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(2020-9)三橋ブログ投稿用のネタの集積所という位置づけです。始まりは鼻風呂コピーから。
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【女優・夏目雅子の人生】医師から入院を告げられた時、彼女は何と言って泣き崩れたか

1/27(土) 10:55

 

 化粧品会社のCMを強烈に記憶している方もいるでしょう。しかし、多くの方にとっては、ドラマ「西遊記」で孫悟空を演じた堺正章さん(77)が呼ぶ「おっしょさん!」が懐かしく思えるのではないでしょうか。女優の夏目雅子さん(1957~1985)。あまりにも若かったその死は、大きな衝撃として伝わりました。朝日新聞編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。聖女となった伝説の女優の人生を追います。 

 

昭和の名女優

 演技が良かった、美しかった、活躍した時期が自分の青春と重なる――。  人によって理由は様々に分かれるだろう。  朝日新聞の朝刊be(週末の別冊版)が「あなたが選ぶ昭和の名女優」と題し読者アンケートをしたことがある(2011年2月12日掲載)。夏目雅子さんは吉永小百合さん(78)に続く2位。ちなみに、3位は大原麗子さん(1946~2009)、4位は八千草薫さん(1931~2019)、5位は池内淳子さん(1933~2010)だった。  急性骨髄性白血病に冒され、1985年9月11日、肺炎のため27歳で早逝。清純でキラキラ輝く美しいイメージのまま、突然、私たちの前から旅立った夏目さんは、人々の心の中で永遠の存在になった。 「聖女」伝説の誕生である。  薄幸をイメージさせる白血病という難病で亡くなった悲劇が、「永遠の聖女」として語り継がれる要因になった。死後、何度も夏目雅子ブームが起きたのも、亡くなったことで神格化され、汚すことができない存在となったこともあるだろう。今月4日、83歳で亡くなった写真家・篠山紀信さん(1940~2024)にも夏目さんを写した作品があり、透明感ある夏目さんの表情は息を呑むほど神々しく美しい。  それにしても、白血病とは……。しかも、女優として脂が乗り、これからの活躍が期待されていたときである。  白血病とは骨髄など造血組織にできる悪性腫瘍だ。白血球が異常に増え、血液を通して病気が全身に広がるため治療が難しいとされる。夏目さんは東京・新宿区内の病院で亡くなったが、病院には新宿の夜景が見えるフロアがある。筆者もその病院に入院したことがあり、夜景を見るのが楽しみだった。夏目さんも黄金のようにキラキラ輝くネオンの海を眺めたに違いない。

 

