心のままに

心のままに

旦那との別居を期に始まった心の旅。

私が私らしくあるために・・・

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卒業式直前に不登校になった子ども。

日に日に暗くなり、笑顔が消えた。

このままではまずいと最後は休ませて、思う存分に好きなことをさせた。

卒業式を終えて、春休み。

外に遊びに行くことがなくなった。

友達家族と花見。

以前から決まってた友達との集まり。

それは渋々と参加。


そして迎えた入学式。

入学式を終えて、家に帰ると笑顔が戻った。


あっ、そうか。

「中学生になったら困るから」

そうやって怒っていた先生に呪いをかけられていたんだ。

中学校に行くのが不安で堪らず、また友達の目も気になった。

被害妄想のように友達から疎まれてると思い込んでた。

その呪いから少し放たれたのか。


「呪いはとけた?」と聞いてみた。

訳のわからない質問かなとは思ったけど。

「まだ少しとけてない。」と即答。

そっか。

まだ不安はあるよね。

ずっと不安を煽られていたのだから。


きっと、私も今までそうやって、呪いの言葉を発していたのだろう。

自分の不安をかき消すために。

そして、私自身、母親から呪いをかけられてた。

「そんなことをしたら嫌われるよ。」


ずっとこうしたら、人から嫌われる。

私がいたら迷惑。

自分なんていない方がいいんだ。

そんな風に生きてきた。


これからは、呪いの言葉をかけないように、そして呪いに打ち勝てるように生きていきたいな。

子どもが学校に行きたがらず、不登校気味。

不安定なことはわかってるけど、理由がわからず、まぁそういうこともあるかと思っていたら、突然の感情の崩壊。


話を聞くと理不尽に怒られて、言い分を聞いてもらえなかったとのこと。

1年間溜まってた想いが、吹き出したらしい。

熱血先生、怒られてばっかりで、だんだん気力を失いやる気がない態度にまた怒られる。


子どもの気持ちが痛いほどわかって、辛くなってしまった。

私もずっとこんな気持ちを抱えてたんだなと改めて気付かされる。


学校休んでいいかという子どもに、

「先生なんか大嫌い。顔見たくないから学校休む」って言ってきたら休んでもいいよ。


これから先、きっとわかってもらえないこともたくさんある。

でも、伝える努力すらしていないのに、わかってもらえないなんて傲慢だ。

今は、子どもの気持ちを先生に伝えること、先生の気持ちを子どもに伝えてやることは出来る。

だけど、大人になれば自分で伝えなくちゃいけない。

逃げる前に、伝えることも大切。



少し聴き取りが苦手な子ども。

板書してない持参物を忘れた様子。

それをこっぴどく怒られたらしい。

そして、持って来ることを知らなかったと私が伝えても聞き入れなかった先生。

生活ノートを確認すると、その授業の時間割も持参物も書いてない。


聴き取りが苦手なので、板書して欲しいことは何度も伝えてある。

そのことを指摘すると、落ち度を認めてくれた。

そして大きな音が苦手なことも、だから大きな声で怒っても、萎縮するだけで伝わらないことも。



私もかつてそうだった。

感情のままに怒られて育った私は、感情のままに子どもを怒ることしか知らなかった。

大人が怒って力でやり込めて謝らせたところで、本当に何が悪かったのか、本人が気付いていないと意味がない。

あっ、自分が悪かったんだと気付かせる。

刑事ドラマみたいに、おとさなければいけない気がする。



きっとこれから先も、言った、聞いてない。

そんなことで怒られてしまうことは何度もあるだろう。

自分自身が工夫すること、それを伝えて周りに理解してもらう努力をすることは身につけないといけないスキルだ。


でも所詮、小学生。

今は大人が擁護してやればいいのではないかと思う。

それが出来ない大人には、大嫌い顔も見たくないと思ってもいいんじゃないかと思う。

我慢なんてしなくてもいい。

そんな大人に心を壊されるくらいなら、学校に行かない方がマシ。

その前に、対決するだけの心の強さを持って欲しい。

そうすれば嫌なことから逃げたのではなく、選んだことになる。


さてさて、どんな選択をするのか?


