零と壱の狭間 -2ページ目

零と壱の狭間

なんだか分からないけど、
なんかやれっていうので、やってみます。

どーも。どーも。

今日2発目で御座います。

このブログは、適当に書けるのでなんだかとっても楽チンにかけますね。

ただ、今回の内容はごっつい内容かもしれませんけどね。ええ。

どーでもいいんですけど、
木坂健宣氏が主宰しているインテグラルっていう年間っていうか、
もう2,3年やってるんじゃないか。っていう長期にわたってやってる
セミナープログラムがあるんですけど、

まあ、そのインテグラルがそろそろ終わるみたいでして、

そん中で宿題出されたんですわ。

どんな宿題かっていうと、


「人が最も健康に育つための教育システムとはどのようなものか」

 

 

 

というテーマで、あれこれ考えてきてください。

 

 

 

セミナーの内容を復習し、健康の定義、教育の定義、それぞれの

 

意味などを総合して考え、これからの世界や人間が生きる意味などと

 

照らし合わせた時に、最終的にどのような教育が健康的と言えるのか、

 

そういう議論をしたいと思います。


こんな感じ。

まあ、これだけだと何なのか分からないと思いますけど、

インテグラルというセミナーは、
一般人からすれば、謎の変態チックな内容のセミナーでしたので、

まあ、分からなくっていいです。

そしてこの記事は読まなくていいです。

8割型私の独り言として書きます。

ではでは、参りましょう。

まずここで考えなくてはいけないのは、

「健康」という言葉の定義ですね。

まあ、一般的に「健康」といえば、

その1:怪我や病気にならない肉体

の事を「健康」と言って「お前何言ってんだ」って
反論してくる人はすくなかなと思います。

まあ肉体的にはこんな感じでよいかよいかなと思います。

ただ「健康」というのはその他にもありますね。

風邪ひかない、怪我しないっつっても、

なんかいっつもイライラしてたりだとか、

さみしくてしょうがなかったりだとか、

してるってのは「健康」とはなかなか言えなさそうですからね。

って事で

「精神」っていうか「心」の面でも

「健康」って事を考えないといけませんなあ。と、いうことで

心が健康であるとはどういうことでしょうか?

これは

「良く循環している」

って事をひとつ考えても良いかもしれませんね。

食べ物と同じで入れたら出す。

ストレスとして体内に溜めない。

ちゃんと入ってきたものを、
自分の心がしっかりと消化して、
いらないものを排出できるような状態なのかなと。

よく、なんでもかんでも我慢してるような人いますけど、
あれって普段ニコニコしていたとしても、
健康だとは言えない気がしますね。

なんて事を考えると結構難しくなってきますね。

たまたま、今日読んだある本には
「痛み」について書いてありましたよ。ええ。

これは非常に分かりやすいですナ。

1:外傷・打撲などの「身体的な痛み」

2:死への恐怖・孤独・愛の不足などの「スピリチュアルな痛み」

3:怖れ・心配・落ち込みなどの「精神的痛み」

4:男女・夫婦の役割などの「社会的な痛み」

の4種類だとのこと。

そしてこれらの痛みが複合した状態で、
人間には「痛み」として出るんだとか。


ってことで、この「痛み」のない状態を

「健康な状態」と言って、
まあよいのではないかなって事ですね。

って事は、

「健康」とは、この4つの要素において
痛まない状態であることと定義してみようかなと。

って事で、次は「教育」という
言葉についての定義ですけど、

これについては「その2」において
ぶつくさとツイートしてまいりたいと思います。

って事で、あでぃおす。