「何に寄り頼んで生きるのか」第二サムエル記20章 | ロックな税理士 原 眞人の「プロ社長を目指せ!」 伊豆夢(イズム)の日記

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おはようございます。伊東市・中小企業元気アドバイザー、

伊豆夢(イズム)こと

ロックな税理士、原 眞人(ハラマサト)です。


■「何に寄り頼んで生きるのか」第二サムエル記20章

川奈聖書教会火曜礼拝

では第二サムエル記を学んでいます。

1.低下したダビデの求心力

ダビデは、都エルサレムへ帰還を果たす途中

王復権のセレモニーをヨルダン川を渡る所で執り行います。

19:15 そこで王は帰途につき、ヨルダン川に着くと、

ユダの人々は、王を迎えてヨルダン川を

渡らせるためにギルガルに来た。


ダビデはユダ族だけをそのセレモニーに呼び

他の部族の反感を買います。


19:41 するとそこへ、イスラエルのすべての人が

王のところにやって来て、王に言った。

「われわれの兄弟、ユダの人々は、

なぜ、あなたを奪い去り、王とその家族に、


また王といっしょにダビデの部下たちに、

ヨルダン川を渡らせたのですか。」


”ダビデ王が属するユダ族にひいきをした”

イスラエルに根深い部族間対立が露呈し

問題へと発展していきます。


20:1 たまたまそこに、よこしまな者で、

名をシェバという者がいた。

彼はベニヤミン人ビクリの子であった。

彼は角笛を吹き鳴らして言った。

「ダビデには、われわれのための割り当て地がない。

エッサイの子には、われわれのためのゆずりの地がない。

イスラエルよ。おのおの自分の天幕に帰れ。」

20:2 そのため、すべてのイスラエル人は、

ダビデから離れて、ビクリの子シェバに従って行った。

しかし、ユダの人々はヨルダン川からエルサレムまで、

自分たちの王につき従って行った。


シェバというベニヤミン人が謀反を起こします。

バニヤミン族は先代サウル王の出身部族であったため

ダビデにもっとも反感を持っている部族でした。

シェバはイスラエル全土に反乱を呼びかけます。

その結果

「全てのイスラエル人がダビデから離れ」

とあるように、多くの人々がシェバの呼びかけに賛同しました。

シェバがどのような人物であったかは

良く分かりません。

そんな良く分からない一人の人物の偶然ともいえる

呼ぶかけによって、国家全体が揺さぶれるほど

ダビデの求心力は低下していました。

2.ヨアブの暴走

20:4 さて、王はアマサに言った。

「私のために、ユダの人々を三日のうちに召集し、

あなたも、ここに帰って来なさい。」

20:5 そこでアマサは、ユダの人々を召集するために出て行ったが、

指定された期限に間に合わなかった。


ダビデはシェバ討伐のために、大将軍ヨアブに代わり

敵方アブシャロムが立てた将軍アマサにその地位を与えました。

しかし、そのアマサは最初の仕事である

三日間でユダの部隊を招集し、戦備を終えることが

出来なかった。アマサはもっとも扱いやすいユダ族の

の兵士を迅速にまとめることさえできなかった。

百戦錬磨のダビデはすぐさま次の手を打ちます。

20:6 ダビデはアビシャイに言った。

「今や、ビクリの子シェバは、アブシャロムよりも、

もっとひどいわざわいを、われわれにしかけるに違いない。

あなたは、私の家来を引き連れて彼を追いなさい。

でないと彼は城壁のある町にはいって、のがれてしまうだろう。」


ダビデは動きの遅いアマサ将軍に先行して

将軍ヨアブの弟のアビシャイ将軍に戦いに出るように指示します。

ダビデは自分の命令に反し、アブシャロムの命を奪った

ヨアブの行動に対しわだかまりが残っていて

故意にヨアブをこの作戦から外しました。

しかし、ヨアブは弟アビシャイに同行して

シェバ追撃に同行します。

