子どもが学校に行きたがらず、不登校気味。
不安定なことはわかってるけど、理由がわからず、まぁそういうこともあるかと思っていたら、突然の感情の崩壊。
話を聞くと理不尽に怒られて、言い分を聞いてもらえなかったとのこと。
1年間溜まってた想いが、吹き出したらしい。
熱血先生、怒られてばっかりで、だんだん気力を失いやる気がない態度にまた怒られる。
子どもの気持ちが痛いほどわかって、辛くなってしまった。
私もずっとこんな気持ちを抱えてたんだなと改めて気付かされる。
学校休んでいいかという子どもに、
「先生なんか大嫌い。顔見たくないから学校休む」って言ってきたら休んでもいいよ。
これから先、きっとわかってもらえないこともたくさんある。
でも、伝える努力すらしていないのに、わかってもらえないなんて傲慢だ。
今は、子どもの気持ちを先生に伝えること、先生の気持ちを子どもに伝えてやることは出来る。
だけど、大人になれば自分で伝えなくちゃいけない。
逃げる前に、伝えることも大切。
少し聴き取りが苦手な子ども。
板書してない持参物を忘れた様子。
それをこっぴどく怒られたらしい。
そして、持って来ることを知らなかったと私が伝えても聞き入れなかった先生。
生活ノートを確認すると、その授業の時間割も持参物も書いてない。
聴き取りが苦手なので、板書して欲しいことは何度も伝えてある。
そのことを指摘すると、落ち度を認めてくれた。
そして大きな音が苦手なことも、だから大きな声で怒っても、萎縮するだけで伝わらないことも。
私もかつてそうだった。
感情のままに怒られて育った私は、感情のままに子どもを怒ることしか知らなかった。
大人が怒って力でやり込めて謝らせたところで、本当に何が悪かったのか、本人が気付いていないと意味がない。
あっ、自分が悪かったんだと気付かせる。
刑事ドラマみたいに、おとさなければいけない気がする。
きっとこれから先も、言った、聞いてない。
そんなことで怒られてしまうことは何度もあるだろう。
自分自身が工夫すること、それを伝えて周りに理解してもらう努力をすることは身につけないといけないスキルだ。
でも所詮、小学生。
今は大人が擁護してやればいいのではないかと思う。
それが出来ない大人には、大嫌い顔も見たくないと思ってもいいんじゃないかと思う。
我慢なんてしなくてもいい。
そんな大人に心を壊されるくらいなら、学校に行かない方がマシ。
その前に、対決するだけの心の強さを持って欲しい。
そうすれば嫌なことから逃げたのではなく、選んだことになる。
さてさて、どんな選択をするのか?
私は自分の心の痛みを少し観察してみよう。
まぁ、この痛みを抱えて明るくなんて出来ないし、気力なんてない。
子どもの気持ちに共感出来るから、寄り添うことも出来る。
とはいえ、二人でどんよりするよりは、他の楽しいことを考えて、二人で切り替える方法を見つけていくのもいいことなんかじゃないかと思う。
ゲーム依存なんて、この心の痛みを紛らすのに最適な選択だ。
ゲーム依存している子どもから取り上げるのは、ゲームではなく、このえぐられるほど切ない心の痛みであって欲しいな。
想いのままに書いたので支離滅裂。
でも、そうやって吐き出せる場所があるのは最高♡