このところ、日に何度もふと、
鳥肌が立っては鼻の奥がツーンとして
涙が浮かんでしまう


同じ年頃の子供をもつ親としては
どうしても、遺されたお子さん達を
自分の子供達と重ねてしまう




不幸の病とは縁遠いような
若く美しく幸せそうな著名人をも
不治の病は無慈悲に、容赦無く
のみ込んでしまう

という現実が

ブログという" 日常 " を通して
私たちに突きつけられた




私のように、特に彼女のファン
というわけではなくとも、

ブログを読んで
その存在と喪失が奇妙なほどにまで
身近に感じられ、
考えさせられたひとは
多いはず




彼女のブログは確かに、
想像を絶する闘病生活にもかかわらず
愛と勇気と希望と感謝と思いやりに
満ちていた

それは本当に賞賛されて然るべきこと






もし私だったら、どうだろう?

きっと病への憎悪、絶望、歎き、悲しみに
暮れることだろう

心が美しい状態でいられる自信は
全く無い

ましてや笑顔でいられることなど
私にはきっとできないと思う




我が子を目の前に、

もしこの子のこれからの成長を見る喜びを
奪われた、としたら、、、、


そこにはまず、

慟哭、以外に想像がつかない


自分がこの世に誕生させた
まだかよわい命を

見守り、育てる、母親としての使命を
突然奪われるということ、

成長を見届けることさえ叶わない、


なんという残酷さ






彼女にだって
溢れ出す負の感情もあったことだろう

恨みつらみをぶつけたかったことが
あったかもしれない

日本人の私たちは
その辺りを察して涙する




小林麻央さんのブログは、

" 病をあまり公にしてこなかった日本人が
堂々とブログで発信した " と

海外で評価されたという



それはそうなのだけど、

概して"察する " という事をしない欧米人が、
どう受け止めるのか…



忍耐強いことを良しとする日本人は
過酷な病床にあってもやはり
落ち着いて不満をあまりもらさない

とは捉えないでほしい、


というのが私個人の勝手な懸念





そして、
欧米人だけでなく日本人の中にでも


"闘病中も前向きであるべき" という
思い込みが生まれないでほしい


闘病だって、ひとそれぞれ

お手本も何もいらないのだから




弱音吐いてもイイ

愚痴こぼしてもイイ

泣いたってイイ

怒ってもイイ




鬱の闘病中、

とても周りに感謝の気持ちで接する余裕
なんてこれっぽっちもなかった

死の影に怯える必要の
なかった自分でさえそう





病と闘うひとが
なりたい自分になれない、と
焦る必要は決してない




ただただ、

あるがままに

苦しみも悲しみも吐き出していいんだよ、

取り乱してもいいんだよ
 
                       醜くてもいいんだよ、

と自分に言い聞かせてほしい





もし闘病中の誰かが、
自分も前向きであるべきなのに
それができなくて
苦しむようなことでもあれば、

それはまた

麻央さんの本望とも
ほど遠いことだと思うから






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私には未だ、ごく近しい人を喪くした
という経験はありません

でも今回考えさせられたお陰で
そういう悲しみを経たひとの気持ちが
一ミリでも想像できたかな、という
おこがましい気持ちがしています


きっと


失われた命の重み、

それは

愛し愛された記憶とともに

何倍もの重みとなって

遺された者の心に宿り


遺された者の

残された時間は

どこか永遠と常に繋がっている



より深く より濃い人生を

共に

生きてゆくのでしょう










小林麻央さんの
心からのご冥福と、
お子様達の健やかな成長を
お祈り申し上げます




Elly