(*注: この投稿は、静岡県牧之原市の認定こども園で9月5日発生した園児バス置き去り事故の描写が含まれます。)

 

 

先週末、静岡県藤枝市の射撃場で行われた「マスターズジャパンカップ」。大会前日から試合前の練習のため会場入り、いつもの通りのルーティンを行いとても良い感覚で撃て明日の試合も練習通りやれれば…そんな思いで前日練習を切り上げました。

 

 

そしてその晩。宿泊先のホテルでテレビを付けていると、園児のバス置き去り事故の件。とても悲しい事故に心を痛めていましたが、その事故が起きた園は牧之原市…すぐに調べてみたところ宿泊先からすぐ近くの場所にあるということが分かりました。

 

翌日の試合は偶然にも昼から、朝早く出れば、その事故が起きた幼稚園に立ち寄ってからでも試合に間に合いそうだと分かり…「ここに今いるのは偶然ではなく何か意味のあること、このまま行かなかったらきっと後悔する」。ざわつく気持ちに素直に従い試合当日の朝、急遽その場へ行く事にしました。

 

 

報道によれば、事故が発生したその日、最高気温が30℃を超え真夏日を記録、5時間もの間バスの中に取り残された河本千奈ちゃん(3歳のお子さん)の体温は40℃近くになっていたという。閉じ込められたそのバスの出入り口付近に残されたのは暑くて脱いだとみられる服と空っぽになっていた水筒が見つかったという…。

 

 

僕が尋ねたその試合当日の朝も同じような残暑厳しい日。本当はお花を用意して行きたかったけど急遽だったのでホテルを出る時にコンビニでお菓子を購入(きっと飲み物を手向けている方々が多いと思いましたので僕の役割としては甘いものを天国で食べて欲しい思いでお菓子にしました)、それを手に事故が起きた幼稚園へ行くことに。園の駐車場に車を停めて行くと幼稚園が見えてきました。

 

 

献花台の前に辿り着き、持ってきたお菓子をそっと置き、その現場で目を閉じて手を合わせ千奈ちゃんの気持ちに寄り添ってよりそって…

 

「暑かったね、のど渇いたね、そして。生きたかったね…」

 

その必死だったであろう光景を見えるもの・聞こえるもの・体感覚...全てを研ぎ澄まして感じていると、込み上げてくる感情を抑える事はできませんでした。

 

 

その日もこんなに暑かっただろうこと、この園庭で元気に無邪気に遊んでいたであろうこと、そんなことをその実際の場で、肌で感じ入ると胸が張り裂けそうな思いにもなりました。

 

 

試合当日の朝に行ったのは、そんな千奈ちゃんへの想いを肌で感じ、必死だった辛かった想いに寄り添い、まずは人としてその想いを胸に、そして今から戦う競技者としての僕の姿を見てもらえたら、そしてそんな想いも力に変え結果で報いたい、そう素直に思ったからです。しかし一方では、試合で勝つ事よりも大事なことがここにあるんじゃないかな、とも思ったからです。そして、この事故のことをテレビの向こうで起きていることではなく、誰かを批判することでもなく、原因追及ばかりでもなく、本当はどんな世の中に(保育環境に)なったらいいのか、自分事として肌身で実感したかったからです。ただただ何かしたい、そんな焦燥感みたいなものも近くに来たからこそ自然と湧き上がってきて反射的に行動していたのかな、とも思います。

 

駐車場に停めた車のところへ戻ったとき、約10分間程度だったでしょうか、たったそれだけの時間でも駐車していた車の中の温度はとても高く、一番低い温度でクーラーを最大でかけないと熱い位の温度に。5時間も居たとは…。

 

いつまでもいる訳にはいかないと、乾ききらない目のまま急いでその場を後にして試合会場へ行く事にしました。

 

 

 

試合に臨む前には普段、ドキドキ緊張する気持ちを落ち着かせ集中するため、意識を別の幸せな・嬉しい・楽しい・ワクワクする・感謝・他者貢献できている…具体的なエピソードからサブモダリティを使って予めチューニングしてより心地良く仕上げておいたシーンを、身体感情が一瞬にして染まりリソースフルになるアンカリング効果を使っています。試合に入る前に静と動のアンカリングを数パターン行い、あとは傍観者目線で自然体で試合に臨んでいる自分を斜め後ろからただそこに発生しているものを眺めている…そんな感覚になれるようにアンカリングを行うのですが、その日の試合は、

