戦後歌われる事の無くなった「蛍の光」の三番、四番に国を思う当時の日本人の姿を見るのです。私たち日本人の生活は、日本の国土あってこそのものです。 幕末の日本人同士で血を流した革命「明治維新」を経て、一般人も参政権を得、初めて国を意識した時代です。

日本という国は国民の幸せを願う天皇陛下を長として 2675年続いてきました。

紡いで来た歴史の上に現在があります。
未来へと紡ぐのは 現代を生きる私たち日本人の義務です。

戦争を嫌い、平和を願う気持ちは皆同じではないでしょうか。
戦国時代、好んで戦をしたわけではなく、誰かが統一しなければならないほどに室町幕府の放漫な政の結果、世が乱れたからです。平和を享受し、繁栄の極みを得た室町時代も、武家である足利家の堕落が引き起こしたものでしょう。

平和を願っても願うばかりで 「守りの構え」を取らず無抵抗であっては、
日本の無抵抗を好機とする他国に隙を与えるだけです。
隙を見せた先には平和では無いでしょう。

インドではガンジーによる「非暴力・非服従運動」の独立運動がありました。
ガンジーは「私の仲間に一人でも背中に銃弾を受けた者がいるなら見せてくれ」と 言っています。つまり背中を撃たれるというのは逃げた証拠であり、そのような者はいないということであり、死体は全て胸に銃弾を受けていました。
武器を持つこともできない極限状態の中での独立運動だからできたことであり、幕末の志士同様に国を思いながら銃弾に倒れたのです。
しかし、そのインドは今や核保有国です。
彼らが学んだ事は無抵抗では平和は訪れないし、犠牲が多過ぎるということではないでしょうか。

もし、日本に丸腰でいる事を望む人がいるならば、自衛隊や海保の隊員同様に銃口の前に丸腰で立つべきだとさえ思います。

性善説で「話せば分かる」とか、無抵抗を貫けば戦争にならない何て言う事は幻想に過ぎません。

未来へと紡ぐのは現代を生きる私たち日本人の義務です。
日本人が守らない国土は同盟国も守る義務も無い
のです。

失ってから後悔しても後の祭りです。

「蛍の光」この歌の三番、四番が小学校で歌われるようになることを願ってやみません。戦後を生きる日本人は少なからずGHQの洗脳による「自虐史観」が擦り込まれています。教育改革がおこなわれ、国を思う次世代を担う子供達が育つ事、そして現世代の私たちは自らの常識を疑ってみるべきだと思うのです。

三番

筑紫の極み陸(みち)の奥、
海山遠く隔つとも
その眞心(まごころ)は
隔て無く
一つに尽くせ國の為

【解説】
九州の端や東北の奥まで、
海や山々によって遠く離れていても、真心はただひとつにして互いに国の発展の為に尽くそう。
※「つくし(筑紫)」=九州の古い呼び方 「みちのおく」=陸奥。東北地方


四番

千島の奥も沖繩も、
八洲(やしま)の内の、護(まも)りなり、
至らん國に、勲(いさお)しく、
努めよ我が背、恙(つつが)無く。

【解説】
千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。
学を修め職を得て、どこの地に赴こうとも、
日本各地それぞれの地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、 勇気を持って任にあたり、務めを果たしていただきたい。
本日は「竹島の日」です。
韓国が日本に行った暴虐非道、憲法第9条の無力さを噛み締めるべき日だと思います。マスコミの報道が稀薄である事に違和感を否めません。
私的には何故このような国家と仲良さを繕う意味があるのかさえ理解に苦しみます。虐殺された漁民の遺族の思いはどうなるのでしょう。韓国は日本が武力行使できないことを知った上で明確な悪意をもって侵略したのです。憲法第9条は日本を守ってはくれないとこの時に幻想は破綻しています。
GHQ統治下にあった1951(昭和26)年7月,連合国総司令部は,連合国総司令部覚書(SCAPIN)第2160号をもって,竹島を米軍の爆撃訓練区域として指定しましが、竹島周辺海域におけるあしかの捕獲,あわびやわかめの採取を望む地元からの強い要請で1953(昭和28)年3月の合同委員会において,同島を爆撃訓練区域から削除されました。1951年、韓国政府は米国政府へ、竹島と波浪島(実在しない島)を日本の放棄領土とすることを要望するが、同年(昭和26年)8月10日、米国政府は、国務次官補ディーン・ラスクより、竹島は日本領であることを韓国政府に最終的な回答として提示しています。しかし、翌1952年1月18日に韓国が李承晩ラインを一方的に宣言を行った。つまり米国は竹島を日本領と認めていたわけですが、同盟国である韓国の暴挙を止められなかった...つまり領土問題は自力で解決できる武力が無ければ解決できないのです。1960年、当時駐日アメリカ大使であったダグラス・マッカーサー2世は本国国務省に向けて日韓関係改善のために米国が行うべき行為を機密電文3470号によって以下の要旨を提言している。その電報の中では、明確に「日本の領土である竹島」を日本に返還させるよう韓国政府に圧力を加えるべきであると記載されており、下記の様な提言があります。
・韓国に違法に拿捕された日本人漁師の人質を全員解放させること。
・日本の漁船を公海上で拿捕する行為をやめさせること。
・韓国に人質外交 (hostage diplomacy) をやめさせること。
・不法占拠された竹島を日本に返還させること。
・竹島が日本に返還されるまで、日韓全体の和平が決着することはない。
60年以上経た今現在韓国と日本は和平は決着していないのです。
日本とアメリカ=同盟国、韓国とアメリカ=同盟国、しかし日本と韓国は同盟国ではありません。2015年末で、米軍は戦時作戦統制権を韓国に返上します。
それに伴い、在韓米軍は徐々に韓国から撤退し、米韓同盟(米韓相互防衛条約)の意味が無くなる。つまり日本は米軍に気兼ねする事無く奪還できる日が来ます。韓国は中国に擦り寄りあからさまに日本の「敵国」になることも想定されるので、先手を打って憲法第9条を改憲し、竹島の自衛隊による軍事的奪還をすることも視野に入れるべきでしょう。軍事力が圧倒的に勝る自衛隊による鮮やかな奪還劇が成立した際には尖閣諸島の問題についても相当な抑止力になるはずです。もちろんその前に相当な外交プレッシャーをかけ、国際的に合理的手段と認めさせる必要はあるとは思いますが...頑迷な韓国が外交手段だけで返還するとは到底思えません。
集団的自衛権を行使し、憲法第9条を改憲し、自衛隊を軍隊に昇格して普通に自国を守れる国家にする...これを右翼思想とは言いません。当たり前の事がねじ曲げられ通らない現在の日本、次世代に残すべき日本は米軍の衰退が顕著になりつつある中、アジアにおいて侵略の脅威にさらされている国々と手を取り合い防衛線を展開できるようにするべきだと思います。

