初めましての方も、今まで見ていただいている方も改めまして自己紹介させていただきます。

 

板谷梨恵(いたたにりえ)

 

1985年4月2日生まれ 3人姉妹の長女です。

 

生まれも育ちも大阪。

どころか住んでいるところも、生まれた時は1丁目、結婚して2丁目、現在3丁目と

ほとんど変わっていません。

 

小学生時代は、キックベースボールにはまり、

中学時代吹奏楽部でテナーサックスを吹いていました。

 

高校に入ったら、バイトと遊びで忙しい毎日。

そこそこの進学校だったのに、ほとんど勉強せず

体育祭や文化祭に命を懸けていました

休みの日も学校の近くまで来て、カラオケで8時間粘っているような生活でした。

部活は少林寺拳法部。ほとんどしゃべり部でした。個性豊かな面々で楽しかった。

 

大学は福祉の学校でした。

1年の頃から、キャンプリーダーとして活動していました。

2年の中頃からはガイドヘルパーと言って、障害を持ったお子さんと

1対1で外出するというアルバイトも始めました。

 

3年の夏休みには、障害者の入所施設に1カ月間泊まり込み。

外に出たのは大学に報告へ行く登校日のみで、ストレスで

お菓子を食べすぎ、太りました。笑

 

4年は社会福祉士の国家試験に向けて、猛烈に勉強しました。

後にも先にもこれだけ勉強したのは始めて。

高校の同級生だった夫と再会したのも大学4年の頃でした。

 

皆は就職活動していましたが、特に何もせずでした。

4年の途中から、発達障害のお子さんの療育を行う個人塾の講師の方と

懇意にさせていただき学びがスタートしました。

 

色々思うところもあり、親の勧めもあって大学院へ進学を決意。

一度社会に出てから進学を選べばよかったかな という気持ちも少し。

 

無事社会福祉士の資格も取り、大学を卒業。

院では、社会福祉のあり方を学び、発達障害児・者への支援の在り方について

研究をしていました。良い師と先輩に恵まれ楽しい毎日でした。

 

卒業と同時に結婚。

 

口利きもあり、発達障害者支援センターへ就職。

お子さんの療育、大人の方の就労相談、電話相談、セミナー等

目の回る忙しさと学ぶことの多さに加え通勤に2時間弱かかっていたので

朝7時に出て帰りは23時なんてこともあり充実していたけれどクタクタな毎日。

 

夫とは休みが合わないので、平日の仕事帰りに24時間空いているスーパーで

一週間分のお買い物。バッタバタな毎日でした。

 

就職してまだ2年弱だったのですが、妊娠が発覚、

つわりに耐えながら通っていると、切迫流産に。

 

通勤は難しいと判断し、その後は生まれるまでずっと体調が

良くなく。入院はしなかったものの、常に布団とトイレとお友達でした。

 

ずっと逆子で、帝王切開で出産。

体調も戻らず、1年間はフラフラで本当に元気になったのは娘が2歳過ぎてから。

 

それでも1歳半ごろから少しずつ仕事をはじめ、ヘルパーとして

初めて家事支援や身体介護にも入りました。

食べ物を大切にする認知症のおばあちゃん。

ウジの湧いたご飯を捨てるよう説得したり。

また他の方には洗い物の手順が違うと怒られることもあったり。

 

それぞれの生活を大切に支援することが大切だなと。

 

娘が大きくなってきたので、

障害を持ったお子さんを学校が終わった後お預かりする

放課後等デイサービススタッフ

行政のサービスを受ける時に必要な計画を作成する

相談支援専門員

 
としてパートではありますが勤務することになりました。
 
相談支援専門員は、保護者の方のお話を伺く機会も多く、
心理学を学びたいと思っているうちに潜在数秘術® に出会いました。
 
その後、禅タロットにも出会い、目的でなく自分らしく生きることを応援する
手段として今はこの2つを使っています。
 
夫との付き合いは長いけど変わらず尊敬していて、大好きだし、娘も可愛い。
それでも、めちゃも言うし切れるし我儘な時もあります。
 
行きつ戻りつ、自分自身も器を広げながら人生を楽しんでいる。
そんな私です。
改めて、よろしくお願い致します。
 
 
振り返ってみて思ったのが
 
中学生くらいから、乳児院や高齢者のデイサービスへボランティアに行っていたし
キャンプリーダーとしてたくさんの小学生と過ごして、
ガイドヘルパーとしても、小学生から高校生まだたくさんの子たちと出かけてきた。
それ以後も、本当に障害のあるなしに関わらず、多くの子供たちやそのお母さんと
接してきた。
 
今振り返ってみて、15年以上ずっと人の生活、
人生に関わらせてもらってきたんだな。
 
当たり前、なんて一つもなくて。
悩みや愚痴があって、苦しくてどうしようもない時でも
やっぱり幸せで居たい。と思ってる。
 
前向きで明るくても、それは過去を乗り越えてきたから
っていう人もたくさんいる。
 
一人では解決できなくても、家族がいたから乗り切れたって人もいる。
 
人が変化していくのって、時間がかかることも多い。
でも、絶対に今より良くなる。大丈夫。
 
どんな形であれ、私はこれからも人と関わって、一人ひとりの人が、家族という
最小のコミュニティーがより良くあるために特に女性が自分らしく生きられる
ことに力を尽くしたい。
 
そんな風に思っています。