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『ここに答えを』

 知っていた答えは、消える幻みたいに儚いんだ。

 短い答えがあるのは、人生の綻び。縺れた糸は、抜けていくんだ。生きるのも、同じだと思う。

 不器用だからこそ見えた答えは、今の中にしか輝けない要素があり、それは、幻なんだよね。
 ただそれは、一瞬だから。ただ、そうあるだけだから。そう感じているだけなんだ。

 器用に生きられないから、答えがないのは間違い。どちらにも、答えなんて存在しないもの。

 じゃあ、答えって何なんだろう。それがわかんないから、人間は見つけるんだ。答えのような、本当の問題を。

 問題は、解決なんてしない。だから、答えはない。進むのは、答えを見つけているからじゃない。進むのは、不安だから。これが、何かを見つけたいから。だから、人間は発見して、解剖する。そうして、電気が見つかり、ゲーム機になった。

 最初の電気から、今までどれだけが見つかったか。答えが、その一つだったのかは門前払いの答え方じゃないかな。

 知っていた答えは、消えるんだ。正しい答えは、どこにもないし、見つからない。

 今を生きる意味も、今、自殺する意味も答えはない。だから、命はまた生まれて、儚いんだ。

 答えてもらう、答えてください、答えてもらえますか?

 正しいって、いったいなんですか?普通は何ですか?悪と正義は、どっちが悪いんですか?その答えは、誰が知っていますか。

2014 8月3日 『ここに答えを』 
 

『フィクション』

 満月に、もしも力があるならば。
 満月に、もし、そんな力が存在しているなら。それはただの幻想だよ。

 春の夜。夏の夜。秋の夜。冬の夜。必ずどこかで現れる満月。それには、神秘が募ると言われたのは神話の世界。

 神話は、星の物語。全知全能の神様、ゼウスにも父と母がいる。父、クロノス。母、レアー。
その偉大なる父親は、自分の支配権を我が子に奪われるのを恐れ、生まれた子供を次々と飲み込んでしまうんだ。そこでゼウスを生んだとき、母レアーは産着で包んだ石をかわりにクロノスに飲ませることでゼウスを救った、とある。
 どうだい?神様って何だと思う?

 遥か過去の時代に太陽はラー(神様)だった。そんな時代から、信仰はある。だが、それがはたして本当の物語につながるのかは僕は疑問だ。神様とは天空、大地における天災を表しているものだと思うから。そもそも奇跡とはなにか。血を流すイエス様の像は、本当だと言い切れるか。海を割ったモーゼの杖は存在すらしないだろう。

 過去からのメッセージ(伝言)は、例のない盛大なファンタジックに満ちあふれてて、真実はきっとゼロに近いんじゃないかな。
 何かに、例えるならば。それはいかに優れた人間にも限界がある、ということ。限界を超えた人智の才が奇跡の始まりだと思う。

 神話は、星の形から点を結び、一つの創造を想像した。空に上る人の魂が、新しい星を作るのも、人の目がそもそも万能ではないからだ。上る魂は、知らない星の輝きを導き出す。それは、今であって、『その時』じゃない。
 星は時間の中で光り、消滅を繰り返す。人とて、その流れに逆らうことは不可能だ。不死身じゃない限りね。

 神という名は、人の心の幻想。仏は人の欲望の果てにある。

 まずは神から思うことを書き記そう。
 奇跡の代償は、己の心。強さに満ちるその思いは、人の心を震わせるだけの力がある。ある人は言う。
 『奇跡は常に、己の中(心)にあり。』
 つまり、イエスのしたことは宗教としての祖であり、マインドの力だと思う。それは決して悪ではない、と伝えたい。清らかであったため、貧しい人々は、イエスと、神を重ねてみたんじゃないのかな。

 救いは、人の心を穏やかにして、それゆえの、死からの解放だと思う。なので、奇跡とはやはり人の心の強さが導き出す結果論に過ぎない。

 仏とは何か。仏陀(釈迦)は輪廻を超越する唯一神(キリスト教など)を認めないとある。すなわち、他の宗教より己の念が強いと固持する。

 つまりは悟りとはまず第一に己を絶対的にするということにあり、心身ともに歩むことに答えがある。
 因果とは原因と結果。その二つは善悪にとらわれずして、心に生を作り上げることにある。
 答えのない人の一生は、輪廻の元、生きる人の性(さが)を描く。