20:7 それで、ヨアブの部下と、ケレテ人と、ペレテ人と、

すべての勇士たちとは、アビシャイのあとに続いて出て行った。

彼らはエルサレムを出て、ビクリの子シェバのあとを追った。


そうやって、シェバ追撃の途中でヨアブとアマサ将軍が鉢合わせします。


20:9 ヨアブはアマサに、「兄弟。おまえは元気か。」

と言って、アマサに口づけしようとして、

右手でアマサのひげをつかんだ。

20:10 アマサはヨアブの手にある剣に気をつけていなかった。

ヨアブが彼の下腹を刺したので、

はらわたが地面に流れ出た。この一突きでアマサは死んだ。


何とヨアブ挨拶をするフリをして一突きで味方である

アマサ将軍を殺してしまいます。

自軍の最高司令官を理由もなく殺してしまうヨアブの行為は

狂気の沙汰と言えるようなことでした。




アマサを大将軍にするということは

アブシャロム事件で敵対した者たちをダビデが味方につける

という戦略でしたので、この時点ではヨアブも異はありませんでした。

でも、ヨアブはダビデと違い

ダビデが復権し、イスラエルが再統一してしまえば

アマサなど殺してしまえばそれでよい。

さらに、アブシャロム殺害後、自分を遠ざけるようになった

ダビデ王に自分の力を強烈にアピールする作戦であったかもしれません。

これで、ヨアブがダビデの命令を無視して殺害したのは

アブネル、アブシャロム、アマサで三人目です。

ダビデ王朝におけるヨアブの強固な立場がうかがえます。

20:11 そのとき、ヨアブに仕える若い者のひとりが

アマサのそばに立って言った。

「ヨアブにつく者、ダビデに味方する者は、ヨアブに従え。」

アマサの指揮下にいたイスラエルの主力部隊は皆ヨアブ将軍に従った。

ヨアブは何事もなかったようにシェバ追撃を続けます。

このヨアブの行為は決して許されるものではありません。

それでも、結果を出せば、ダビデ王は文句を言えない。

成果をあげたら黙認するしかない。

ヨアブはダビデの弱さを知り抜いています。

ヨアブはシェバは逃げ込んだアベル・ベテ・マアカの町を包囲し

城壁を壊し突入するところで一人の女性が現れ、ヨアブと交渉します。


20:15 人々はアベル・ベテ・マアカに来て、彼を包囲し、

この町に向かって塁を築いた。それは外壁に向かって立てられた。

ヨアブにつく民はみな、城壁を破壊して倒そうとしていた。

20:19 私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者のひとりです。

あなたは、イスラエルの母である町を滅ぼそうとしておられます。

あなたはなぜ、主のゆずりの地を、のみ尽くそうとされるのですか。」



「シェバを討ち取るために町を破壊するのはいかがなものでしょうか?」

それに対し、

ヨアブは「シェバさえ引き渡したらそれでよい」と応じます。

20:22 この女はその知恵を用いてすべての民のところに行った。

それで彼らはビクリの子シェバの首をはね、

それをヨアブのもとに投げた。ヨアブが角笛を吹き鳴らしたので、

人々は町から散って行って、めいめい自分の天幕へ帰った。

ヨアブはエルサレムの王のところに戻った。


こうしてヨアブはイスラエル軍の犠牲をほとんど出すことなく

見事反乱者シェバを討ち取ってエルサレムへ帰還、凱旋します。

何ともあと味が悪い物語の結末

第20章は意味深げなダビデ王朝の役職名が記載され閉じられます。

20:23 さて、ヨアブはイスラエルの全軍の長であった。

エホヤダの子ベナヤはケレテ人とペレテ人の長。

20:24 ヤロブアムは役務長官。アヒルデの子ヨシャパテは参議。

20:25 シェワは書記。ツァドクとエブヤタルは祭司。

20:26 ヤイル人イラもダビデの祭司であった。


ヨアブは数十年間、その地位を守り通した。

第3章で、降伏してきた将軍アブネルをヨアブが殺害したとき

ダビデは

「この私は油を注がれた王であるが、今はまだ力が足りない。