*FBの転載により1日遅れです。

*李承晩ラインについて
http://matome.naver.jp/odai/2136267418677620501

韓国軍による日本人漁民殺害や日本漁船拿捕
1952年1月18日に韓国の李承晩大統領によって海洋主権宣言に基づく漁船立入禁止線(いわゆる李承晩ライン)がひかれ、竹島が韓国の支配下にあると一方的に宣言した。1952年のこの宣言から1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに、韓国軍はライン越境を理由に日本漁船328隻を拿捕し、日本人44人を死傷(死亡者数は不明)させ、3,929人を抑留した[15]。韓国側からの海上保安庁巡視船への銃撃等の事件は15件におよび、16隻が攻撃された。
1953年(昭和28年)1月12日、韓国政府が「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕して以後、日本漁船の拿捕や銃撃事件が相次ぎ、日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となった。同年2月4日には第一大邦丸事件が発生した。済州島付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡。また日本人漁師の瀬戸重次郎が殺害されている。
同年4月20日には韓国の独島義勇守備隊が、竹島に初めて駐屯。6月24日、日本の水産高校の船舶が独島義勇軍守備隊に拿捕される[23]。6月27日に日本の海上保安庁と島根県が竹島調査を行い、「日本島根県隠岐郡五箇村」の領土標識を建て、竹島に住み着いていた韓国の漁民6名を退去させた。すると、7月12日に竹島に上陸していた韓国の獨島守備隊が日本の海上保安庁巡視船「へくら」(PS-9[23]) に90mの距離から機関銃弾200発を撃ち込む事件が起きる[23]。
以後、韓国は竹島の武装化を進め、日本の艦船の接近を認めていない。日本政府はこの韓国による竹島を武装化する動きに抗議しているが、韓国側は「内政干渉」として退けている。
なお当時韓国には拿捕の法的根拠である漁業資源保護法は施行されておらず、日本漁船拿捕は国際法また韓国国内法においても非合法的な行為であった[24]。この韓国の行為に対して日本の水産庁は「他国の類似事例とは比較にならないほど苛烈」と評した[25]。
また、韓国李承晩体制下に行われたかかる行為を、1960年駐日米国大使ダグラス・マッカーサー2世は、国務省への機密電文[26]の中で「国際的な品行や道徳等の基本原理を無視した実力行使の海賊行為」と表現し、「日本人は李承晩の占領主義的手法で苦しんでいる」と訴えている[27]。
大事を成さんと欲する者は、
まず小事を務むべし。

大事を成さんと欲して小事を怠り、
その成り難きを憂いて、
成り易きを務めざる者は、
小人の常なり。

それ小を積めば
大となる。



勉強は、
未来の自分への投資です。

勉強で得る知識という投資だけでなく、
勉強を頑張ったという事実そのものは 自信 という投資にも。

未来とは、
明日のことを指すかもしれないし、
一年後かもしれない。
もしかすると、
もっと先の事かもしれない。

でも、
確実に
投資をすればするほど、

未来の自分は
投資をしてこなかった自分に比べて、
多くの
スキルを持ち、
多くの
手段を持ち、
広い視野を持ち、
だからこその
チャンスを掴むことができます。

惰性は自分を裏切るけれど、
頑張り、努力は 、決して自分を裏切らない。

直結しなくても、
どこかで自分を助けてくれる。