 仏教はもともと、何かに対する信仰という形すらない宗教である、とある。

 すなわち、仏もまた心に迷いを持つ者たちの具現の信教。救いとは、儚い人の夢だ。

 神も仏も、救いの一点。人の目が見せる色は十人十色。それは、神様や、仏様も同じだ。

 なにを信じて、何を心に抱くかは勝手だが、人間は誰もが神様であり、仏様であることを忘れてはいけない。

 それはなにかって?簡単さ。

 人はとても強いってことだ。心も、体も。だって、それを作り上げ、やるのは誰だい?目に見えない神様や、信仰する仏様かい?違うだろう。考えて、実行するのはいつも決まっている。確かに後押しされる時だってあるだろうさ。だけどさ、全部いつも。

 自分がやってきた努力の成果だって、自分で自分を褒めてあげるのが誰かに褒められるよりも嬉しいんじゃないかい?

 僕は、そう思うかな?

2014年 6月16日 フィクション 終  大空寺 絆

『父の日』

 死んだ親父に何かを伝えたかったんだ。だから俺はここに戻ってきたはずだった。

「親父…」
 
 死んだんだ。勝手に、くたばって、誰をお前は幸せにできた?ずっと、あんたは孤独だって聞いたんだよ。だからなんだよ。だから、なんなんだよ!
「俺は…、俺は!」
 墓石の硬さは、鉄板以上だった。

 神様なんてこの世界に一人として存在しない。仏もまた、いない。それを人間は心のどこかで知っているはずなのに、仏教があり、信教が広がる世界。
「救われたか?悟りを誰か開いたか?はは…。くだらねぇ」
 墓場には、俺だけだ。それなのに、どこかで誰かに見られている感じはいい気分じゃない。だから叫ぶんだぜ。知ってほしい。俺は、ここにいるんだ、と。誰にでもいい。ただ、知らせたいと思うから。

 空は、青い。それだけに、俺は心が曇る。気持ちが悪いんだ。もやもやするんだ。タスケテほしいんだ。
「親父…」
 勝手に流れる涙が、制服を汚してゆく。辛いか?でも、誰がそれを認めた?俺か?他人か?
「誰でもないんだよ…」
 ただ、涙が勝手に流れるだけだ。

 親父が家から出ていったのは、3年前。浮気が原因で、出ていった。俺は、中学に入学したてで、なんか嫌な気持だったんだと、思い出す。でもさ、たったそれだけなんだぜ。
「俺は、あんたを恨んでいるんじゃない。俺は、俺は…」
 もう、すぐそこまでの言葉がまた、喉の奥に引き下がる。この、嫌な視線がその言葉を吐いていいものかと、ためらわせている気がした。そう感じた時、別の何かが口から無意識に吐き出された。異臭に立ち込める、はっきりとした意識は、もう一度繰り返す。

 誰もいないんじゃないのか?墓地(ここ)には俺だけだぜ。

 感じれば感じるほどに視線が体中を射抜いている気がして、また。

「はは…。なんなんだ…。なんなんだ…」
 目の前には、親父の墓石。冷たい、ただの石だ。そんなのが、死者を祭るのか。
「それでいいのかよ…。あんたは、何を頑張って、何してきたんだよ…。こんな冷たい石に入るために生まれてきて、俺を生んだのかよ!あんたは!…なんなんだよ…。なんで、なんで」

 自殺なんかしたんだよ!

 言葉として吐き出したのか、気持ちが叫んだのか。頭の中で、そう叫んだのか。俺は、その言葉を吐き出していたんだ。

「俺は、あんたを恨みもしない。軽蔑だってしてないぜ!俺は、俺は…息子であることが、一番の…、一番の誇りだ!だから、なんで自殺なんてしたんだ!馬鹿親父!!俺、あんたの志を貰えて嬉しかったし、自分に子供できてさ、名前、つけてさ…。あんたと…。あんたと…、つけたかった…。名前…、志を…」
 墓石に刻まれた俺と同じ一文字は、胸を締め付け、苦しめる。涙はもう止まらない。どれだけ流したって、親父はいないと知らされた。誰が神様か。誰が仏か。だれが聖人か。くだらない。くだらなすぎるんだよ!

「親父…。俺、俺は」

 あんたに出会えたことを、人生で最高の宝物にするよ。

 6月15日。父の日に、最高の告白を。

2014年 6月16日 父の日 終  大空寺 絆
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