三蔵法師で全国区に

 夏目さんは1957年12月生まれ。実家は東京・六本木で輸入雑貨店を営んでいた。東京女学館小学校から同中学校、同高校へ進学。10代のとき、ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1901~1974)の映画「ひまわり」(70年)を見て主演のソフィア・ローレン(89)に憧れ、女優への道を志したと言われる。  芸能界入りを両親は猛反対したらしいが、東京女学館短期大学に在学中の76年、日本テレビのドラマ「愛が見えますか…」のヒロイン役に選ばれる。77年には化粧品のキャンペーンガールにも抜擢された。  当時、筆者は高校生。77年のヒットCM、カネボウ化粧品の「Oh! クッキーフェイス」をよく覚えている。こんがりと日焼けした小麦色の肌。夏目さんは抜群のスタイルのボディーを、極小ビキニで惜しげもなく披露した。 「夏目」の芸名は、このCMが夏をイメージするものだったことから生まれたという。たしかに、あの笑顔は、ヒマワリが咲く夏がよく似合う。  海に浮かべたフロートに寝そべったり、ビキニ姿でラクダに乗ったりする彼女の姿は衝撃的だった。夏目さんは19歳。このときのCMディレクターが、後に夫となる伊集院静さん(1950~2023)だったという。  翌78年には、ドラマ「西遊記」(日テレ)で丸刈り姿も美しい三蔵法師を演じ、お茶の間の人気者になる。本来は男性である三蔵法師を、女性の夏目さんが演じたことが話題を呼んだ。高貴で中性的な三蔵法師の誕生である。夏目さんの起用は大成功。ドラマは大ヒットである。夏目さんの知名度が一気に全国区にアップしたことは間違いない。  そのころ筆者は、小説家・横溝正史(1902~1981)が原作のサスペンスドラマシリーズ(TBS系/毎日放送制作)も毎週のように見ており、「悪魔の手毬唄」で夏目さんがヒロインを演じたのをよく覚えている。ドロドロとした血なまぐさい連続殺人事件が中国地方の深い山里で起き、夏目さんが登場したことでドラマに爽やかな風が吹き込んだように思えた(もちろん彼女は犯人ではない)。 「なめたらいかんぜよ!」と夏目さんが啖呵を切った映画「鬼龍院花子の生涯」(82年)も懐かしい。彼女は同作でブルーリボン賞の主演女優賞を受賞。土佐弁のこのセリフを、あのころはみんながマネしたなあ。  でも筆者は、夏目さんの死の前年に公開された遺作映画「瀬戸内少年野球団」(84年)を挙げたい。原作は作詞家・阿久悠(1937~2007)の自伝的小説だ。敗戦直後の兵庫県・淡路島を舞台に、野球を通じて児童らの心を支えようとする夏目さん扮する小学校教師・中井駒子と、彼女を取り巻く人々の物語である。  撮影の合間の84年4月6日、こんなことがあった。夏目さんら俳優陣や篠田正浩監督(92)をはじめとするスタッフらが、ロケ地となった徳島県阿南市立新野小・中学校の共用グラウンドに集まった。参加した地元エキストラは子どもを含めて約300人だったという。  記念写真がある。割烹着の女性らの中で、野球帽の夏目さんが笑っている。強烈な色気チシズムを持ちながら、品格を漂わせていた夏目さんに、周囲の人は爽やかな感動を覚えたに違いない。  単なる美しい女優ではなく、演技がしっかりしていて芯もあったのだろう。うるさ型の映画監督からの評判もよく、「再び使ってみたい女優」としてはナンバーワンだったそうである。  あまり詳しくは書かないが、私生活で悩み苦しんだこともあった。だが「瀬戸内少年野球団」の撮影中は、ホームシックの子役らと一緒に風呂に入ったり、漢字の勉強を手伝ったり……。人気女優とは思えないほど、気さくで思いやりのある人だったという。

 

「公演をやめろと言うなら死んでやる」

 夏目さんの病気の話を続けたい。  85年2月、西武劇場(東京・渋谷)の2月公演「愚かな女」で主役を務めていた夏目さんは疲労感を覚え、同14日夜、前述した都内の病院で医師から入院を宣告された。公演は中止である。  このとき「公演をやめろと言うなら死んでやる」と夏目さんは叫び、泣き崩れたという。筆者も14年前にがんになり、病巣を手術で摘出。放射線治療も始め、一度は落ち着いたかと思ったが、数年前から再び様子が悪くなった。がんが再発し、ステージも上がったことを主治医から告げられた。その瞬間、目の前が真っ暗になった。  だが、夏目さんはまだ27歳。しかも「不治」のイメージが強い白血病である。  この年の9月11日に夏目さんは旅立ち、最愛の妻を失った伊集院静さんは激しい喪失感にさいなまれ、運命を呪い、酒とギャンブルに溺れる日々を過ごしたという。だが、そんな伊集院さんが這い上がるきっかけになったのが小説だった。夏目さんは生前、伊集院さんの文才に惚れ込み、多くのクリエイターに売り込んでいた。胸の中に湧き起こる無念さ、哀しみを同居させながら執筆を続けることが、伊集院さんにとって生きる糧になったことは間違いない。  夏目さんが亡くなってから8年後の93年、実兄で会社社長の小達一雄さんが、がん治療の副作用で頭髪が抜けて悩んでいる患者のため、かつらを無料で貸し出す「夏目雅子ひまわり基金」を設立、同年12月1日から運営を始めた。  がん患者には、放射線療法や化学療法、免疫療法などさまざまな治療法があるが、抗がん剤の副作用で頭髪が抜けてしまう人が少なくない。特に女性の場合は精神的なショックが大きく、夏目さんも闘病中、頭髪が抜けていくのを気にしていたという。夏目雅子ひまわり基金はいまも運営されている(詳細はホームページで)。  それにしても、多彩な顔の持ち主でもあった。「海童」という俳号を持ち、俳句をたしなむ一面もあった。 「結婚は夢の続きやひな祭り」 「風鈴よ自分で揺れて踊ってみたまえ」 「油照り汗もなく立つ忠犬ハチコウ」  写真家・浅井慎平さん(86)が主宰する「東京俳句倶楽部」に所属していた。放浪の俳人・種田山頭火(1882~1940)の句が好きだったという。「大女優になるより、いさぎよく生きたい」という言葉をよく口にしていたそうである。  次回は、2017年2月16日、84歳で亡くなった作曲家・船村徹さん(1932~2017)。「みだれ髪」「風雪ながれ旅」「矢切の渡し」「王将」など名作は切りがない。5000曲以上を手がけたというが、作曲の原動力はどこにあったのか。筆者にとっては北海道の港町で出会って以来の「人生の師匠」でもあった。