ヨアブは私にとって手ごわ過ぎる。」と語りました。

しかし、結局、晩年に至っても

ダビデはヨアブという壁を乗り越えることはできなかった。

ダビデとヨアブの関係は持ちつ持たれつ

互いの弱さを補い合うという健全なつながりではなく

ダビデは自らの失敗、過ち、それゆえ起こる矛盾を

ヨアブの人間的な力に頼って乗り越えてきた。

ヨアブによって自分の抱える矛盾を誤魔化してきた。

ヨアブが勝手な行動をしても、益となる結果が出ていると

ヨアブを切ることができない。

神様に対する信頼・信仰によってのみ国家を導けなかった

ダビデの弱さが、結果、ヨアブの地位を殊更、高めてしまった。


3.何に寄り頼んで生きるのか

8章では、ダビデは王であるとともに裁判官でした。

しかし、この章ではダビデのその役割が記されていません。

バテシェバ事件を犯したダビデは、もはや法廷に立って

裁きを行うということはとても受け入れることではなかった。

そういう意味で、ダビデは若き日に得ていた尊敬・信頼を

失っていることを示しています。

ダビデの後にソロモンが後継者となりますが

ソロモンの死後、イスラエルは南北に分裂していまいます。

その分裂の原因となった反乱を起こすのが

24節に記載されている

「役務長官のヤロブアム」です。

また、8章においては祭司の名前がもっとも前に記されていたのに

ここでは一番最後に出てきている。

ダビデ王朝における重要度、力関係を表しています。

かつてダビデは側近として祭司を任命し

政治という現実に神の御心を求めていく

国家の営みに信仰を表していく、軍人や政治家の合理性ではなく

信仰が優先される国づくりを目指しました。

しかし、数十年がたち、祭司が王宮に常駐することは形式的な

ものとなり、祭司より軍人や政治家の発言力が

遥かに強くなってきている。

ヨアブのように人間による強大な力は一時的には非常にありがたい

便利な存在です。しかし、そうやって不安の中、恐れの中、弱さの中で

神さまとは違う目に見える力により頼み、苦境を乗り越える

生き方を私たちがしていったときに

最後にたどりつく場所はどこでしょうか?

不信仰の中で頼った相手から求められる報いは、不信仰においてしか

償えないものです。

ダビデはヨアブの強力な力を失って、王座が揺るぐとも

神以外は頼らない、そのような決断をしなければならなかった。

「今はまだ力が足りない。

ヨアブは私にとって手ごわ過ぎる。」と

ダビデは告白しました。しかし、この課題は、ダビデがもっと

力をつけたときに、乗り越えられる課題でなく

弱い自分を自覚しながら、王として不足を知りながら

その中でこそ、ただ神様だけに信頼してヨアブから手を放す

そういう信仰の決断によって乗り越えられるべき課題で

あったのです。


かつてサウル王に追われていたとき

ダビデは神様以外に頼るものがなく

ただ彼は神様を信頼することによって困難を乗り越えてきた。

しかし、神様以外にも頼れる存在、力を得たダビデが以前のように

神様だけにより頼むことは非常に難しかった。

これもまた、ダビデの生涯を通して、私たちが学ぶ

人間に共通する弱さではないでしょうか。

神ならぬ者に頼ったときに、私たちはやがてその報酬を神ならぬ者から

取り立てられてしまう。それは私たちの命であり、魂である。

でも、神により頼んだ者は、その報酬として恵みや祝福をいただく。

これが聖書の約束です。

 申命記30章19節
私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。

あなたはいのちを選びなさい。

あなたもあなたの子孫も生き、あなたの神、主を愛し、

御声に聞き従い、主にすがるためだ。





大事なことは、いつも聖書とロックが教えてくれた。


ラヴ&ピースKeep on Rock’n


今日も楽しく、誇りをもって行こう!