親っさんの思い出
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【2006年2月】

《昼》

ここを訪れるのは2度目だ。
最初に訪れたのは、年が明ける前の12月。親っさんが亡くなった年の暮れ。年内最後の休みの日だった。
親っさんが亡くなってから半年後に、ここ「あすか霊園」にお墓が作られた。
電車やバスを経由しても、なかなか墓参りに来難い場所ではあるが、車なら直ぐに来れる。
とは言え、そうそう来れる訳でもない。一度目の墓参りの時、何か大事な出来事の報告があるときは、ここを訪れる事にしようと私は決めた。
ここに親っさんが居るという訳ではないのだが、ここからの方が、直接声が届くような気がするのが不思議だ。
その時もレンタカーを借りて、一人でここへ来た。
親っさんが亡くなった年の8月か9月くらいに、お墓が出来たという話は聞いていた。
出来た事は聞いていたが、正確な場所は知らず、奈良の何処かという認識しか私にはなかった。
お墓の場所が決まり、建設されてから直ぐにお墓参りが出来たのは、確か親族と古賀さんくらいだったのではなかろうか。
私は女将さんと古賀さんが会話しているのを少し離れた所から聴いて、奈良の「香芝インター」の近くにお墓があるのを知り、帰ってから地図で調べた。
調べてみると「あすか霊園」であることはまず間違いなかった。
私は密かにお墓参りに行く計画を立てた。
公には言わず、こそこそ行動するのは余り好まないのだが、何となく誰にも言いたくなく、また一人の方が何かと都合がよかった。
私には、親っさんに言いたい事が山ほどあった。
親っさんが亡くなってから半年以上も経つというのに、いまだ親っさんを感じられない。
女将さんの話しでは、毎日のように夢に出てくるというのに、一度も私の枕元に立つこともなく、夢にすら出てこない親っさんに少し腹立たしさを感じていた。

______ 何か私に一言ないのか?言う事あるでしょ?

というのが私の言い分。

______ 長男の結婚

______ 次男の「八正」離脱

おそらくは、家族から報告もあったであろうけど、その家族の周りを取り巻く、その側近である私達に、親っさんから何か言う事があるはずだ。
父親の死後、一年も待たずに結婚式を挙げる長男。それを盛大に祝福する我々。
感謝の一言もあっていいはずだ。
9月に「八正」を継ぐはずの次男が辞め、夢であった「教員」を目指す。
実質、後継者が居なくなる事態。
それだけではないのだが、この二つだけでもこれほど魂を震撼させるニュースが他にあろうか。
ケンスケが「八正」を辞めた事に関しては、仕方ない事だと私は思う。むしろ当然だと思っていた。
この「職人」と呼ばれる世界は義務感だけで務まる世界ではない。
本当にやりたい仕事があっても、親が寿司屋をやっていたから……という理由だけでやりたい事を諦めさせるのは残酷。でも、自分が継がなかったら「八正」は……家族は……と、一番苦しんだのはケンスケ自身だと思う。そして苦渋の思いで決断を降した。私は早い段階で決断出来て良かったと思っている。しかし……

______ 今後「八正」はどうなる?跡目は……

私はケンスケに「八正」を託す為にここに残っていた筈なのに、私より先に「八正」を辞められてしまった。

______ 解散?継続?

このまま惰性で続けていく事に我々の未来はあるのか。
親っさんを偲んで「八正」を訪れる客も少なくはない。かといって、このままでいいのか……
跡目が居なくなった以上、解散するのが得策というのが私の考えだ。そもそも親っさんが居ない時点で既に「八正」ではなくなっているのだから。

「八正」=「親っさん」

「八正」は親っさん自身で、ウチに来るお客さんは皆、親っさんに逢いに来ていたのだから。親っさん居ない「八正」はもう「八正」ではない。が、しかし……

______ 亡くなった後も「八正」を続けられる事が店の評価になるとしたら……亡くなった親っさんの評価になるとしたら、後継者が居ないという理由だけで辞める訳にはいかない。

頭の中で迷いの葛藤は繰り返し行われたが、結局この迷いからは抜け出せない。
答えを出せないまま12月になった。
どのみち、私なんかが決める事でもないのか……私はただ、上の方が決めた事に従えばいい事なのかもしれない。そんな思いを胸に、暮れの最後の休みの日に一人、レンタカーで香芝まで出向いた。なかなか現れてくれない親っさんに逢うために。
カーナビに従い「あすか霊園」に辿り着くと、そのひと気のない寂しい景色に思わず息を呑んだ。