小泉信一(こいずみ・しんいち) 朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。 デイリー新潮編集部

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放射能まみれのゴビ砂漠を裸で走り回りました。

一発です。

知識がなかったとはいえ悲惨。

 

日中友好は多くの犠牲者を出しています。

中村秀樹

 

<<ヒロシ逮捕の裏事情>> ヒロシの逮捕の件で面白い情報があるので書いておきますね。 朝方4時ごろ警察が大人数で自宅へ乗り込んで逮捕とか、 この事件、ネットの名誉棄損にしては、大がかりすぎると思いませんか? 被害者の女性すらびっくりしてると思います。 地震や政治家の汚職事件で警察は人手がたりないはず。 立件するのに手間暇がかかるネットの名誉棄損など当然後回しにしていいはず。 これは、私の推測にすぎませんが、警察は女性への名誉棄損という別件逮捕で ヒロシのパソコンやスマホを証拠品として押収したかったのではないでしょうか? ヒロシの周囲にはタッチバナや、ガーシー、ドバイ詐欺グループなどが見え隠れします。 Z理やオリハラなど反社関係と密接なつながりがあり、その中のどこの誰とどんな会話を PCやスマホで会話していたのか?捜査するために「女性への名誉棄損行為」を口実に 逮捕へ踏み切ったものと私は推測してます。 タッチバナのヒロシ逮捕の最初の動画を見ましたか?シャワー浴びる前に裸の状態で慌てて動画配信する異常なあわてっぷり。その後よく調べもせず、「ヒロシ逮捕はガセネタだ」というウソの投稿までする始末。ヒロシの逮捕がなんらかの不利益をもたらすことを、タッチバナは、直観したのではないでしょうか? 今後すぐにヒロシが釈放されれば、大した事件にはならないでしょう。 長期間ブタ箱で拘束されるようなら、私の推測が当たってる可能性大だと確信します。

 

 

どうでもいい話ではなく日本の民主主義を更に壊す。統制を強める動きです。
もちろん背後には米国。
世襲とか地盤と言われますがそんなものはすでに存在しません。党本部一強の世界を作り上げたのが1995年の政治改革、小選挙区制。
この改革で政治家と選挙民は切り離されました。
選挙民と交流を持っていても党本部から排除されたら議員生命は終わり。
実は世襲はこの時終わっています。
なんで今更世襲批判するかと言えば統制を強めるため。議員の口を完全に塞ぐためです。

前回の政治改革も検察特捜部が動くことで実現しました。
今回も同様に動いています。
特捜部は何のために存在するか?
日本の政治をコントロールするため、政治を支配するためにGHQがつくりました。
最初のターゲットは佐藤栄作と福田赳夫。

特捜部を何でこんなにありがたがるのか不思議ですが、学会もメディアも評論家の先生もすべて米国配下だからです。
もちろん財務省は米国支配下。
1990年の特捜部の動きで官僚への支配はさらに強まりました。
1995年には年次改革要望書。オール与党体制で売国に励んだ村山体制。もちろんですが社会党には恥という感覚はありません。

政治改革のお陰で党本部に逆らいづらくなり売国法案が無抵抗で通るようになったのは自社さ体制から。以降変わっていません。

安倍首相後継もいずれ林に変わるでしょう。
党本部との関係性でのみ世襲は成り立ちます。
頓珍漢な世襲批判がさらに我々の首を絞めます。

mibu

2024-01-20 13:52:12