既に風邪を久しぶりにひいて3日目。
自分も体調が悪く、母も入院中という環境の中、「生への意欲」というものを強く感じる。
他がダメな分、一般的なそれよりもただ生きるということに対する意欲、その感覚が研ぎ澄まされるというか。
昨日から母は免疫抑制剤の投与も始まり、こちらがテキメンニステロイドとの併用で母の体に良く作用してくれることを切に願っている。
一方で私のほうは大したことはないのだが、早く風邪を完璧に治さないとステロイドを常用せねばならない母に風をうつしたら、それこそ大変なことになってしまうので見舞いにさえいけないし、仕事上も迷惑をかけることになってしまう。
昨日は仕事を休ませて貰って一日家で寝込んだが、また変なニュースが舞い込んだ。
どこかの住宅地で近所の母・息子を大学生が強盗殺人。
なんというか、こう、ただ生きることに対して精一杯頑張っている今の私達はこういう犯罪を見ると、「寂しいんだな」という風にしか思わない。嘆かわしいし、憤りも憶えるけどなんかそれとはちょっと違う感覚。
私なんかは、母の病状が悪いとそれこそイライラすることもあるし、毎晩のように不安に押しつぶされそうになる日々だって過ごしてきたしこれからもそういうこともあるだろう。だけど、もう生きるということに対して必死!!なんだよね。自分の希望、願望全てが、母の体調が回復してくれれば良いそれだけになるから、他の邪念が入り込む余地がない。
今回の容疑者の大学生は資産家の息子で、親は賃貸マンション経営者であり、その中には容疑者名義の不動産もあたっとか。結局与えられるだけ与えられて、彼自身の人生の中で生きる意味や目的、負けないぞというハングリー精神を模索する機会を奪われたのではないか・・・。そう勝手な予測を立てる私である。私など、まーったく親から与えられる不動産やらなんやらとは無縁であるが、30近くになっても、未だ母が病気を患ったからこそ、とても近くにいてしょっちゅう顔を合わせることも可能だし、且つ何よりこの重い病気を抱えながらも、一生懸命に戦い、明るく前向きに生きる母の姿から、他の勉強や、仕事上の経験などからは学べない非常に何か大きなものを今も学び取っている。そう実感している。
生きるとはつまり、そういうことなのではないか・・・、などと達観するのだが・・・。