私は自分の心の痛みを少し観察してみよう。

まぁ、この痛みを抱えて明るくなんて出来ないし、気力なんてない。

子どもの気持ちに共感出来るから、寄り添うことも出来る。


とはいえ、二人でどんよりするよりは、他の楽しいことを考えて、二人で切り替える方法を見つけていくのもいいことなんかじゃないかと思う。



ゲーム依存なんて、この心の痛みを紛らすのに最適な選択だ。

ゲーム依存している子どもから取り上げるのは、ゲームではなく、このえぐられるほど切ない心の痛みであって欲しいな。



想いのままに書いたので支離滅裂。

でも、そうやって吐き出せる場所があるのは最高♡

久しぶりに、インナーチャイルドが出現したので書きにきました。


小学校6年生の私は、剃刀で手首を切って自殺しようとしてた。

私なんかいない方がいいんだ。

私なんていらない子なんだ。

そんな気持ちに支配されて、居ても立っても居られなかった、あの日。


あの日のことは、何度も何度も思い出してもう平気になってた。

誰にでも話せるくらいに。


でも、今の私の立場で思い出したに過ぎなかった。


あの頃の私は、グズグズと言って機嫌が悪くなることも、泣くことも許されなかった。


でも、6年生って、まだまだ幼くて、お母さんにいっぱい甘えたくて、子どもだったんだ。

苦しくても辛くても、その感情を表に出すと叩かれ、やり場のない気持ちをただただ押し殺して過ごしてた私。

そして、いい子でいることが当たり前だった私。


それが当たり前だと思っていたから、それを長女にも押しつけてしまってた。

もっともっと甘えさせてあげればよかった。


悲しい時に悲しいって、辛い時に辛いって言えなかったら、フツフツと怒りに変わる。

私はこんなに我慢していたのに、なんで我慢しないんだよ。

自分勝手な娘を叱りながら、そんな風に怒ってたんだな私は。


6年生なんて、ずるくて自分勝手でわがままだったってことを知らずにいた。

それは許されなかったから。

子どもを育てながら、それが当たり前だと知る。

それでもまだまだ許せない自分がいる。


私がまだ、あの頃の私の悲しみと向き合いきれてないからだ。


悲しかったり、辛かったりしたら、本当は抱きしめて欲しかったんだ。

殴られるのではなく。


今夜は私を抱きしめて眠ろう。


久しぶりにこのブログを見ようと思ったらログイン出来ず。
消されてしまったのかと慌てました。

おかしいもので、あんなに辛くて仕方なかった日々が宝物のように思える日が来ていました。

M君にどんなに酷い言葉を投げつけられても笑っていられる私がいて
「くそばばあ」と子どもに言われても
「まぁ、本当のことだから仕方ないね」と聞き流せる私がいます。
その言葉一つが辛くて苦しくてどうしようもなかったのに。

苦しくてたまらない、いてもたってもいられない、自分でもどうしたらいいのかわからない胸を裂かれそうな感情に襲われることもなくなりました。

それなのに、何故かあの苦しかった日々が時々懐かしくなります。
あの日々、そしてここに残した言葉一つひとつは大切な私の軌跡です。


本当に色んなことが起こります。
神様がこれでもかこれでもかと課題を与えてきます。
私の人生、散々だなぁと思います。

でも、それ以上に素晴らしい。
そう心から思います。


まだ、心の旅を始められたばかりの方。
大丈夫です。
私がここまで辿り着けたんだもの。
絶対に抜けられないと思っていたトンネル。
気がつけば外にいました。

あなたもきっと大丈夫♡
「わかって欲しい」「認めて欲しい」
まだまだそんな気持ちを手放してはなかったことに気がつく。
あーまだまだだなぁ。
偉そうなことばかり言って恥ずかしい。
まだまだちっぽけだなぁ。

人生、気付いては手放し、気付いては手放しの繰り返し。
なかなか思うようにはならないね。

でも、何があってもジタバタせずに、何を学べばいいのか?
しっかりと考えられるようになったこと、進歩だよね。

出来るようになったこと。
まだまだ出来ないこと。
焦らずに少しずつだね。
自分の人生を呪いたくなる。
何で次々と色んなことが周りで起こるんだろう。

神様に試されながら生きていくしかないのだと、一度は自分の人生を受け入れたけど、簡単なものじゃないね。

それでも、凛として笑顔で生きていくって決めたから。
酒も飲めない私にはシラフで生きていくしかないし、依存したくても、させてはくれない男しか好きになれないし。
一人で向き合って、心を磨いていくしかないんよね。

それにしても、乗り越えても乗り越えても、次なる試練を与えられるって。
しかも、自分ではどうしようもないことばかりって。

事実を伝えて来た人が、普通なら取り乱してパニックになるって。
普通ならね。
人って慣れるし、どんなことでも受け止められるようになるんだなぁと。
でも慣れたくないよね、こんなこと。

映画「ゆれる」を観て、兄弟姉妹って互いに大切に想いながらも、ボタンの掛け違いが生じてしまう。
同胞葛藤って、厄介だなぁ。

未だに妹とは疎遠で、大切な人だと思うのに、仲良く出来たらって思うのに、上手くいかない。
以前も同じことを感じたな、その時のブログがあったよな?と久しぶりにここへ戻って来ました。

10年前に残した記事

まだ、この時にはM君と再会していなくて、O君とのことで頭がいっぱいで。
この2ヶ月後には、M君と再会するなんて夢にも思ってもいなくって。

今、M君とは正式に夫婦になって一緒に暮らしています。
籍を入れて、もうすぐ5年。
色んなことが起こるけど、でも動じなくなった分、穏やかに暮らせるようになりました。