 

「千奈ちゃんのために頑張る」

 

どこの人か知らないおじさんが勝手ながら千奈ちゃんの想いを胸に、勝利を届けたい…ただただその想いでいっぱいになり、いつものアンカリングをやること、ストレッチするなどいつものルーティンもすっかり忘れてしまっていました。

 

試合開始の号令が掛かり一発目…一発目からいつもと違う感覚。どうしてもトリガーが落ちず構え直すこと4回。身体のこわばりと焦りを感じる。スタートから約5分程過ぎ、もはや撃ちたい(早くスタートを切りたい)思いでこわばっている身体を感じながらも強引に撃ちにいったら…大外ししてしまった。

 

「あぁしまった…」

 

もうこの世にはいない千奈ちゃんからすれば、そんな感情ですら感じる事はもはや出来ない、一方、自分は失敗しても次から気持ち入れ替えてやっていけば取り返せるチャンスがまだあるじゃないか…そう思うと、慌てたり焦ったりイライラしたり失望したり…そんな感情が湧いている自分の、何て小さいことか、そしてその千奈ちゃんの無念さにも寄り添い、自分はまだ取り返せる状況なんだから諦めるな、集中しよう。そしてそんな状況だって生きているからこそ味わえる、と。観念的に「そう思わなければ」というように捉えてしまったのかもしれません。またいつものアンカリングを出すこと自体をすっかり忘れている位、千奈ちゃんへの想いが頭から離れず。結果的には昨日の前日練習の時の感覚を思い出すことが出来なかった気がします。

 

結果から考察すると、試合前の気持ちのつくり方として、急に新たな感情や想いをもって試合に臨むのは不安や混乱を生じるということが自分の経験から判った気がします。大事な試合だからこそそのような想いを胸に戦うことで、

 

「普段よりも強い自分になれる、そんな自分を千奈ちゃんへ見せてあげたい」

 

そんな想いで臨みましたが、結果的にはスコアの乱高下が激しくなり、あがきもがいているうちに試合が終わってしまった感覚でした。終わってみれば、前日練習よりも低いスコアで試合を終えることとなりました。

 

それでも、今回、千奈ちゃんのところへ行ったことは全く後悔していません。想いとは裏腹な結果になってしまい残念な気持ちは確かにありますが、それでも、やっぱり、この機会に千奈ちゃんのところへ訪ねて試合前でしたが手を合わせ、想い、寄り添うことが出来たことは競技者の前に人として他人に寄り添える自分で在りたい、そう思って試合に臨めたので行けて良かった、と思っています。「失敗OK、ナイストライ」の精神もその思いの助けになってくれています。

 

別にカッコいい事を言うつもりは全くないのですが、試合で自分が勝つことだけしか考えられない私利私欲な、周りへの配慮や感謝の思いの無い態度や考えでやっている位ならどんなに結果を出してもやっている意味がない、むしろ競技活動を通じて周りにも僕の思いや振る舞い・態度などを見て知って頂くことで思いを共にし、お互いが幸せになれるきっかけを作っていければと思っていますし、それを体現していくことの方が優先度は高いと僕は思っています。それはスポーツ界全体に言える結果至上主義、特に昨今の、いや以前から相変わらず蔓延っている、結果さえ出していれば暴言・暴力などがあってもお咎めがない風潮に違和感を覚えている事とも通じます。

 

競技者として・人として、周りの多くの人と共有できる価値観「コモンセンス」を持ち、逆に共同体感覚と乖離する非建設的な自分の「プライベートロジック」を修正し、「コモンセンス」を拡張し「プライベートロジック」を縮小していければ、健全な競技生活が・人生が送れる、そして多くの人たちと思いを共有できずっと幸せな人生が送れるのではないか、と考えています。

 

 

今週末も同じ会場で、今度は全日本パラ射撃選手権大会が有ります。色々な想いが有りますが、冷静な頭と温かい心を胸に、先週の良かったこともうまくいかなかったことも全てがリソース(全体論)、今週末の大会に繋がっていると信じ、ベストを尽くします。

 

 

今日も一日、色んな人たちに支えられて感謝!

 

はせべん