______ ここからじゃ、大阪は見えないよなぁ

それまでの自分の思いだとか考えは消え失せ、何となく今ここに、渡世から離れた場所に独り置かれて居る親っさんに同情した。
到着から程なく、親っさんのお墓は思ったより早く見つける事が出来た。
ここの霊園は、奥の方にどんどん新設されているようだったので、新参者の親っさんは多分そっちの方であろうという私の読みが当たった。
この広い霊園を見れば、決して親っさんは独りぼっちではないとも思えるが、やっぱり大阪に居てほしく思う。こんな静かな場所は、親っさんには似合わない。賑やかな所で一番目立っているのが、私の知る親っさんだ。
まだ、磨かなくても綺麗な新しい親っさんの暮石を発見し、私は持参したタオルで丁寧に磨いた。
暮石に刻まれた親っさんの名前。亡くなった日付を見ると、腕に自然と力が入る。
何か言いたいことが沢山あった筈なのに、言葉は嗚咽に掻き消され、暮石の背を磨く頃には、視界は涙腺から溢れる涙で歪んでいた。
震える手で顔を覆い、慈しむ(いつくしむ)ように石の背中を撫でた。新しく光沢のある石は何も言わないが、闇夜のように深くそして冷たかった。それは何となく今の親っさんの心境なのかと錯覚してしまう位に果てし無く、そして今の自分と同じような気がしてならなかった。石の冷たさが、いつも「辞める辞める」と親っさんに言い続けて親っさんを困らせていた私の罪悪感に爪を立てた。
涙腺から溢れる涙が、目尻をこじ開け頬を伝う。
もう、親っさんの事を店で話していても涙なんか出なくなっていた筈なのに、ここに居ると泣けてくる。嫌な事や腹の立つ事も山ほどあった筈なのに、いい思い出だけがリフレインされる。
墓石に顔を埋め、走馬灯の如く巡る親っさんとの思い出に溶かされ、親っさんの居ない「八正」を続けて行くと決断した時に封印した筈の感情が、堰を切ったように溢れ出した。
瞬間、親っさんを感じる事が出来た私は顔を上げ、心を落ち着かせた。

______ ようやく逢えた

一頻り墓の手入れを終わらせ、墓石の前に腰掛けて溜め息を吐く。

『どうなちゃうんでしょうねぇ…』

しばらく墓石の前に腰掛けて、ぼーっとしながら独り言ちた。
石の冷たさが、地面に着いたお尻の感覚を奪っていく。
静かで何もないところ。ただ、近くを走る高速道路の車の行き来する音だけが終始聞こえる。
12月の山の中で動かずにじっとして居れば、すぐに身体も冷え、震えを覚える。

『また来ます』

その一言だけ言い置いて立ち上がると、私は奈良を後にした。
結局、墓石を磨きに来ただけの奈良までの孤独なドライブになったのであるが、親っさんのお墓を見つけるという目的を果たした事に自分自身満足していた。
これでまたいつでも来れるという安心感と、墓参りを済ました達成感が、さらに気分を高揚させる。
車を返して帰宅する頃には、気持ちを落ち着かせ、仕事モードへとゆっくりと戻していった。
明日からの私を待っているのは、年末の恒例行事。『鯖の棒寿司』。もう年内の休みは無い。
「八正」を辞められないという現実は、とりあえず来年また考えるとする。
結局そのまま年内は仕事に集中して、馬車馬のように働いて年を越してしまった。
そして親っさんは、とうとう私の枕元に立つ事はなかった……

______ あれから数ヶ月

割と近い周期でまたここを訪れる事になった。
前回と違うのは、今回はカズが一緒である事と、墓参りの目的だった。
夜には女将さん達と逢う約束をしていたから、そんなに時間はない。
でもその前に、どうしても親っさんに逢って話しがしたかった。
今後の「八正」の話しだ。
親っさんが亡くなって1年は過ぎたが、その一年の間にはいろんな出来事があり、そして前回の墓参りからの数日の間に「八正」は、また新たな局面を迎えていた。

______ 古賀さんの独立

ずっと「八正」を引っ張ってくれていた古賀さんが辞めるという。

______ もう「八正」は終わるしか道がないのではないか

と、誰もが思う中で、私だけが全く違う事を考えていた。
私は捨てられたような気がした。
「八正」もろとも見捨てられたような気がして、腹立たしさよりも哀しさが優っていた。
このような事が起こる原因は分かって居る。なって当たり前。これは、成るべくして成った事。
経営者と職人は違う。それだけの事。どこにでも起こり得る事だと思う。
私はただ……上が辞めるから俺も辞めるなんて辞め方は絶対にしたく無いだけで、本当は私の方が辞めたかったのに、また辞めるタイミングを逃してしまった……というのが本音。
古賀さんが独立する事は、とても喜ばしい事。
私が「八正」在籍中に、タカ先輩(寿司八孝)に続いて2人目の先輩が独立するというめでたい出来事に遭遇した事になる。
ただ…タカ先輩の時のように素直に喜べない事情がある。それは、古賀さんが辞めた後の「八正」には、私とカズの落ちこぼれ2人しか残らない事である。
古賀さんの独立の話が私とカズの耳にも届いた頃、女将から今後の「八正」の事で話があるという事で食事の誘いを受けた。
あなた達も辞めるの?辞めないの?が聞きたいのは分かっている。
その時聞かせて。というのが女将の食事の誘いだったので、その場では答えずに食事の誘いを受けた。
私の腹は決まっている。
それを女将さん達の前で答えるより先に、親っさんへの報告である。
カズと2人で「あすか霊園」を訪れて親っさんの墓を磨いた。

『こんな所にあったんですね……なんか寂しいっスね』

『だな』

花と缶ビールを供えて線香に火を灯す。
手を合わせて目を閉じた。

______ 遅れ馳せながら、明けましておめでとうございます。お久しぶりです。親っさん知ってはりますか……

暫く沈黙が続いた。
長々と報告を済まして目を開けて立ち上がって空を見上げた。

______ これでいいっスよね親っさん……

『カズ。行こか』

『はい』

もうやがて陽が落ちそうな霊園を後に、私達は女将さんとの待ち合わせの場所へと急いだ。
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