離人症になったママ

離人症になったママ

このブログは離人症を治すために書こうと思います。そして、誰か同じ症状に苦しむ人の参考になればとも思います。

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離人症の感覚に気がついたあと
日に日に悪化するその感覚に

私は溺れようとしていました

もう…ダメだ…
自分のちからではどうにもならない

どうやったら良いのかも分からない

何をしたらいいのかも分からない

もう良い…もう良いよ…



でも時折

私がこのまま、どんどん悪化していったら
どうするの?子供はどうなるの?

そうやって、かすかに
自分は自分を励ましました

何よりも心配なのは
子供の存在

自分に何かあったときの
子供のその後を考えると…
涙が止まりませんでした。

そして、模索しました
自分を助けてくれる人を、自分を助ける方法を



絶対治すんだ!!

そう決めてから

私は自分をなるべく客観的にみて、
理解しました

私はこんな感じで、こんなことが嫌で、だから離人症になったんだな

あのとき…
こう思ってたの

こうしたから、こうなったんだよね~

ああしていたら、こうだったのかも

そして最後はだいたい、こう思って終わらせました。

「でもさ、これで良かったんだよ」

そのあとは、良いことをたくさん考えました。これも良かった。あれも良かった。あんなことも良かったし、こんなこともあった。

私ってけっこう幸せじゃない?
こんなに良いことがあった。

これからも、良いことが
きっとたくさんある。だから治すんだ。

ある意味、自己暗示にも近かったかもしれません。

でも、心からそう思いました。











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心のよりどころは
ありますか?

何も考えずに

ただ、甘えられるところ

自分がどんなときでも
受け入れてくれると信じられる場所

私には…ありません

主人はもちろんそれに一番近いけれど

私にとって、無条件に信じられる存在は祖母だけでした

小学校に上がる頃まで、いつも一緒に過ごしたのが祖母です

一緒に眠り…遊び…いろんなことを教わりました

祖母が母のような存在だったのです

母はほとんど家にいなかったし、いるときもあまり一緒に過ごした記憶がありません

母には、よく叱られた思い出や、仕事から帰るのを待っていた寂しい感情がほとんどでした

小学生のとき母が父と暮らすため
転校し、遠くの県へ越しました

祖母と離れ、数年が経ち
中学、高校となり…友達と遊びたい思いから、だんだんと長期休暇にも祖母に会いに行くことが減ってきたころ…

祖母は突然、亡くなりました

何の前触れもなく

まだまだ若かったのに…

祖父はもっと以前に他界していたため
祖母は亡くなって数日後に訪ねてきた人に発見されました

解剖はしなかったので、死因は分かりませんでしたが
もしかしたら…一緒に住んでいたら、助かったかもしれない…その思いが今でも消えません

腐敗していたために、母の意向で私は遺体を見せてもらえませんでした

酷い臭い…久しぶりに見た家…

もう会えない…

それが不思議で
信じられませんでした

そして

今も…時折
会いたくてたまらなくなるのです

結婚も出産も

一番知らせたかったのは
祖母です

あと、数年…生きていてくれたら…

ほんの一目でいい

ひ孫を抱かせてあげたかった…

祖母ならきっと
喜んでくれたはず

母とは…産後、家に来ても
口論になってしまう

年に1、2回しか会えないのに
育児について…無茶苦茶言われるし

子供のしつけのことは、構わないで欲しいと言えば

「来てやったのに、その態度は何だ」と

私は、精一杯…頑張っているのに
母は私を認めてくれない

祖母を慕い、祖母に似ている私

母は勝ち誇ったように
「あんたが大好きなあの人はこんなだった」と祖母の若い頃の悪口を言う

私の両親って………何なんだろう

私を傷つけたいのだろうか?

