬儀を希望していたようですが、ひどいものです!(-"-;A

 義父の弟にあたる人の葬儀の時、義父は糖尿病とやらの理由で、夫が代席し香典まで立て替えたのですが、義父は最初っから香典代も踏み倒すつもりで払う気無し。


自分の葬儀代だって、まるまる夫へぶっかけるつもりだし…。


やっぱり私は怒っています ((o(-゛-;)


しかし、そんな義父もギャンブルですったもんだし、それどころじゃなく『葬儀なんて関心無し』の心境に至っていたようでした。実際、寿命が縮まるほど恐かったみたいで、文字通り縮まってしまったわけですが…。


結局、この面談にて『解剖はしない』という結論になりました。


後から病院へたどりついた夫が、この日こんなふうにぽつりと放った言葉が印象的でした。


夫「あんなにいやがっていた父親が入院を受け入れたのは、弟をかばってじゃないかな…」


そしてもうひとつ。
夫「再入院した時点で、父親も覚悟したんだな。年貢の納め時だって」


なるほど、と思います。


救急搬送に手間取っている時も、救急科で入院を断られかけすったもんだしている時も、義父はしっかり意識がありました。


ちゃんと自分の名前や生年月日まで答えていたのです。


自分の意志を伝える事ができたのに、搬送を拒絶するどころか穏やかに運ばれて行きました。


前日の午後、介護ヘルパーさん、ケアマネさん、福祉課の人といった複数の人が義父の家を訪れていて、そこに置かれてあったのが封が開けられていないままの惣菜。


しかも賞味期限は数日前切れ。


『夜逃げ(次男である義弟のこと)したのではないか?』と、電話の向こうで騒ぐのが聞こえたそうです。

実際は夜逃げしたわけじゃなかったのですが…


そうした会話は、当然 義父も聞いていたわけで。


介護放棄という事で、自分の次男が警察から追及されかねない。と義父は考えたのでしょうか?


優しい所があるのです。日頃の様子を見ていても、誰かを窮地に陥れる事は避けようとした人でした。


最期の最期必死で義父を緊急入院させようとした福祉課の女性。
入院させるのを初めしぶってしまった救急隊や救急科のお医者さん。
 最期の数日間 食事や飲み物を与える事をあきらめてしまっていた義弟。


こうしたみんなを困難に陥れることもなく、ただ心臓のリズムが乱れたといった理由で逝ってしまいました。


前月の入院中での見舞いの時、こんなやりとりをしてました。


義父「私の母はね、99歳まで生きたんですよ」


私  …こんな状態で義父も99歳まで生きたいのだろうか? と思い。


義父「母親が最期の方、それがもうたいへんだったんだよ!」


私  自分の親の面倒まったく看てないじゃない! と呆れた心境で聞いていました。


(義父は6人兄弟姉妹の一番上。ハルさんは4人姉妹の長女。二人とも親の面倒一番見るべき人でした。しかも、自分の親から金の工面などしてもらっているというのに、特にハルさんは親の面倒看なきゃいけない大事な時にとんずらしてしまったらしいのです。もともと夫の身内の話、それほど聞いていたわけじゃないのですが、ハルさんと同居してから色々知ってしまう事になりました)


が、義父の言う『たいへんだった!』の意味は別の事だったようで


義父「千葉のとんでもない田舎の方でよう、車で行ったんだけど、なかなか着かなくて…。もうあんなふうになってしまったらおしまいだな」


そうでした。住んでいる所への彼なりのこだわりです。


にぎやかな所が好きだったようでした。パチンコ屋さんとかもあって。
(同じに『ぎやかな所』でも、ハルさんはみんながいる施設が大好きです! 夫婦でもこういったところでずいぶん違います)


田舎のしかも施設になんか入ったりしたら、たしかに、義父の生きたいようには生きられない。


自由人でした。


義父は人生をまっとうしたのだろう。そう思えるのです。


義父なりにやりたい事をやりきったようなものです。


(義父の貯金通帳だって数千円しか残っていない。お見事!)


だから入院した途端にすっと。


鮮やかで見事は最期だなと思いました。


面談が終わり、主治医の先生が別れ際、

肩を震わせ消え入りそうな声で

と、頭を下げられました。

揺れているのだな。
と、私は思いました。
終末期においての医療の現場も介護の現場も。


どこまですべきなのか。

何が求められているのか。

その価値観はこれから先もどんどん変わって行くだろうし。


こうした変化の中で人々は精一杯努力されていて。

いつも最善を尽くして下さっていて、謝る必要なんてまったくないのに…。


私は背を向け立ち去ろうとした二人のお医者さんを呼び止めました。




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