苦しみは外からやってくるのではなく、自分の心が生み出しているのだなと改めて思います。

10年前のように、見捨てられ不安を起こすこともすっかりとなくなりました。
腹の立つこともあるけど、相変わらずM君のことが大好きで、今でも、一緒に居られることは奇跡だし、幸せなことだなぁと思っています。

心の中の不安な気持ちと戦うことも少なくなりました。
なんとかなる、そう思えることが増えました。

そんなのんびりとした生活のせいで、身体も一回り大きくなり、歳もとりましたが、今の私の方が素敵だなぁと思います。
心から幸せだなぁと感じることが増えました。

もちろんないものを数えればキリはないけど、当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃないことをたくさん知ることが出来たこと。

前の結婚生活では、

空を見て、青いねと

風を感じて、気持ちいいねと

一緒にいて、楽しいねと

そんな風に感じあえるのは当たり前だと思っていたけどそうじゃなかった。


今は

空を見て、青いねと

風を感じて、気持ちいいねと

一緒にいて、楽しいねと

思えることがとても嬉しい。

M君から届く虹の写真に、暖かい気持ちになる。


本当に大切なことを知ることが出来たんだなと思う。



傷はまだ痛むけど、この傷があるからこそ、今が幸せと思えるのかもしれないと思う。



今はそんな暮らしをしています。




こうすべきだ
こうしなければならない

自分が正しい、当たり前と思っていることが、本当にそうなのか?
それを振りかざす時、もしかしたら誰かを傷付けてしまってるかもしれないってことを知っておかなければいけないなって思う。

何気ない友達との会話で、心に棘が刺さった。
その棘で化膿して膿が出始めている。
その問題と向き合う時が来たんだなって思う。
その友達が私を非難したわけでも、傷付けるつもりがあったわけでもない。
彼女にとっての当たり前を口にしただけだ。

そう思えない自分を責めた。
そう思えない家庭で育って辛かったことを思い出した。
そして、本当はそうありたかったこと、それを求めていたこと、でも叶わないこと。
それをいとも簡単に口に出来る彼女を羨ましく思った。

たった一言で、めまぐるしく感情が噴き出した。
押し殺していた想い。
感じないようにふりして来た想い。
止めようと思っても止まらない。
次から次に噴き出してくる。

辛い
苦しい
悲しい
寂しい

でも、ずっとその感情に蓋をして我慢して、頑張って来たんだな。
今、もう一度蓋をしてしまっては、あの頃の私は幸せになれない。

全部全部出してやろう。
そして、今の私が全部受け止めよう。

私が受け止められる時期に来たから、噴き出した。
そして、私が欲しかったものを、今度は与えられるようになろう。

強くなる
優しくなる
そしてしなやかに
伸び伸びと生きる

ここに記さなくなって2年が過ぎました。

自分と向き合っていないのかといえば、そうでもなく・・・
向き合わざるえない出来事が、次々と起こります。

もう、それが定めなんだと開き直るしかないくらいです。


それでも、幸せです。


M君は、未だ籍が抜けないまま、今も一緒に暮らしています。


問題が起きて、棚上げして逃げたくなっても、逃げさせてくれず、向かい合わせるのがM君です。

本当に、生きていく意味でのパートナーなんだなと思います。




それでも、今でも思います。

すべての出来事は、幸せになるために起こっているのだと・・・・


例え、それが苦しくても、辛くても、ゴールには必ず幸せがあります。


誰のための人生でもなく、自分のための人生です。


自分が本当にしたいこと。

自分が本当に欲しいもの。

自分が正しいと思うこと。


誰に何を言われようと、迷わず、突き進めばいいんだと思います。

自分と神様はちゃんと真実を知っています。

本当に大切なものを見失わずに、進んでいけば、いつかは結果が出る日もあると思っています。


自分の心に誠実に。




誰かのせいにする人生ではなく、

何かのせいにする人生でもなく、

自分の人生を、自分の選択で歩いていきたいなと思って、日々過ごしています。


泣いたり、

わめいたり、

うらんだり、

怒ったり、

そんな時もあるけれど・・・


それでも、自分自身で受け止めて、生きていきたいと思ってます。




コメント、拝見しています。

ありがとうございます。


ここに記さなくて良くなったのは、きっと、自分のままでいいと思えるようになったからだと思います。

内緒の気持ちをそっと置いておく場所は要らなくて、それを話せるM君がいて、仲間がいる。

誰かに認めてもらいたい気持ちも半減したのかな・・・

誰もわかってくれなくても、私と神様はほんとのことわかってるって開き直れるようになったからかな・・・




このブログをご覧くださってありがとうございます。