母が苦労してきたことは
よく分かっている

けれど…

母は…甘えさせてくれない

家に帰っても
嫁に行った私には、家はもう
私の居場所ではなくて

帰る場所は…ない

それをいつも痛感する




夫しかいない
夫もそれを分かってくれている

でも、夫には
素敵なご両親と親戚がいる

たまにそれが、
すごく羨ましく感じてしまう

寂しい……

寂しい……

いつもそう思って

今でも
意味なく寂しい……

頼られるのも嫌いじゃない
けれど…

本当は頼りたいのかな











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いつも、ブログを読んでくださってありがとうございます

このブログを書きはじめてから、今までに何人かの方にメッセージをいただきました
離人症の方、身近に離人症の人がいて理解したいと努力してる方などです

そんな方たちと、やりとりをして

何だか、私なんかが離人症を語るような
ブログを書いて良いのかなと思うようになりました

だから、私の離人症の流れを知って
それでも読もうと思ってもらえる方に読んでもらいたいです

このブログを書き始めたのは
離人症状が少し落ち着いたり、また戻ったりとし始めた頃です

今は離人症状は出ません

私の離人症の期間は
ほんの半年ほどのことでした

うち、外出するのも、一人でいるのも心配だと思った期間は離人に気がついてからの2ヶ月ぐらいです

この2ヶ月は日々悪化していくようで
人の話もよく聞こえず、理解するのが大変でしたし

自分が何をしたら良いのか
考えても分からずパニックになることもありました

例えば食事も

"これは、食べ物だ"

"今は食べなくちゃ"

"どのくらい食べればいいんだろう"

"食べはじめてどのくらい時が過ぎたんだろう"(不安)

"私ちゃんと食べてるかな"

そんな感じでした

とても、これからが不安で仕方なくて
こんな状態が続いたら自分は病院に入れられてしまうんじゃないか…
子どもたちは、どうなってしまうんだろう…

そんな毎日でした

自分の離人症状を
自分で理解したい

何でこうなったのか
考えよう

治す一歩を…

そんな思いで始めたのがブログです

本当は誰かに聞いて欲しかったけれど、言えないようなことをブログに吐き出しました

それから、症状は
出ることが減っていきました

こんなに短い期間で済むとは思っていなかったのです

離人症状の辛さは、分かっているつもりです

でも、離人症に苦しむ人たちは
たくさんいて

何年も何年も

それがどの程度かは分からないけれど
続いているのです

調べていて
物が大きく見えたり小さく見えたりする
というものがありました

私は、今まで特に気に留めていなかったのですが、それは幼い頃からたまにありました

よくなっていたのが、母親に長時間叱られている間…

母の顔がどんどんどんどん小さくなるのを見ていました

母の声が響くなか、心は静かに
それを見ていました

思えばそれは
離人の状態に近かったのかもしれません

私にとって当たり前だったことは、大きくなるにつれて、それは"一般的"ではなかったんだと思うようになりました

放り出されて見た世界が

あまりにも
静かで

今まで……何していたんだろう

そう思うことが、多いのです

早く早く大人になりたくて
早く早く逃げたかった

逃げてみたら
戻りたくなることを、少し期待していたのに

全く戻りたいと思えない生活に

何だか…悲しくなってしまった

それが私です

離人症って何なんでしょう?

辛いからなるのですか?

平凡な幸せの中にいても
突然、離人症になった方もいるのかな…

離人症は辛いです

毎日

ただ、寝て、起きて、食べて…歩いて…それだけのことすら気持ち悪い………

そんな中にいる人たちを思うと
涙が出るのです

私には何もしてあげられない

どうか、よくなって欲しい……

自分の無力さが辛いんです……

ごめんなさい

私は、離人症になっている中
育児をしていても
イライラしなくて

育児をしている私を見ているだけで済むのが
楽だな…とも思っていました

育児が本当に大変だったから

今はガンガン感情のまま叱ってしまうことも多くなりました

離人症だった間
叱られている息子をじっとみることができました(自分が叱っているけれど、内心は落ち着いていてそんな感じ)

叱られている息子の表情……

カッとなってしまう今は
なかなか見れませんし、見ても冷静にはなれません

離人症だったから
知れた相手の細かな表情

離人症のときに離人症になって良かったと思えたのはこの時でした

でも、感情のままにぶつかる育児に
あこがれてもいました

できなかったから…

ただ何年も何年も
離人症に苦しむ人を前には

とても言えません

だから、
こんな私のブログでも
良いですか?

勝手に未熟者が
離人症を語ってるだけです

離人症の方に向かっては
とても語れません

ただ、自分に起こったことと
思ったことを綴っているだけです

それをどうか
分かってください…










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